私は、「卵」
木曜日御膳
はじめまして、私は、「卵」。
はじめまして、私は、「卵」。
この文字を見て、人は何を思い浮かべるのだろう。
冷蔵庫の奥で静かに冷やされている、白くてつるりとした鶏の卵?
それとも、昔話の挿絵に出てきそうな、ドラゴンが大切そうに抱えた巨大な卵?
もしかしたら、なんでもはじめたてみたいな人とか?
あ、これは、たしかに正解に近いかもしれない。
では、正解はというと——
「
「おなかいたいから、無理!」
分厚い布団にくるまって、母親の叫び声をかき消すように叫んだ私のことだ。
小学校五年生の私は、今、登校拒否だ。
理由は簡単だ。
この名前である。
「卵」と書いて、「らん」と読む名前だ。
ことの発端は、先週金曜日にあった国語の授業で名前を全部漢字で書いてみようという話になったのだ。
今までは、習った漢字のみ使用していいという話だったので、私は自分の名前はひらがなで書いていた。
「らん」という響きは可愛くて大好きだったし、周りからも「らんちゃん」と呼ばれていたし、有名なアニメキャラクターの名前とも一緒だったから大好きな名前だった。
しかし、それが一変して、大嫌いな名前になってしまった。
名前を書いた時、一斉にクラスから笑われたのだ。
「え、お前の下の名前、
クラスの意地悪い男子がそう言って笑ったのだ。正直、そこまでなら良かった。
給食の時間、出てきたのがオムライスだった。
「おい、たまご! おまえ共食いじゃん! ひでぇやつだな!」
げらげらと笑う男子たち。あまり仲の良くない女子たちもくすくす笑ってくる。
そして、極めつけは担任の言葉だった。
「こら! たしかに、変わった漢字だけど! そういうこと言うんじゃありません!」
私の名前って、変わっているの?
そこから、帰るまで地獄だった。いつの間にか、他のクラスの男子たちからも揶揄われ、仲の良かった友達たちも少し余所余所しい。
正直、名前だけでこんなに馬鹿にされるなんて、思わなかった。
結果、土日もまともにご飯が食べられず、大好きなたまごサラダ、親子丼、プリンなど卵が使われている料理を見ることもできなかった。
そして、今水曜日まで引きこもっている状態だった。
けど、勿論、それが許されるはずもない。
「
「え」
しびれを切らした母親の言葉に、私は慌てて扉を開けた。扉の前には、勿論仁王立ちの母親が立っていた。
「さあ、学校いくよ!」
首根っこを押さえた母親。私は、いやだいやだと泣き叫んだ。
そして、大きな声で「いやだああ! また笑われるもん!」と泣き叫んだ。
「笑われるって、どうしたの」
「だって、だって」
しゃくりあげながら、今までの一連のことを母親に伝える。
要領を得ない説明で聞きづらかっただろうに、最後まで静かに聞いた母親は私を抱きしめた。
「
「どんな考え?」
「……ごめんなさい、お母さん知らないのよね。パパから聞きそびれちゃった。でも、響きは可愛いし、被らないからいいじゃないってなって」
まさかの母親の答えに、私は思わずがっくとずっこける。
パパは現在仕事で、どこかのお船にいるらしいので、聞くのは難しいだろう。
「もしかしたら、おじちゃんなら知ってるかもだから、今日おじちゃんに連絡してみようか」
おじちゃんというのは、パパの弟で、仕事は何しているかはわからない人。おばあちゃんも去年死んじゃったから、おじいちゃんのことをよく知っているのはおじちゃんしかいないらしい。
ちょっと前に、「座敷わらしを撮りたいから、おじちゃんと一緒に旅行にいかないか」と誘ってきて、母親にすごく怒られていた。
ということで、母親は早速おじちゃんに連絡をする。平日の昼間、すぐに電話に出たようだった。
少し会話した後、母親からスマートフォンを渡される。画面には、相変わらずおヒゲがボーボーのおじちゃんが映っていた。
『
「ううん、まったく」
『そっかーでたら早めに教えてね、小学生までがリミットらしいからさ。座敷わらしチャンス』
どんなチャンス? と思いつつ、おじちゃんに「実はね、聞きたいことがあるの」と話を切り出した。
おじちゃんもまた、母親と同じように、私のお話をときより相槌しながら最後まで聞いてくれた。
『卵ちゃんの名前の由来はね知ってるよ』
「本当に! 教えて、教えて!」
『うん、親父曰く“絶対に覚えてもらえる名前だから”だったはず』
「……どういうこと?」
『実はさ、親父の名前、『
おじちゃんが言うには、おじいちゃんは昔、自分のパッとしない名前に苦労したことがあったらしい。
名前は、田中 章太郎という、ごくありふれた名前だそうだ。
何しろ、しょうたろうという名前が、字違いでもゴロゴロといた時代。苗字まで平凡で被るから下の名前で呼ばれていたせいで、時たま名前で負ける場面があったそうだ。
例えば、正太郎。こっちのほうが正しそうと言われたり。
例えば、勝太郎。こっちのほうが勝ちそうと言われたり。
昔の仕事は、名前を覚えてもらうというのが、すごく大事だったし、覚えられたやつが勝つとも言われていたと。
だから、子供には絶対に忘れられない名前をつけようと思ったらしい。
『おじちゃんも、
「じゃあ、なんで私は
『卵って、毎日見るだろ。色んなところに卵は使われてる。だから、卵という名前をつければ、絶対に忘れられることはないって言ってた』
私には、ちょっとむずかしかった。でも、たしかに、そう言われたらそうかもしれない。
「でも、皆に笑われちゃった」
『まずな、笑うやつが酷いやつなんだ。でも、これから先名前で笑うやつがいたら、今から言う事を言ってやればいい』
「なんていうの?」
『それはだな……』
おじちゃんの言葉を聞いて、私は「わかった、言ってみる」と強く頷いた。『とにかく練習してね。淀みなく言えるまで。実行した後は、何が起きても、座敷わらしに会いに行けば、問題なくなるからね』とおじちゃんは笑った。
次の日、私は久々に学校に行く。
友達が皆心配してくれるが、何人かは遠巻きにこちら見ていた。
その中で、あの意地悪い男子がこちらを見ていた。
私は、勢いのまま男子の元へと向かう。大丈夫、布団の中で何度も練習した。
「なんだ、来たのかよ、たまご女が……」
「
おじちゃん曰く、道徳心に訴えかける言葉を大声で連呼しろと言っていた。
ちなみに理由は少し誇張したほうがいいらしく、おじちゃんが一言一句考えてくれた。
反論されても、死んだおじいちゃんを盾に、がんがん攻めろと言われた。
男子は驚いたように目を丸くすると、その後周囲の視線に気づいて、顔赤くして怒鳴りながら私を小突いた。けれど、私は「なんで叩いたんですか! 死んだおじいちゃんが付けた名前なのに、どうしてそんな酷いことができるんですか!」ととにかく大きく叫び続ける。髪を掴まれて痛いが、「なんで髪を掴んだんですか! 死んだおじいちゃんが嫌いだからですか!」ととにかく支離滅裂に叫び続けた。
あまりにも大きな声で私が叫び続けるからか、他のクラスや気づけば先生たちもやってきた。
担任が「なにがあったんですか?」と焦った様子で聞いてきたので、私はもう一度「
この日、私と男子は校長室で話し合いになった。
担任の先生から謝罪され、男子からも謝られた。あとから来た男子の親御さんからも謝られた。
そして、この日から私はと言うと。
「卵を小突くな。なにが飛び出すかわからない」
と、噂されているらしい。
聞いたときは、少しだけ、笑ってしまった。
私は、「
私は、「卵」 木曜日御膳 @narehatedeath888
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