愛に生きた猫と青年

むむた

愛に生きた猫と青年

 昔むかし、あるところに貧しい一家がおりました。その家には大黒柱の父親と3人の息子が住んでおりました。


 父親は、力が強く自分に似た顔立ちの長男と次男ばかり可愛がり、死んだ母親似の力の弱い三男を冷遇していました。

 ですが、そんな生活も終わりを告げようとしています。父親が病気になったのです。

 父親は最期に、小屋を長男に、ロバを次男に、猫を三男に与えるよう遺言を遺しました。


「父さんどうして!?猫1匹じゃ明日の食い扶持だって怪しいじゃないか!父さんは俺に死ねと言いたいのか!?」


 三男改めジャックは乾いた笑いをこぼしました。


「ちょっとちょっと、あんた何言ってんのよ。この私を貰っておいてそんな言い方ないわ!今を嘆いたって仕方ないじゃない。明日は自分で切り開くものよ?」


 ジャックは驚きました。まさか猫が喋るだなんて。


「猫が喋った?もしかして俺、もう死んじまったのか!?」


「いや、死んでないわよ。というかそれだと私も死んでるじゃない!勘弁して欲しいわ。......ちょっと待って?あんた私好みの顔面してるわね。いいわ。助けたげる。」


 猫は面食いでした。


「もうダメだ。俺はもう死んじまったんだ。まだ彼女だってできたことないのに......。」


「うじうじうじうじ、うるっさいわねぇ。顔しか取り柄がないのかしら。はぁ何とかしたげるって言ってんの!いいから、私に従いなさい!」


 ジャックは考えます。


「どうせ死んでるなら、何したって変わらないよな。こんなリアルな死後の世界なんだ。ちょっとぐらい、この猫を信じてみるか。」


「いい心掛けね。いい?今から私が言うものを用意してちょうだい。まず、長くて立派な靴と大きな袋!」


「あ、ああ。わかった。けど、どうして長くて立派な靴と大きな袋が必要なんだ?」


 ジャックは戸惑いました。


「つべこべ言わずに用意する!と言いたいところだけど、まあいいわ。長靴って言うのはね、権力の象徴なの。貴族がよく履いてるからって言う馬鹿みたいな理由でね。で、大きな袋は、」


「大きな袋は?」


「秘密よ♡」


 長靴をはいた猫は、空っぽの袋を背負って、森に向かいました。


 猫はまずうさぎを捕まえました。心配で着いてきていたジャックは思わず拍手をしました。それほど鮮やかな手際だったのです。


「なに?ストーカーなの?」


「いやいやいや、仮に君の命綱のような存在が意気揚々と自分のそばを離れて、危険かもしれない森の中に入っていったら、そりゃ後を付けるだろ?」


「はーん。私が信用出来ないわけ?」


「違うよ!どっちかと言うと自分の心配をしてるんだよ!もし君が今俺を見捨てたら終わりなんだぞ!?」


「......言ってて恥ずかしくないの?」


「全くもって!」


 ジャックは少々情けない青年でした。


「それで?今日の晩飯は確保できたとして、なんで長靴が必要だったんだよ。」


 猫は深く溜息をつきました。


「これだから想像力のないバカは嫌いなのよね〜。」


「なんだよ。なんかおかしなこと言ったか?」


「いいえ?まあ、その見るからに小さそうな脳みそでよく考えたなぁと感心していたところよ?」


 ジャックはムカつきました。なんだかよくわかりませんが、とりあえずバカにされていることは理解できたからです。


「仕方ないわね〜。ちょっとだけヒントをあげるわ。いい?このうさぎはただのうさぎじゃないの。」


「......めっちゃうまいとか?」


「あら、いい線いってるじゃない。このうさぎはね、わかりやすく言えば、めっちゃすばしっこくてめっちゃ美味しいうさぎなの。」


「ほう。つまりこれを食べると俺がパワーアップできる......と。」


「うわぁ......。力がないことにコンプレックス抱えてるのは知ってるけど、努力するつもりもないのに理想を捨てられない男って。ないわー。」


 ジャックは半泣きになりました。


「夢を持つのは悪いことじゃないだろ!」


「ま、一理あるわね。たとえ到底叶わない夢でも、ないよかマシよね。」


「到底叶わなくもないはず......。」


「無理でしょ。さて、話を戻すわよ。まずこのうさぎを王様に献上する。」


「え!?」


「そして、王様とコネクションを作ったら、ここら一帯の領地を治めてるカラバ侯爵(笑)を説得して、貴方を弟にしてもらう。」


「え、ちょ。」


「そうしたら、あんたにはいい感じのタイミングで水浴びしてもらって」


「うぇ?おん、おん?」


「なんやかんやあって、あんたがカラバ侯爵の地位をGETって段取りね!」


「はぇ?」


 猫はパンクしたジャックを一瞥すると、鼻で笑い、王様の元へ向かいました。


 馬車を乗り継いで行けばあっという間に城下町に着くことができました。


 猫が言葉を使い、二足歩行する姿に人々は騒然とします。集団幻覚説が有力になると共に猫は王城に着きました。


 猫の様子は堂々としたものでした。ですから誰も「え、なんで猫なん?」という心情を外に出すことはできませんでした。


「我が主人・カラバ侯爵が狩りをしまして。獲物の一部を献上せよとの言いつけによりお持ちしました。」


 猫はこう言って、王様にウサギを献上しました。


 戸惑いつつも無類の猫好きな王様は、最近公務忙しかったしな、と休みの予定を入れることを決意しながら言いました。


「余からよろしくと侯に伝えよ。“貴公の心遣い、大変嬉しく思う”と。」


 こうしてヌルッと高難度ミッションを遂げた猫は、王様に認められた猫として、結局誰もツッコミを入れることなく、街に馴染んでいきました。


 これを繰り返して王様と仲良くなりつつ、猫はもうひとつのミッションに挑みます。


 灰色の防壁のような領主の館に猫は訪れました。


 ここに住んでいた本当の領主は魔法使いに倒されて、もう居ません。けれども、元々居た領主はさほど慕われておらず、誰が治めていようと生きていられればいい精神の領民にとって、領主がカラバ侯爵だろうが魔法使いだろうがどうでもよかったので、誰も王様に報告することはありませんでした。


 こうしてサラッと乗っ取った領主の館に魔法使いは住んでいます。


 猫はずんずん進んで行きます。そして勝手知ったる我が家かのように、最奥にある執務室のドアを開けました。


 そこにはくたびれた魔法使いの姿がありました。


「もう無理だ。なんでこんなに書類が多いんだ。そのくせ誰も褒めてくんないし、好きな子を盗み見る時間も取れないし、もうやだよ。僕領主辞めたい......。」


「なに机の上に突っ伏して湿気った雰囲気出してんのよ。きのこでも育てたいわけ?」


「あ、おかえり......。最近見ないと思ってたんだよ。どこに行ってたんだい?」


 猫と魔法使いは知り合いでした。


「そんなこと聞くなんてプライバシーの侵害よ!さいてー!」


「いやどこが。その反応ってことは例の家にでも行ってたんだね。」


「そーよ。で、領主業は順調?」


「全く?」


「そんなんじゃ、王様なんて務まらないんじゃない?」


「いや別に僕は王様になりたいわけじゃ、」


「でもこの国唯一のお姫様と結婚したいんでしょ?」


「まあ、はい......。」


 そう、この男性の名前はメイガス。ただのしがない魔法使いだったのですが、お姫様と結婚するには爵位が必要だという猫のアドバイスを受けて、領主を倒して乗っ取るような危険人物なのです。


「さて、カラバ侯爵?お姫様と結婚したいのは本当なのよね?」


 メイガスは素早い動きで顔を上げて叫びました。


「もちろん!!!彼女を初めて見た時、僕は彼女を一生笑顔にすると誓ったんだ。」


「ふーん。」


「そう、あれは12年前のこの国1番のお祭りの日。彼女は迷子になっていたんだろうね。街の中で泣きそうになっていた。それに僕はいち早く気付き!僕の魔法で彼女を笑顔にし!そして王城に送り届けたんだ!あれは運命さ!」


「うるさ。まあ本当ならいいんだけど。あんたらが両思いなことを確実にしたかっただけだし。」


「その時僕は思ったんdんうぇ?両思い?」


「そ、両思い。この前王城でお姫様とあったんだけど、その時お茶会したのよ。そこで探ってみたわけ。そしたら、小さい頃会った魔法使いの少年が忘れられないって。」


 魔法使いが痙攣し始めました。さすが危険人物、行動がいちいち気持ち悪いです。


「世界で1番の幸せ者は誰だと思う!!?この!僕だァァァァァァ!」


 叫んだ魔法使いは館を一周して戻ってきました。


「落ち着いた?」


「ああ、僕はいつだってクールな男さ。」


「へーそうなんだー。で、結婚のためならなんでもするわよね?」


「彼女と一緒になれるのなら喜んで!」


「じゃ、とりあえずあんた弟できるから。」


「ふぁ?」


「今度連れてくるわ。その時作戦会議しましょ。それじゃ。」


 猫は颯爽と消えていきました。


 数日後、領主の館の執務室は異様な空気に包まれていました。


「なあ!なんで俺はここにいるんだ!?」


 ジャックが小声で猫に尋ねます。猫はガン無視を決め込みました。


 メイガスがおずおずと話し始めます。


「あー、その、君の名前はなんと言うんだ?」


「失礼しました。私の名前はジャック。ツロイ村のジャックです。」


「そ、そうか。ではジャック。君がこれから僕の弟になるのだな?」


「え!?」


「え?」


 再び沈黙の時間になりました。そこで猫が笑いをこらえるようにして話し出します。


「なっさけない男たちね。もうちょっとコミュニケーション能力を持ちなさいよ。」


「仕方ないだろ!領主だぞ領主!下手なこと言って殺されたらどうするんだよ!」


「いや別に殺さないよ!?あと、畏まらなくて大丈夫だから。楽に話して。」


「ありがたき幸せ、いやありがとうございます?」


「まあいいわ、とりあえずあんた達は今日から兄弟ね。そして、1人はお姫様と結婚して、もう1人はカラバ侯爵の位を譲り受ける。こういう筋書きよ。わかったわね?」


「「いや全く。」」


「うんうん。物分りが良くてよろしい!さ、早速行動に移すわよ!2人が兄弟になるための契約書を持ってきて、ついでに以前の領主の遺言状をちょいちょいっと改ざんして、魔法使いの才を持つ者を時期領主とすることにした的な内容を入れて、下準備は完璧ね!」


「「えぇ。」」


「あら息ぴったり。完璧な兄弟ね。それじゃ、あとは流れに身を任せてくれれば大丈夫!」


 翌日、猫はジャックにある場所で水浴びをさせました。するとそこへ王様と姫が通りがかります。そう、猫は今日王族がこの道を通る予定を知っていたのです。


 猫はその馬車の前に出て言いました。


「大変です!カラバ侯爵の弟君が水浴びをしている最中に泥棒に持ち物を取られてしまいました。」


 人の良い王家の方々は、服と靴を用意してあげました。


 そこでジャックが言いました。


「なんとお礼を言っていいものか......。もしよろしければうちの館に招待させていただけませんか?」


 王様はいつも様々な形で献上品を持ってきてくれるカラバ侯爵への労いも兼ねて、赴くことにしました。


 王様たちが館に到着すると、カラバ侯爵が出迎えていました。


「ようこそお越しくださいました。敬愛なる国王陛下、麗しきティアラ王女殿下。」


 これを見たお姫様は驚きました。なぜなら在りし日の初恋の君に激似だったからです。


 お姫様は考えます。もしやこれは私のために爵位を得てくれたのでは?と。これは運命ではないか?と。今まで何故か全ての縁談が相手の不祥事で消え去っていたのは、彼と結婚するためだったのでは?と。


 お姫様はまだ夢見る乙女の1面を持っているのです。そして、相手方の不祥事は大抵この粘着質で一途でピュアな異常者である魔法使いによるものだとは一切気が付かずに、いや、気が付いていたとしても彼女は止まらなかったでしょうが、彼女は頬を薔薇色に染めて、王様に目配せをしました。


 彼を娘婿にする気はないか?と。


 王様大喜びです。今まで彼女が乗り気の縁談など1度もありませんでした。なのにも関わらず、この美丈夫で爵位もちょうどよく、頭のキレそうな青年を良いと思うなんて!王様は今すぐにでも縁談を結びたくなりましたが、グッとこらえて言いました。


「お招き感謝しよう。ああそうだ、このお礼に娘の婿になる気は無いか?」


 全然堪えられていませんでした。むしろ前のめりで聞きました。


 メイガスは気色満面で言います。


「光栄なことです!ぜひともその美しく気品漂う王女殿下と一緒になりたいと思います!」


 王様はこれに答えようとして、


「まあまあまあ、なんてこと!嬉しくってたまらないわ!これからずっとよろしくお願いいたしますわ!」


 娘に押し出されました。


 こうして、愛重めの魔法使いと、彼に夢見るお姫様は末永く幸せに暮らしました。そしてその後、カラバ侯爵の地位は彼の弟君に譲られ、その彼は悠々自適な生活を送りハッピーエンド、とはいかず。


 ジャックは疑問に思うことがありました。どうしてこんなにもトントン拍子に進んだのだろう。そもそもこの猫は何者だ?なぜ話せるのか、なぜ自分を助けてくれるのか。わからないことだらけでした。


 そこでジャックは父親の遺言状ともともと住んでいた家を捜査することにしました。


「親父の遺言状はどこにあるんだ?」


 ジャックは家中を探しましたが、遺言状は出てきません。そこでふと思い出します。


「あれ?俺親父の遺言状なんて見たことあったっけ?でも確かに手紙に書いてあったはず......。」


「手紙?誰からだっけ?」


 ジャックはぐるぐる部屋を回ります。


「......母さん?」


 ジャックの母親はジャックを産むと同時に亡くなっています。それはジャックにとって耐え難い事実だったので、彼は無意識のうちに母親の存在を消していました。


「小さい頃、入っちゃいけないって言われた部屋に入って、その時に手紙と母さんの絵を見たんだ。それで......。」


 ジャックは母親の命を奪って産まれたと言われ、疎まれていたので、父親がわざわざ遺言状に猫をやるなんて書くとも思えません。


「そこに、プリヤっていう女の子のことが書いてあって、その子を娘のように思っているから、魔法をかけると決めたって。」


 なんとジャックの母親は魔法使いだったのです。


「プリヤって誰だ?というかなんでそれが猫を貰うことに繋がるんだ?」


 ジャックはまたぐるぐる部屋を回ります。


「ああ、そうだ。そのプリヤって子を俺にあげるって書いてあって......?」


「あげるってなんだ?こ、婚約者ってことか!?」


 ジャックの顔に一気に血が通います。


「いやだから、なんでそれが猫に繋がるんだって。」


 ジャックははたと立ち止まって思いました。


「自分は馬鹿だからわからんな。」と。


 そこでジャックはトントン拍子に進んだ謎の方を調べることにしました。


 そこで新しく兄となったメイガスに連絡を取りました。


「やあ弟よ。どうしたんだい?聞きたいことがあるって。ん?ああ、ごめんね。片時も離れたくなくってティアラも一緒に連れてきてしまったんだ。」


「ごめんなさいね。お邪魔するわ。」


 全く悪びれずに2人は謝りました。


「あ、いえ。」


「......すみません。聞きたいことが曖昧っていうか、抽象的っていうか、その。」


 ジャックはノープランで聞きに来たために聞きたいことが言語化できず言葉に詰まります。


「全然いいんだ。弟の力になれるなら。僕頑張るよ!」


 お姫様の手前、カッコつけたい魔法使いです。


「じゃあ、お言葉に甘えて、そのなんというかトントン拍子に進みすぎじゃないかなって思ったんです。色々。」


 空間がピンッと張り詰めました。色々の中身を説明できないジャックの言語化能力の低さのせいではありません。その質問に答えるということは、2人が本当は兄弟ではなく、様々な画策をしていたことがお姫様にバレてしまうと思ったからです。そしてお姫様はお姫様で、秘密があるためです。


 意外と男前なお姫様は腹を括りました。


「その質問には私がお答えしましょう。私と猫は、実は協力者だったのです。ですから、貴方たちが兄弟になる契約書や諸々の手続きは私の方で工作いたしました。」


 衝撃の事実です。国家ぐるみの嘘だったなんて。そりゃあ上手くいかないはずがありません。


「猫には、この契約書を正式なものにすれば、初恋の君に会うことができるようにしてやると言われました。」


 ジャックは驚きすぎて、パンクしました。なので今日はお開きとなったのでした。


 数日後ジャックは考えました。なぜ猫が自分を助けてくれるのかについてです。答えを得るために様々な本を読みました。


「なるほどな。猫は俺のことが好きとみた!」


 読んでいたのは少年漫画と少女漫画だったようです。


「まてよ。これだけじゃ猫が話せる謎が解けないな......。」


 珍しくまともな思考をしているようです。


「わかった!人間に恋した猫の悲恋を哀れんだ優しい魔法使いもしくは神様とかそっち系が話せるようにしてやったんだ!」


 雑な結論づけでした。ジャックは続けてこう考えます。


「よし、結婚しよう!こんなにも自分を想ってくれる存在なんてそうそういないぞ!猫と人が結婚するなんておかしいかもしれないけれど、それがなんだ!なんとかなるさ!」


 結局ノープランでした。


 数週間たって、猫とお姫様はお茶会をしていました。

 桃の香りのする紅茶を囲んで彼女たちは話しているようです。


「貴女本当はジャックのことが好きで手伝ってたんじゃないでしょう?」


「......なぜです?私は心底あの人に惚れているわ!」


「嘘。貴女の瞳が言ってるわ。」


 長い沈黙が周囲を包みました。猫は1度カップを持ち上げて、そして降ろしました。


「じゃあ、仮に貴女がジャックを好きだったとして、どうして彼を拒むの?」


「それは......。仕方ないわ、じゃあ昔話をしたげる。」


「......それが、貴女がジャックのプロポーズを断り続ける理由なのね?」


「えぇ。」


 猫には秘密がありました。優しくて悲しい記憶です。


 猫は野良猫でした。灰色の美しい毛並みも、サファイアのような瞳も何もかもが薄汚れ、なんの価値もなかった時代があったのです。


 ひもじくて、凍えた冬のことでした。

 猫はある美しい女性に出会います。


 猫は一目惚れをしました。


「なんて美しい嫋やかな黒髪だろう。なんて柔らかくて暖かい瞳だろう。なんて綺麗に笑うんだろう。」


 猫の心臓は暴れ回りました。


 女性は視界の端で揺れる小さな影に気が付きました。よく目をこらすと、黒猫のようなものが見えます。


「あらあら小さな黒猫さん。遊びに来たの?いいわ、いらっしゃい。」


 声まで美しいなんて!猫は驚きました。そして恐る恐る近付きます。だってそうでしょう?美しすぎて、本当に生きている人間なのかも怪しいところですもの。


「そんなに警戒しないでこちらにいらっしゃい。貴方が嫌がるようなことはしないわ。きっと。」


 おっと?雲行きが怪しい物言いです。猫はやはり悪魔の類いであったかと納得しました。


 けれども猫はもう憔悴しきっていて、悪魔だろうが天使だろうが人間だろうがどうでもいいと思いました。


 そうして捕まった猫は苦手な水に長時間晒され小綺麗になり、窮屈な赤いスカーフを付けられてしまいました。


 女性は悪戯に笑います。


「ごめんなさいね。だって貴女ちょっと汚かったんだもの。それに私、黒猫だって思っていたから、昔買った赤いスカーフを持ってきちゃったわ。今度ちゃんと貴女に合うものを用意するから、許してちょうだい。」


 惚れた女には弱いもので、猫はそう言って笑う女性にもう怒りが湧かなくなってしまいました。


「ねえ、貴女に名前を付けてもいい?いいわよね?」


 女性はなかなか強引な性格でした。


「貴女の名前はプリヤ!この前読んだ本の中に出てきたの。どんな意味だったかは忘れたけど、でもきっといい意味だったわ!それになんだか可愛らしいでしょ?」


 猫は喜びました。初めて貰った名前。初めて貰ったプレゼントが、愛する女性からの贈り物なのです。猫は、いいえ、プリヤは心の底から喜びました。


 猫はあとから知ったのです。この時女性は身篭っていて、そして、子を産むか自分の命を取るかの瀬戸際だったと。本当は動くことを禁じられていたのだと。


 女性の夫はその女性をとても愛していました。だからこそ、死んで欲しくなかった。彼女を家に閉じ込めて、何日も何日も説得しました。


 それでも女性は頷きませんでした。


 女性は青空が大好きでした。少しでもいいから外に出て、空を感じたかったのですが、それを夫は許しませんでした。


 春と夏の混じったような日、彼女は1人の男の子を産みました。その日は、皮肉な程に快晴でした。


 プリヤは毎日毎日彼女に会いに行っていました。なので、ひとつだけわかっていることがありました。彼女は家族を愛していて、自分はきっと家族以上に愛してもらえはしないと。それでもプリヤは彼女の瞳に映る度に愛しくて堪らなくて、死んで欲しくないと何度も何度もなきました。


 彼女は死の間際、プリヤに言いました。

 産まれてきた子を頼むと。


 そしてそっとキスをしました。するとプリヤは話すことができるようになったのです。


「なぜそれで話せるようになったのかはわからないけど。遅すぎるわよね。ほんと。

 だってもう、言葉を1番伝えたかった人はいないんだもの。」


「その、女性は」


「彼女はプリシア、ジャックのお母さんよ。」


 お姫様は1つ喉を鳴らして、紅茶を飲みました。


「貴女って名前を大事にしてるのね。だから自分の名前も明かさなかったし、私の名前もジャックの名前も呼んでくれないのね。」


「そうね。そうかもしれないわ。」


 猫は口元を歪めて言いました。


「滑稽でしょ?もうとっくに猫としての寿命は尽きているの。それでも愛した人にすがって生き延びて。そんな私がどうして彼の横に立てるの?」


「貴方って不器用ね。いいじゃない。頷いちゃえば。どんな自分だろうと好きな人の隣に立っちゃダメな理由にはならないわ。」


「でも私は猫よ?」


「そうよ?素敵な毛並みと身軽さを持った素敵な猫さん?何を恐れるというの?」


「もし彼がやっぱり人間がいいって言ったら......。私......。」


 突然扉が開いて、メイガスとジャックが現れました。


 メイガスが言います。


「盗聴、盗み見は僕の十八番なのさ!」


 クソださい口上です。


「プリヤ!俺はバカだし、力もないし、母さんにはなれない!それでも、君が好きだよ!」


 ジャックは初めて誰かのために考え、真っ直ぐに伝えました。


「猫と人は一緒になれないわ!」


 プリヤがどこか苦しそうに叫びます。


「猫だろうが人だろうがプリヤがいいんだ!それに俺、目の前のことしか見えないから、プリヤ以外を見ることだってきっとできないよ!」


「でも、でも。」


 お姫様が猫に向かって言いました。


「いつもの自信はどこに行ってしまったの!大丈夫よ。きっと大丈夫。ジャックと貴女の結婚はこの時期王妃と次期王が認めてあげるわ!」


「ティアラ......。」


「プリヤ、君がどうしても猫を理由に断り続けるなら、俺にも考えがある。君を人間にする魔法をかけてやる。」


「そんなことできるわけないじゃない。だって貴方は魔法使いじゃないわ。」


「いいや、ジャックは魔法使いだよ。母君に似たんだろうね。それに僕がさっき魔法教えたし。使えるよ。彼は本物の魔法使いだ。」


「だけど、15歳になるまでに魔法を使ったことが無いものは魔法の才能があっても生涯で1度しか魔法は使えないって...。ここで使っちゃダメよ!」


「いいんだよプリヤ。自分の大好きな人に使えるのなら、それが最高の魔法になる。」


 猫はぎゅっと目を瞑って身を縮こまらせました。


 ジャックは優しく続けました。


「あのね。プリヤ。君は母さんに愛されていたよ。家族のように。嘘じゃないよ。母さんの手紙に書いてあったんだ。可愛い女の子。私の可愛い娘。どうか幸せになって欲しいって。プリヤに言葉をあげるために自分の一度きりの魔法をかけることに決めたって。本当は自分の命のために使おうと思っていたとっておきを、使いたいと思える大好きな子に会えたって。」


「じゃあ、私がいなければプリシアは生きていたの......?」


「いや、一度きりの魔法は不確実性が高くて、自分に使おうとすると9割の確率で失敗するんだ。もしも、君と出会っていなかったとしても、命懸けの出産後に魔法が成功する確率は、ゼロに等しいと思うよ。」


「メイガスの言う通りなんだ。だからこそ、魔法をかけたいと思えるプリヤに出会えたことは母さんにとって幸せなことだったんだよ。」


「そう、なのね。」


「プリヤ、君の名前はね、愛しい人って意味なんだよ。」


「.........。」


「プリヤ、君に魔法をかけてもいいかな。」


 沈黙の後、プリヤはこくりと頷きました。


 ジャックは真剣な眼差しで彼女に近づき、そして大きく深呼吸をしてから言いました。


「君が大好きだから、君のために使うんだよ。」


 するとプリヤは一瞬、プリシアの口癖を思い出しました。


「可愛いプリヤ。私の大好きなプリヤ。」


 そうして、プリヤとジャックはキスをしました。


 目を開けたプリヤは真っ赤っかな顔でジャックを睨みつけ、そして、幸せな顔をしてジャックと抱きしめ合いました。


 とある王国のとある伝説を知っていますか?

 美しい王妃様と賢く魔法の使える王様、そしてその弟君である愚直な青年と愛に生きた夫人の若き頃のお話を。

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