ポシロヴィスト

深川夏眠

pocillovist


 少年ラッド祖父グランダッドを手伝う。注文に応じて選別された卵を客に届けるのだ。

 エッグトレーを収めた木製のコンテナを自転車の荷台に積んでペダルを踏む。行き先は街角のレストランパブ、〈ジョニー&ブライアン〉。ジョニーとブライアンと名乗る二人の若い男が共同で経営していると聞いたが、本名かどうかはわからない。ともかく、祖父は彼らが提供する料理に最適な卵の生産者なのだという。

 いつも少年が裏口の呼び鈴を押すと、小柄でくせっ毛で眼鏡を掛け、柔和な笑みを浮かべたジョニーが現れて商品と請求書を受け取り、キャンディだったりクッキーだったり、何かしらをくれる。復活祭の頃にはチョコエッグを貰った。

 ところが、今日は営業時間前なのに表の扉が開け放たれていた。少年は自転車のチェーンロックを街灯のポールに括って様子を窺った。モニターにはどこかの試合が映し出されている。フリーキックのために主審がバニシング・スプレーを噴霧して芝に白い印を付けていた。

「坊主、入ってこいよ」

 少ししわがれた、ような声。ジョニーではない。床を掃除していたのは背が高く手足の長い、血色の悪い顔を黒髪で縁取った目つきの鋭い男だった。

 初めて遭遇した、これがブライアンか。荷物を運び込むと、カウンターに置けと手振りで指示された。

「ご苦労さん」

 ブライアンはサッカーの試合が気になって仕方ない様子。青いユニフォーム、背番号10のフリーキック。ボールは鋭い弧を描いてゴールへ吸い込まれかけたが、相手キーパーのファインセーブに阻まれた。

「チェッ」

 ブライアンは舌打ちするとポケットの小銭を置き物の中にチャリンと投げた。ジョニーと賭けでもしているのだろうか。だが、少年はコインを受け止めた入れ物の方が気になった。宗教画で見たせいさんはいを想起させる銀器で、仲間同士の戯れに用いるにはもったいない印象を受けたのだ。

 店内を眺め渡すと、そこかしこに配された装飾品は皆、小さな器で、材質やデザインは様々だが、共通の目的を持っていると察せられた。

「え?」

われなり」

 からかっているのか、ブライアンは芝居がかった調子で言い、少年がキョトンとしている間に厨房に入って、

「温め直して食べな」

 アルミホイルにくるまれた直方体を差し出してきた。

「わ、あ、ええと……ありがとう」

 少年は意想外の成り行きに面食らってした。きっとパンだろう。

「気をつけて帰れよ」

「う、うん……」

 威圧的かつ、どことなく不気味な風貌とは裏腹な優しさが、こそばゆかった。


 帰宅してキッチンで包みを開けてみると、現れたのは厚手のサンドイッチだった。少年はオーブンで少しばかり焼き直し、紅茶を淹れて、おやつにした。玉子と、恐らくリオナソーセージにオーロラソースをあしらい、申しわけ程度に刻んだキャベツを合わせたもので、食べきると満腹になった。

 少年はベッドに横たわった。夢の中は図書室だったので、辞書を引いてブライアンが放った言葉の意味を理解した。pocillovyヴィはエッグスタンドもしくはエッグカップを指し、pocillovyヴィstストとは、その収集家の意だったが、それにしても聖杯さながらの容器をのストッカーとして扱うのははなはだ冒瀆的ではなかろうか。すると、祈禱めいたおんじょうが流れてきた。少年は扉を開けて次のへ進んだ。玉座に腰を据えた黒装束のブライアンは魔王さながらの威容で、彼の周りにはいくつものポシロヴィが浮遊し、一つ一つの中にハンプティ・ダンプティに似た顔と四肢を備えた卵がピッタリ納まっているのか、いないのか、彼らはブライアンの霊力に縛られてもがき苦しんでいるかに見えた。ジョニーは澄ましがお侍者アコライトに扮し、金のワインカップ――多分、茹で卵もいい塩梅に収まりそうな――をジュエリークロスで磨いていた。ブライアンが寄越した玉子入りのパンを食べてしまったのだから、彼のしもべとして雁字搦めにされるかもしれないと少年は危惧した。途端に手足がバタバタ勝手に動き出した。このままでは宙に浮いてしまう――。


 口から卵の形をした魂を吐き出して、以後、ブライアンの操り人形と化すのではあるまいか……という恐れは目覚めと共に霧消し、少年はいつもどおり宿題を済ませ、祖父と夕食を取り、風呂に入って就寝した。


 翌日、様子を窺いに自転車で〈ジョニー&ブライアン〉へ向かうと、絶妙なタイミングでジョニーが裏から顔を出した。少年は駆け寄って、昨日ブライアンにサンドイッチをご馳走になった、おいしかったと礼を言った。

 すると、ジョニーは怪訝な面持ちで、

「何の話? 誰のこと?」

 なにやつと問うならば、この店名が意味するところは一体……と切り込みたいのをグッと堪えて、少年は、

でサッカーフリークのブライアンだよ。店の中で試合を観ていた……」

「ちょっと待って。僕もフットボールマニアだけどね、昨日はテレビ中継された試合はなかったはずだよ」

「……」

 ひょっとして、自分はもう魔王がジャグリングに使うポシロヴィの一つになっているのだろうかと思うと、少年は喉元につるんとした卵が一つつかえている気がしてきた。



              pocillovist【END】




*2025年12月書き下ろし。

**画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/WQdIUwYO

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ポシロヴィスト 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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