サイドストーリー 裸の女王様と失われた翻訳機

私、相川玲奈(あいかわ れいな)は、自分が特別な存在だと信じて疑わなかった。

鏡を見れば、そこには学年でも一、二を争う美少女が映っている。透き通るような肌、ぱっちりとした大きな瞳、艶やかな髪。神様が気合を入れて作った傑作、それが私だ。


だから、私がクラスの中心にいるのは当然のことだった。

みんなが私の機嫌を伺い、私の言葉に耳を傾け、私を中心に世界が回る。それが私の日常であり、揺るぎない真実だった。


ただ一つ、その完璧な絵画にそぐわないシミがあるとすれば、それは幼馴染の佐伯和也(さえき かずや)の存在だった。

地味で、平凡で、何の取り柄もない男。親同士が仲が良いというだけの理由で、物心ついた時からずっと私の金魚のフンみたいにくっついてくる。


「玲奈、大丈夫か? 何か飲む?」

「玲奈、寒くない? ブランケット借りてこようか?」


和也はいつも私の顔色を伺って、甲斐甲斐しく世話を焼く。まるで執事か召使いみたいに。

まあ、便利だから置いてやってはいたけれど、高校生になってからは正直、邪魔だと思うことが増えていた。

だって、私はカースト上位の「一軍女子」。隣に並ぶなら、それ相応のスペックを持った男じゃなきゃ釣り合わないでしょ?


そんな不満が募っていた頃、郷田隼人(ごうだ はやと)からアプローチされたのは、必然だったのかもしれない。

サッカー部のエースで、クラスの中心人物。背が高くて、ノリが良くて、少し強引なところも男らしい。

彼こそが、私の隣にふさわしい「アクセサリー」だと思った。


だから、放課後の特別教室で隼人に抱きしめられた時、私は優越感で満たされていた。

地味な和也には一生味わえない、選ばれし者同士のスリルと高揚感。


「あはは! マジで? ウケるんだけど」


隼人のくだらない冗談に、大げさに笑って見せる。

この瞬間、私は世界の主人公だった。誰にも邪魔されない、私だけの輝ける場所。


ガラッ。


ドアが開く音がして、その完璧な空間にヒビが入った。

入ってきたのは、いちごオレとパンを持った和也だった。間の抜けた顔をして、呆然と突っ立っている。


(ああ、見つかっちゃった。まあ、ちょうどいいか)


私は焦るどころか、むしろ清々しい気分だった。

いつか切らなきゃいけないと思っていた腐れ縁。向こうから現場を目撃してくれたなら、言い訳をする手間が省ける。


「……和也?」

「お前……、何してんだよ」


震える声で聞いてくる和也に、私は冷ややかな視線を送った。

惨めね。自分の彼女が、もっといい男に乗り換えた現場を目撃するなんて。でも、それはあんたが地味で退屈なのが悪いのよ。


「あのさ、和也。ちょうどいいから言うけど、私たち、もう終わりにしない?」


私は隼人の腕に身を預けながら、告げた。

隼人もニヤニヤしながら私の肩を抱いている。この一体感。これこそが「お似合いのカップル」ってやつだわ。


「あんたさ、地味なのよ。性格も、見た目も、全部。私みたいな一軍女子の隣にいるのがあんたじゃ、バランス悪いって思わない?」

「はっきり言うわ。あんたみたいな地味な奴と一緒にいると、私の『格』が下がるのよ」


言ってやった。ずっと胸につかえていた本音を。

和也はショックを受けたような顔をしていたけれど、すぐに「分かった」と頷いた。

意外とあっさり引き下がったことに拍子抜けしたけれど、まあ、彼も自分の立場を理解したんでしょう。


「これ、頼まれてたやつ。餞別代わりに置いていくよ」


和也はパンとジュースを置いて、背を向けて出て行った。

その後ろ姿は、負け犬そのものだった。

私は勝利の味を噛み締めた。これでやっと、私はお荷物を捨てて、本当の意味でクラスの頂点に立てるんだわ。


そう、信じていた。

あの瞬間までは。


***


翌朝、私は最高の気分で登校した。

今日からは堂々と隼人の隣にいられる。和也の顔色を伺う必要もないし、彼の地味なオーラに巻き込まれることもない。


「おはよー隼人!」

「おう玲奈。今日も可愛いな」


隼人の隣の席に座り、堂々とイチャつく。周囲の視線が集まるのが快感だった。

みんな、私たちを見て羨ましがってる。美男美女のカップル、クラスの象徴。

ちらりと和也の方を見ると、彼は一人で静かに本を読んでいた。かわいそうに。私という太陽を失って、これからは日陰で生きていくのね。


でも、違和感はすぐに訪れた。


昼休み、隼人のグループで一緒にお弁当を食べていた時のことだ。

メンバーの一人、ミキが自分の好きなアイドルの話を始めた。


「昨日のライブ、マジ最高だったー! 推しが尊すぎて死ぬかと思った!」


ミキはそのアイドルの熱狂的なファンだ。でも、私には理解できなかった。

あんな整形丸出しの顔で、ダンスもクネクネしてて気持ち悪い。私の美的センスからすれば、あんなのを崇拝するなんて正気の沙汰じゃない。


だから私は、親切心で本当のことを言ってあげたの。


「はあ? 何それ、マジで言ってんの? ダンスも下手だし顔も整形っぽくない? 私なら絶対無理ー。ファンとか信者じゃん、キモッ」


私がそう言うと、場がドッと盛り上がる……はずだった。

だって、私の毒舌はいつも「切れ味鋭くて面白い」って評判だったから。和也もいつも、「玲奈のツッコミは的確すぎて笑えるよな」って笑ってくれていたし。


でも、反応はおかしかった。

シーンと静まり返り、空気が凍りついたのだ。


ミキは顔を真っ赤にして俯いている。周囲の女子たちも、信じられないものを見るような目で私を見ている。

え、なにこれ? なんで笑わないの?


「ねえ隼人、この卵焼き食べてみてよ。自信作なんだから」


私は気まずさを誤魔化すために、隼人に甘えた。

隼人は引きつった笑いで「うめぇな」と言ったけれど、明らかに目が泳いでいた。


(なによ、ノリ悪いわね)


私は不満だった。せっかく私が面白いことを言って場を回してあげたのに、誰もついてこれないなんて。

やっぱり、和也以外はこのクラス、レベルが低いのかもしれない。


ミキたちが逃げるように席を立っていくのを見ながら、私は首を傾げた。

「せっかく私が話に入ってあげたのに」

私の価値が分からないなんて、可哀想な子たち。


でも、そんな小さなズレは、日を追うごとに大きくなっていった。


授業中、ペアワークで組んだ佐々木さんという地味な子に、英語の発音を指導してあげた時もそうだった。

声が小さくてウジウジしているから、「もっと自信持ちなよ、だから暗いって言われるのよ」と励ましてあげたのに、彼女は泣き出して保健室に行ってしまった。


教室中から、私を非難するような視線が突き刺さる。

「性格悪すぎ」「何様なの」というひそひそ話。


なんで?

私は正しいことを言っているだけなのに。

あの子のためを思ってアドバイスしたのに、なんで私が悪者扱いされなきゃいけないの?


以前なら、こういう時は和也がすぐに割って入ってきてくれた。

『あー、玲奈なりに発破かけたつもりなんだよな? ちょっとスパルタすぎたけど、期待してるからこその厳しさっていうかさ』

そうやって、私の意図をみんなに説明してくれていた。そうすれば、みんなも「なんだ、そういうことか」「相川さんらしいね」って笑ってくれたのに。


今の和也は、私を見ようともしない。

教室の隅で、松田くんと楽しそうに談笑している。


(なによ、あの態度。私と別れたくせに、なんでそんなに平気そうなの?)


もっと落ち込んで、やつれて、「玲奈がいないと生きていけない」って縋ってくると思っていたのに。

むしろ、私と別れてからの方が、彼は生き生きとしているように見えた。肌艶もいいし、笑顔も増えている。

それが、どうしようもなく私を苛立たせた。


そして、決定的な破局は、文化祭の話し合いの日に訪れた。


ホームルームで、文化祭の出し物が「メイド喫茶」か「お化け屋敷」かで揉めていた時。

私は良かれと思って発言した。


「はあ? メイド喫茶? 正気? このクラスの女子の顔面偏差値でメイド服とか、罰ゲームじゃん」


だって事実でしょ? ミホも長谷川さんも、まあ十人並みだけど、メイド服を着こなせるレベルじゃない。私が着るならまだしも、他の子が着ても痛いだけ。

客観的な評価をしてあげたのに、クラス中が私を敵視した。


「いい加減にしてよ!」と怒鳴るミホ。

「ヒステリーはお前だろ!」と罵る男子たち。


集団で私を攻撃してくるクラスメイトたちに、私は恐怖を感じた。

なんで? 私、間違ったこと言ってないよね?

なんでみんな、そんなに怒ってるの?


私は助けを求めて、和也を見た。

(和也、なんとかしてよ! あんたの仕事でしょ!?)

目で訴えた。彼なら、きっといつものように上手いこと言って、この場を収めてくれるはず。私の言葉を翻訳して、みんなを納得させてくれるはず。


でも、和也は私と目を合わせた後、無表情でプイと視線を逸らした。

まるで、他人を見るような冷たい目で。


心臓がドクンと跳ねた。

拒絶された。あの和也に。私の言うことなら何でも聞いてくれた、あの和也に。


頼みの綱を失った私は、慌てて隼人に縋り付いた。

「ね、ねえ隼人! なんとか言ってやってよ!」

彼なら、カーストトップの権力で私を守ってくれる。私は彼の彼女なんだから。


でも、隼人は私の手を冷たく振り払った。


「……触んなよ」


耳を疑った。

隼人は汚いものを見るような目で私を見下ろしていた。


「お前さ、空気読めなさすぎなんだよ。俺の顔に泥塗るのもいい加減にしろ」

「え……?」

「俺さ、お前の顔はいいと思ってたけど、中身がここまで終わってるとは思わなかったわ」


中身が、終わってる?

私が? この相川玲奈が?


「そこの佐伯が、お前のクソみたいな性格を上手く翻訳して、可愛く見せてたからだろ? 俺はそれに騙されてただけだわ」


隼人の言葉が、鋭い刃物のように私のプライドを切り裂いた。

佐伯が、翻訳してた?

私の魅力は、私自身のものじゃなくて、和也が演出したものだったって言うの?


「もういいわ。別れよ」


あっさりと告げられた別れの言葉。

私は必死に縋ったけれど、隼人は取り巻きたちと一緒に冷笑を浮かべて去っていった。

クラスメイトたちの「ざまあみろ」という視線。

嘲笑、軽蔑、侮蔑。


私はその場に立ち尽くすしかなかった。

足元から地面が崩れ落ちていくような感覚。

私が立っていた高い塔は、実は和也という土台の上に築かれた、脆い砂の城だったのだ。


***


それからの毎日は、地獄だった。

私はクラスで完全に孤立した。

移動教室も、お昼ご飯も、一人ぼっち。

誰も話しかけてこない。目が合ってもすぐに逸らされる。まるで私が透明人間になったみたいに。


隼人はすぐに新しい彼女を作っていた。隣のクラスの、愛想だけはいい普通の女子。あんな子が、私よりいいって言うの?

悔しくてたまらないけれど、文句を言う相手さえいない。


お昼休み、机の上でコンビニのおにぎりをかじる。

味がしない。砂を噛んでいるみたいだ。

ふと顔を上げると、教室の後ろの方で、和也が楽しそうに笑っていた。

文化祭の準備をしているようだ。周りにはミホや松田くん、たくさんのクラスメイトが集まっている。


「佐伯くん、これどう思う?」

「和也、こっち手伝ってー!」


みんなが和也を頼りにしている。みんなが和也に笑顔を向けている。

かつて、その場所は私のものだったはずなのに。

私が中心で、和也は脇役だったはずなのに。


いつの間にか、世界は逆転していた。

いいえ、元に戻っただけなのかもしれない。

和也はずっと優秀で、優しくて、みんなに好かれる要素を持っていた。私がその光を独占して、遮っていただけなんだ。


「……和也」


名前を呼んでも、声は届かない。

胸が張り裂けそうだった。

戻りたい。あの頃に。

和也が隣にいて、「玲奈はしょうがないな」って笑ってくれていた、あの温かい日々に。

隼人なんかと浮気しなければよかった。あんな一時の優越感のために、一番大切なものを手放してしまった。


私は、プライドも何もかも捨てて、和也に謝ろうと決めた。

彼なら、きっと許してくれる。だって、私たちは幼馴染で、長い時間を一緒に過ごしてきたんだから。私が泣いて謝れば、きっとまた優しく頭を撫でてくれるはず。


私は震える足で、和也の元へ歩み寄った。


「……和也」

「何?」


和也の声は冷たかった。作業の手を止めたクラスメイトたちの視線が痛い。

でも、私はなりふり構わず訴えた。


「ごめん……なさい。私、間違ってた。隼人なんかより、和也の方がずっと良かった」


涙が止まらなかった。計算じゃなく、心からの涙だった。


「お願い、和也。もう一度やり直したい。私、今度は和也のこと大事にするから。……だから、また、私の隣にいて」


精一杯の愛の告白。これ以上の言葉はない。

さあ、和也。私を抱きしめて。「いいよ、許すよ」って言って。


和也はしゃがみ込み、私と視線を合わせた。

優しい瞳だった。ああ、やっぱり和也だ。私の和也だ。


「玲奈。謝ってくれてありがとう。お前が自分の過ちに気づけたことは、良かったと思うよ」


ほら、許してくれた。

胸の中で歓喜の花火が上がりかけた。

でも、次の瞬間、和也の口から出た言葉は、私の心を粉々に打ち砕くものだった。


「でも、無理だ」


「……え?」


「俺たちはもう終わったんだ。お前が俺を捨てた時に、俺の中で何かが完全に壊れたんだよ」


壊れた?

何言ってるの? 私たちは運命の二人でしょ? ちょっと喧嘩しただけじゃない。


「好きとか嫌いとか以前に、ただの『昔の知り合い』なんだ」


ただの、知り合い。

その言葉の響きが、あまりにも空虚で、私の存在意義そのものを否定した。


「それにさ、俺、これからデートなんだよね」

「隣のクラスの女子と、映画見に行くんだ」


嘘。嘘よ。

和也が、私以外の女とデート?

ありえない。和也は私しか見ていないはず。私以外を好きになるなんて許さない。

でも、和也の表情は真剣で、そして何より、とても幸せそうだった。私に向けていた苦労の色など微塵もない、晴れやかな笑顔。


「だから、お前の相手はできない。俺はもう、お前の緩衝材じゃないし、お前の人生の脇役でもない。俺は俺の人生の主人公として生きていくから」


和也は立ち上がり、背を向けた。

その背中は、以前よりもずっと大きく、遠く見えた。


「じゃあな、玲奈。元気で」


それが最後だった。

和也は行ってしまった。私を、この冷たい教室に置き去りにして。


私はその場に座り込んだまま、動けなかった。

周りのクラスメイトたちが作業に戻っていく。私の泣き声なんて、ただのBGMみたいに扱われている。


ああ、そうか。

私は「格が下がる」と言って彼を捨てたけれど、本当に格が低かったのは私の方だったんだ。

和也という魔法が解けた私は、ただの性格の悪い、誰からも愛されない、哀れなピエロでしかない。


窓の外を見ると、和也が校門の方へ歩いていくのが見えた。

そこで待っていたのは、ショートカットの可愛い女の子。

和也はその子を見て、私には一度も見せたことのないような、心の底からの笑顔を向けた。

二人は並んで、夕陽の中へと消えていく。


美しい光景だった。

私が手放した、二度と手に入らない幸せの形。


「……ううっ、うあああああん!」


私は声を上げて泣いた。

プライドも羞恥心もかなぐり捨てて、子供のように泣き叫んだ。

でも、どんなに泣いても、時は戻らない。

失った翻訳機は、もう二度と私の言葉を美しいものに変えてはくれない。


私の毒は、これからは全て自分の中に溜まり、私自身を蝕んでいくしかないのだ。

誰もいない放課後の教室で、私は自分自身の愚かさという名の十字架を、永遠に背負い続けることを知った。

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「あんたは私の格を下げる」と一軍男子と浮気した毒舌幼馴染。彼女がクラスに馴染めていたのは俺の『超・翻訳スキル』のおかげだと気付く頃には、もう手遅れだった。 @flameflame

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