同僚から恋人へ
@anonymousfleetx
就任初日
アラームがけたたましく鳴り響く――
ピピッ… ピピッ… ピピッ… ピピッ… ピピッ……
彼は飛び起きた。
「がぁぁっ……遅刻だ! 大学に――待て……俺、もう卒業してた……」
そのままベッドに倒れ込む。
「がぁぁ……今は仕事してるんだよな……いや、でも今日は日曜……?」
再び眠りに落ちる。
昨日の友人たちとの祝賀会が、脳裏にフラッシュバックする――
酒、歓声、抱擁。
「就職決まったからって、友達と騒ぎすぎたな……日曜丸ごと潰した……」
――その瞬間、目を見開く。
「に、日曜……き、昨日――」
「クソッ!! 今日は月曜だ!!」
ミサイルのようにベッドから跳ね起き、シャツを着ながらバスルームへ全力疾走。
片腕だけ袖に通り、もう片方は宙ぶらりん。ネクタイは首に引っかかり、まだ締めていない。
「なんでこんなミス――クビにならないよな? 初日だぞ――
……いや待て、それだからこそクビだろ! 初日から遅刻する奴がどこにいるんだ!?」
玄関へ突進――足を滑らせ――
ドンッ!!
――そのまま階段を転げ落ちる。
「うわああああああ!!」
――彼はベッドの上で跳ね起きた。
荒い呼吸。汗だく。
「……はぁ……夢か……? なんだよあの変な夢……」
アラームはまだ鳴っている。
彼は時計を見る。
午前6時04分。
まだ余裕だ。
枕に顔を埋める。
「……月曜、嫌いだ……」
半分寝ぼけたまま腕を伸ばし、ようやくアラームを止める。
ボサボサの髪、半開きの目で起き上がり、大きくあくびをした。
「はぁ……もう仕事量を感じてる気がする……」
顔をこすり、無理やり立ち上がる。
体は重いが、期待と不安が彼を前に進ませる。
タオルと歯ブラシを手に、足を引きずるようにバスルームへ。
シャワーの温水が体に当たり、湯気が室内を満たす。
しばらく彼はそのまま立ち尽くし、昨日の疲れ――そして初日への緊張を洗い流した。
(初仕事……初めての責任……
失敗できない……今日だけは……)
深呼吸し、身支度を整え、決意を胸にバスルームを出る。
駅へ向かう道すがら、片手でネクタイを直し、もう片方で鞄を持つ。
足取りは軽く、跳ねるようだった。
「なんか……現実感ないな……俺、大人だ。ちゃんとした仕事もある……」
彼はニヤリと笑う。
「……って、初日って何すればいいんだ? はぁ……まあ行けば分かるか」
思考は無駄に暴走する。
「会社なんて知ってるさ。漫画もアニメも山ほど見た。
ストレスだらけ、怒鳴り声、新人はいじめられて……なのに全部カッコよく見えるんだよな。
くそ、楽しみすぎ――って、やばっ! 俺の電車!」
ドアが閉まる直前に駆け込む。
車内はサラリーマンと、少数の制服姿の学生。
会話はなく、疲れ切った朝の沈黙だけが漂っていた。
「……へぇ、これが社会人か。退屈そう……
でも、やべぇ、テンション上がる」
吊り革につかまる彼に、気づかぬうちに視線が集まっていた。
女子高生と、大学生らしき女性――二人が座席でひそひそと囁く。
「ねぇ、あそこ立ってる人見た? あの格好、ちょっとカッコよくない?」
女子高生が声を殺して言う。
「分かる。会社行きかな? 見ない顔だし、新人っぽいよね」
「だよね。他の人みんな死んだ目してるのに、あの人だけ生き生きしてる。初日確定」
女子高生が身を乗り出す。
「ねぇ、番号聞いてみようかな?」
大学生が即座に睨む。
「正気? 高校生に番号渡すわけないでしょ」
「恋に年齢は関係ないのよ〜♪」
女子高生が芝居がかった声で歌う。
「でも未成年と付き合ったら前科は付くけど?
あの人を犯罪者にしたいの?」
女子高生は頬を膨らませながらも、視線は彼から離さない。
大学生も最後にちらっと彼を見る……一瞬、見惚れるように。
電車が到着し、彼は楽しげな笑顔で降りた。
「えーっと……ビルの名前なんだっけ……
星――星山ソフトワークス……」
スマホを見ながら駅前をうろつく。
地図を拡大し、目を見開く。
「……え、ここ新宿じゃなくて渋谷!?
マジかよ……間違えた……最悪だ……自分でも引くレベル……」
髪をかきむしり、大きくうめく。
そのとき、近くのコンビニの自動ドアが開いた。
紙袋に軽食を入れた、大人びた女性が出てくる。
彼の様子に気づき、くすっと微笑み、近づいた。
「こんにちは。随分お困りのようですね。何かお探しですか?」
彼は慌てて振り向く。
「あっ、すみません……大声出して。
来る場所、新宿だと思ってたら渋谷で……」
「それは大事件ですね」
彼女は軽く笑う。
「どこへ行く予定だったんです?」
「会社です。今日が初日で……星山ソフトワークスに――」
「星山?」
彼女が突然遮る。
「え……はい?」
「合ってますよ」
彼女は落ち着いて言う。
「このコンビニの裏のビルです。私、そこで働いてます」
彼はゆっくり振り返る。
背後には、ガラス張りの巨大な高層ビル。
「……ここ? デカすぎだろ……
屋上から飛び降りたら死ぬな、これ」
「うーん……」
彼女は指を立てる。
「死亡率80%。残り20%は生き残るけど……歩けなくなるでしょうね」
にこやかに微笑む。
彼は固まる。
「……あんた、怖い人ですね」
彼女は口角を上げる。
「自殺率を計算してた人に言われたくありませんが?」
「……あ、ありがとうございます」
「褒めてません」
軽く息を吐き、袋を持ち直す。
「さ、行きましょう新人さん。
初日から遅刻はまずいですよ」
回転ドアを抜けると、夢のようなロビーが広がる。
磨かれた床、巨大な柱、忙しなく行き交う社員たち。
受付の女性が、彼女に丁寧にお辞儀する。
「おはようございます、社長」
彼の目が輝く。
(すげぇ……未来感……
それに……美人多すぎだろ……)
「ここ最高……しかも可愛い人ばっか……」
手で口元を隠し、涙目。
彼女が横目で見る。
「……心の声、全部漏れてますよ新人さん」
「いいんです!」
彼は背筋を伸ばす。
「男の純粋な欲望は隠すより認めるべきです!
あなたには分からないこの苦しみ!」
彼女は眉を上げる。
「ほう? 聞きましょう」
彼は拳を握りしめる。
「大学入ったら彼女できると思ってました!
死ぬ気で勉強して、成績トップで、
“理系はモテる”って理由で情報学部に行ったのに!」
悲痛なため息。
「男女比98%男!
しかも女の子2人はオンライン授業!
砂漠ですよ! 恋愛のオアシスゼロ!」
彼女は一瞬黙り――
そして吹き出した。
「……本当にバカですね」
「ありがとうございます」
彼は感動で涙ぐむ。
「褒めてません」
エレベーターに乗る。
彼女は21階を押した。
沈黙。
彼の心臓だけがドラムソロ。
扉が開き、ガラス張りのオフィス街。
彼女は角の部屋へ入り、王のように椅子に座り、ネームプレートを回した。
《C.E.O ― 星山玲子》
電話を取る。
「下月鈴を呼んで」
通話終了。
「……さっき怖いって言ってすみませんでした」
彼が言う。
彼女は眉を上げる。
「今さら気づきました?」
「そりゃ……社長を怖いとか言って初日でクビは嫌ですし」
小さく笑う。
「正直で率直……悪くないですね、新人さん」
ノックもなくドアが開く。
彼は振り向き――凍りついた。
長身で大人の色気を纏う女性。
髪はまとめられ、口には煙草。
ジャケットは肩掛け。
「何回言わせるの、ノックしなさい」
玲子は呆れた声。
「私、社長。あと禁煙」
「はいはい」
鈴は手を振り、ソファに倒れ込む。
「徹夜させたのあんたでしょ。高級ホテルで夕飯奢りなさい」
玲子は深いため息。
鈴が彼を見る。
遠慮ゼロで全身を値踏み。
「で、この子は? 次のプロジェクトの広告モデル?
悪くない……十分イケメン」
「違います」
玲子が即座に止める。
「新人です。例の……面接に来ず、
ソフト改良版を送ってきた張本人」
鈴が指を鳴らす。
「あぁ〜! あの子か!」
「まず自己紹介からだろ」
彼は必死に落ち着こうとする。
「それは私の台詞」
玲子が即答。
「どっちでもよくない?」
鈴は煙草に火をつける。
「社長として扱いなさい!!」
机を叩く玲子。
誰も動じない。
鈴が煙を吐く。
「じゃあ先に。
下月鈴。最高執行責任者、兼プロジェクト統括」
玲子が目を回す。
「星山玲子。
星山ソフトワークスCEO」
二人が彼を見る。
「……はい、僕ですね」
「一ノ瀬一護です」
玲子が固まる。
「……一護?」
鈴が瞬く。
「……いちご?」
「うるさい。
名前は一ノ瀬でいい。母親のネーミングセンスに今も苦しんでるけど……嫌いじゃない」
鈴が笑う。
「可愛いじゃない」
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