無題
otama
第1話
「...だからこれはただの推しだって、女とか、恋愛とかそういうのじゃないって、」
まただ。ここ最近ずっと喧嘩ばかりだ。
喧嘩の発端はだいたい俺の推しに関することで、彼女の南は推しというものが全く理解できないらしい。
こんな思考回路で元モデルだと言うんだから驚きだ。いやこんな思考回路だから”元”なのか。
「だからとかじゃなくてしょーくんには私だけでいいじゃん!」
今日も耳障りなデカくて甲高い声で騒ぐ。
はぁ、なんで何回も言ってんのに理解できないかなぁ。本当にストレスが溜まる。
「...もういいよ、めんどくさい、仕事行ってくるから」
舌打ち混じりに言葉を吐く。
「ねぇ、ねぇってば!」
後ろで喚く南の言葉を無視し玄関のドアを閉め、歩いて仕事に向かう。
もう限界だ、3ヶ月ぐらい前に友達の紹介で出会って、可愛かったし話していて楽しいから付き合って、こんな地雷だったなんて絶対に今日別れ話を切り出してやる。
歩きながらそんな事を考える。
会社の前につき時計を見ると少し始業時間に遅れてしまっている。これも南のせいだと思うとまたムカついてくる。
オフィスの中に入るとなんだか周りが慌ただしい。
「先輩どうしたんですか?」
忙しなく動いている先輩を捕まえて話を聞く。
「あっ、やっと来たか省吾、今新人がミスを隠してたことがわかって納期は前倒しになるし、物品の再発注もしなきゃいけないしでやることが一気に増えたんだよ。わかったら当たってる仕事あるから早く手つけてくれよ。」
まじかよ。今日はただでさえストレス溜まってんのに。
自分のデスクにつき、社内の連絡アプリを開くと部長からのメッセージがある。
「〇〇社の納品期日と納品内容に誤りがあったようです。各自作業内容を確認してください。」
ビビりながらも自分の仕事を確認するといつもの2,3倍の量に気が滅入る。
「なんでこの会社もこんな仕事を新人に任せるかな」
小さく文句を言いながら仕事の用意をし仕事に手を付ける。
暫くの間膨大な量の仕事を捌いていると不意に横においてあったプライベート用のスマホから通知音がなる。
一瞬スマホを確認しようとしたが今はそんな時間も惜しい。
スマホの通知をオフにして、仕事を進めるが、どうやら何通もLINEが来ているらしくピカピカ光って煩わしい。
流石に我慢の限界が来てスマホの画面を確認すると、南からのラインだった。
「朝はごめんね。」
「しょーくんのことが本当に好きだからあんなこと言っちゃったの。わかってほしい。」
「今日は何時に返ってくる?」
「好きだよ。」
「ねぇ」
「無視しないでよ」
いつも喧嘩した日には同じような文章が送られてくる。
普段なら「俺もきつく当たっちゃってごめん、」とか返しているのだが最近の喧嘩と仕事の忙しさでストレスが爆発していて既読をつける気にもならなかった。
軽く舌打ちをしながら怒りに任せて乱暴にスマホをカバンの中にしまう。
仕事が忙しくて薄れていたイライラがまた少し湧いてくる。
少し冷静になろうと思い喫煙所に向かう、タバコを咥えポケットからライターを出し火をつけ大きく吸う。
――いつからこうなってしまったのだろう。今はこんな言い争ってばかりだが、最初の頃はたしかに楽しかったはずだ。二人でいろいろなところに出かけたり、買い物をしたり、あのときはあまり喧嘩もしていなかった。
同棲したことで一緒にいる時間が増え、少し南を蔑ろにしていた俺が悪かったのかもしれない。
推しにかまけて南を不安にさせていたのだろう。
今日家に帰ったらしっかりと話そう。少しずつお互いわかり会えるようになればいい。
タバコを吸い終え自分のデスクに戻り中断していた仕事を再開する。
これまでに体験したことのない忙しさに目が回る。
そのおかげかもう南に対しての怒りは殆どなくなっていた。
やっと仕事が終わり時計を見ると時間が22時を回っていた。
「もうこんな時間か」
まず家に帰って南に謝らなきゃな。
少しでも機嫌をよくしようとコンビニで南の好きなショートケーキを買い家に向かう。
その途中で南のラインに返信をしてなかったことに気づいた。
カバンからスマホを取り出しLINEを開く。
「返信遅れてごめん。今から」そこまで入力したところで前に人がいることに気がついた。
暗くてはっきりとは見えないがおそらく南だ。
「南?こんなところでどうした?迎えに来てくれたのか?」
様子がおかしい、なにか言っているのだろうが全く聞き取れない。
「ど、どうした大丈夫か?」
どんどん近づいてくる南を見ると手には包丁が握られている。
嫌な未来を想像する。
話をしようと口を開くがうまく声が出ない。
ついに目の前まで来てしまった。南の顔がよく見える。
腹に鈍い痛みが走る。
包丁が腹に刺さっていて体から明らかに大量の血が出ている。
「…ッぐッ、う…、ッくッ…」
あまりの痛みにうめき声のような声を上げる。
南の声が聞こえる。
「ねぇ、しょーくん、浮気してるんでしょ。」
何を言っているのか、わからない。
「だってLINEも返ってこないしいっつも見てるあの女と浮気してるんでしょ。」
痛みでうまく働かない頭を回転させる。
ああ、おそらく推しのことだろう。
なんでもっと話し合わなかったのか、推しだけじゃなくて南をもっと見てあげればよかった。
多くの後悔が頭を駆け巡るがもう遅い。
「全部しょーくんが悪いんだからね。」
ふと顔を上げると今までに見たことがないような冷めた目、けれど俺が見た中で一番幸せそうな顔でうずくまる俺を見る。
体から完全に力が抜け道に倒れる。
視界には血で真っ赤な潰れたショートケーキと未送信のLINEが開かれたスマホが光っている。
少しずつ黒い靄がかかったように何も見えなくなっていく。
意識が薄れていくなか南の声だけが聞こえる。
「これで私だけのもの。」
無題 otama @atamato-n
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