年越し蕎麦・イン・ニューヨーク~摩天楼よ啜れ~

ビヨンドほうじ

第1話 年越し蕎麦・イン・ニューヨーク~摩天楼よ啜れ~


2025年12月31日、午後9時10分。 ニューヨーク、タイムズスクエア。降りしきる雪が、巨大LED広告の光を喰らい、摩天楼をうつろな墓標として飾り立てていた。


新年といえば、かつてはシャンパンを開けていたものだが、今や、誰もが「年越し蕎麦イヤークロッシング・ソバ」という生存許可証を求め、血眼になっている。


「20年前は皆、ピザを頬張ってたってのに」


刑事マーカス・コールマンは、時代がかったトレンチコートの襟を立てた。吐き出したため息は、路上の蒸気塔が噴き出す白い柱と一緒に、黒々しい夜空に消えていく。


「どうしちまったんだこの街はよ」


今、この街で、大晦日に「SOBA」をすすらぬことは、死を意味する。


社会的な死、文化的な死。


「年越し蕎麦」が一大ムーブメントとなって以来、上質な蕎麦粉の供給網は、どんなドラッグよりも利益の出る権益と化していた。


「蕎麦のどこが正気ソバーだ」


思えば、アーティストどもが「しらふへの好奇心ソバー・キュリアス」だの言い始めたときから嫌な予感はしていた。今やギャングスタラッパーまでも「正気ソバー」がクールだとかぬかしやがる。sober正気と「蕎麦」の軽率な韻がビルボードを埋め尽くす頃、「蕎麦」は「正気ソバー」の守護聖像イコンとなった。


「蕎麦」を年末に食べる。


極東から来たこの奇妙な習慣は、新しいもの好きのニューヨーカーの間で瞬く間に広がった。

今や地下鉄のネズミでさえ蕎麦の食べ残しを奪い合ってる。


ようこそ狂気の時代へ。


マーカスはカウントダウンイベントのために封鎖されたタイムズスクエアの警備を確認してから、シアターディストリクトを横切って、西、ヘルズキッチンへ向かう。


9番街には今や無数の蕎麦屋が立ち並ぶ。寒空の下、湯気と出汁の香りに連なる人々。その行列の長さと熱気は、かつての5番街アップルストアのiPhone発売日をも凌駕する。この湯気の向こうで、目を背けたくなるほどの黒い金と暴力がうごめいていることに、並ぶ有象無象は気づいているだろうか 。


レストランからあぶれた男女が、湯気が立つソバボウルに顔を突っ込んで恍惚の笑みを浮かべ、寒空に蕎麦を手繰る事を、至上の喜びであるかのように語る。


マーカスはその浮かれた様子を冷ややかに見つめる。


「この街に正気の精神ソバースピリッツが残ってるのか怪しいもんだ」


蕎麦屋に並ぶ時間も興味もマーカスにはない。

刺すような寒さから逃げるように、なじみのバーのドアを蹴り飛ばして駆け込む。


新年のカウントダウンを前にしてにぎわうバーの中でも、相棒ベンジャミンの長身は目立つ。ヤツの数少ない長所だ。20代後半、学生らしさが残るものの鋭い顔立ちをしている。防寒性に優れたユニクロのヒートテックを着込み、黒いジャケットを羽織っている。Z世代のソバーキュリアスな若者。


「ベンジー」

「コールマン刑事。ベンジーはやめてください」


マーカスは取り合わず、20ドル札をカウンターに滑らせる。

「オールドフォレスター、ストレートだ。チェイサーは川の向こうニュージャージーに捨ててこい」


「コールマン刑事、勤務中ですよ?またポスト紙にひどく書かれますよ」

「俺のスピリッツに文句をつける権利を連中にやった覚えはないな」

「私も一緒に書かれないことを祈りますよ」

ベンジャミンが陶器のグラスを持ったまま、肩をすくめる。


マーカスは相棒のグラスを満たす白と茶に濁った液体に視線を落とす。

「なんだそれは?イースト川の泥でも飲んでんのか?」


「これは『蕎麦湯そばゆ』ですよ。ご存じありませんか?今は『年越し蕎麦』を食べられないんだ。これくらいは許してくださいよ」


「『蕎麦湯』ってのは何だ?」

「文字通り『蕎麦』を茹でた汁ですよ。これを蕎麦汁で割って飲むのが『イキ』ってやつです」

「なにがイッキーネバネバだって?」

「『イキ』です。『粋』こそ、ニューヨーカーが蕎麦を選んだ理由です」


イッキーネバネバなパスタの茹で汁飲んでご機嫌とは、正気ソバーが聞いて呆れるぜ」

マーカスは呆れたような軽蔑の視線を送る。


「からかわないでくださいよ。蕎麦ってのは『粋』の証なんです。年越し蕎麦は細く長く、災厄を断ち切って新年を迎える『粋』な心構えなんです。『粋』をマスターすれば、ワビサビをわきまえたタツジンになれるんです」


熱弁をふるうベンジャミンを遮って、マーカスは聞く。

「そうかよ。タツジン=サン。で、ちゃんと成果は出したんだろうな」


ベンジャミンの浮かれた目が落ち着いて、耳打ちをする。

「入り口のメッツの野球帽をかぶった男が、例の『ソバ・マフィア』です」

入り口の近くにいるその男はスマートフォンとにらめっこしたかと思えば、きょろきょろと周囲を窺う。刑事でなくても警戒するだろう。

この一帯を牛耳る「ラ・フォンテ」であっても、末端構成員は優秀とは言い難いようだ。


「同じメッツファンとして、情けねぇぜ。こんなんだからこらえ性がないと言われるんだ」

マーカスがバーボンをすすりながら悪態をつく。


リトルイタリーを根城にする「ラ・フォンテ」は古株のイタリア系マフィアだ。チャイナシンジケートに押されジリ貧だったが、伝統的なデュラムセモリナ粉の流通網を蕎麦粉に転換したことで勢力を伸ばし、息を吹き返した。

かつてはホールフーズでつつましく売られていた日本産の蕎麦粉は目をむくような末端価格で取引されている。蕎麦への渇望と気まぐれな関税が、新たな闇経済を作り出した。


「連中、JFKで信州産メイド・イン・シンシューの蕎麦粉を強奪して、さらに蕎麦職人を誘拐したらしいな?」

「えぇ、PAの連中ポート・オーソリティもしぶしぶ認めてました。時代遅れのマフィアは大胆かつクラシカルで驚かされますよ。そのうち裏切り者をバットで殴り殺しかねない」


野球帽の男は、スマートフォンから目を上げると、突然、逃げるように出口へと向かった。

支払いもせずに出ていくつもりだ。


「なにか緊急事態のようだな」

「えぇ」


二人も弾かれたように店を出る。ターゲットは蕎麦屋にならぶ行列をかき分け、47番通りを東へ駆けていく。カウントダウンイベントを待つタイムズスクエアの方角だ。


「てっきり人が少ないハドソン川の方に行くのかと」

「知るかよ。7番線でシティ・スタジアムにでも行きたいんだろ。追うぞ」


野球帽の男は脇目も振らず冷え切ったマンハッタンを走る。そして、ブロードウェイの手前で、男はフードトラック「ハラルガイズ」――チキンオーバーライスに加えて、鴨南蛮蕎麦を売ってビジネスを拡大した――の横をすり抜け、工事現場に駆け込んだ。


「やつはどこに行くつもりなんです?」

「おそらく地下の蒸気供給システムの空間だろう」


この街には未だに暖房に使う温水を処理する迷宮のようなシステムが張り巡らされている。誰も訪れないその空間は、闇の取引にはうってつけだ。


二人は男の後を追い、地下の蒸気迷宮に足を踏み入れる。湿った熱気と、電力会社コン・エジソンの管理ミスを糾弾するかのような蒸気の轟音が響く。

摩天楼の華やかさとは無縁の世界。


野球帽の男は、地下のさらに奥、レンガで出来たサービスルームに入っていった。


二人は慎重に入口から部屋の中を覗く。

蒸気供給室にしては大きいその空間は、明らかに違法に改築されたもの。レストランの厨房じみており、巨大な寸胴鍋と蕎麦粉、麺が所狭しと並び、醤油と出汁の香しい匂いで満たされていた。


いかついマフィアが並ぶ中心にいるのは、日本人らしきシェフ。緊張した面持ちでおっかなびっくり調理をしている。


シェフの背後のテーブルでは威圧感ある白いスーツの男が一人で蕎麦を手繰る。轟音と蒸気の中、悠然と高価な蕎麦を楽しむ男。蕎麦の打ち粉のような純白のジャケットにつゆが跳ねるのも厭わないタフガイ。ラ・フォンテ幹部のトニーだ。


「なるほど。考えたな。蒸気チェンバーなら、蕎麦を茹でる湯気もごまかせるってわけだ。トニーまで出張ってやがる。でかいヤマだ」

「マーカス刑事、増援を呼びますよ?」

ベンジャミンは通信機に手を伸ばす。


「いや、このまま突っ込む。行くぞベンジー」

「2人じゃ無理ですよ!」

再び、相棒の苦情を無視してマーカスは銃を構えながらチェンバーに突入する。


「NYPDだ!手を上げろ! その麺と汁を置け」


チェンバーを満たす騒音と熱気をマーカスの怒声が貫く。不意を突かれた下っ端たちは、抱えていた木箱を落とし、かび臭い床に切りたての蕎麦がぶちまけられる。


白いスーツの男が椅子から悠然と腰を上げる。

「コールマン刑事か。久しいな?あんたもざる蕎麦を一枚ワン・トレイどうだ?」

ラ・フォンテの幹部、トニーが余裕綽々に近寄り、ざる蕎麦を一枚差し出した。


「トニー。窃盗と拉致監禁に加え捜査官への買収行為。罪状認否が長くなりそうだな?」

「ヌードルを茹でるのが罪だと? この国は自由の国じゃなかったのか?」

買収が無駄だと悟ったトニーはざる蕎麦をテーブルに下げる。


「その粉が、信州産メイド・イン・シンシューの盗品じゃなければの話だ」

「知らんね。俺はてっきり、オレゴン産の蕎麦粉だと思ってたがね?」

トニーは図太くしらばっくれる。


「大陪審でそう主張してみろ。だが、パスタから蕎麦に鞍替えしたお前の言葉を誰が信じると?パスタはファミリーの魂だろ?」

「俺の祖父さんは禁酒法時代にカナダからジンを運んだ。親父はデュラムセモリナを牛耳った。そして俺の代は蕎麦だ。強い奴が勝つんじゃない。適応した奴が勝つんだ」

「ダーウィンの自然淘汰をお前の口から聞くとはな。存外、学があるじゃないか?ワイズ・ガイ?」


マーカスは顎でベンジャミンに指示する。ベンジャミンはしゃがみ込み、紙袋に小さな穴をあけ、粉を確認する。

「間違いありません。最高級の信州産だ。不純物ゼロの上物です」

「職人を拉致して盗品の十割蕎麦ピュア・ソバで荒稼ぎか。種銭なしの阿漕な商売じゃねぇかトニー」

立ちすくんでいた日本人シェフがマーカスたちに救出を求める。

「た!助けてくれ。空港に着くなりこいつらに拉致されたんだ!」

再びマーカスはベンジャミンに指示し、日本人シェフの身柄を確保する。


「なぁ、トニー。長い付き合いだ。ここで引くなら、この日本人が観光中にうっかり工事現場に入ったってことで済ませてやってもいい……盗難にあった蕎麦粉も何故かそこにあったともな」

「おいおい、なんで俺たちがしのぎを諦めなきゃいけないことになってんだ?」

トニーは悪びれずに答える。


「いいか、聞け」

マーカスはちらりと時計を見てから、銃を下ろし、あえて両手を広げて歩み寄った。

「あと一分で新年だ。どう迎えるかはお前次第だ」


23時59分、世界中の10億人がタイムズスクエアボールの降下を見つめている時刻。かたや誰の目も無い地下でマーカスは選択を突きつける。


「このまま増援がくれば、お前たちは全員新年をブタ箱で迎えて凍りかけのベーグルを食うことになる。そして、その極上の蕎麦は証拠品として没収され、警察署の冷え切った保管庫で乾燥してゴミになる」

「蕎麦嫌いのあんたが蕎麦を守る日が来るなんてな」

「お前の言う通り蕎麦なんて好みじゃねぇが――なんであれ、市民の財産は守らんとな」

「へっ。いつになくセンチメンタルだな」

「知ってるか?なぜニューヨーカーが蕎麦を選んだのかを」

マーカスの声がチェンバーに響く。


「お前が知ってるとも思えんな。マーカス」

「ベンジーの受け売りだがよ、『イキ』だからだってよ。粋は知らんが、厄介ごとを断ち切って新年を迎えるのはこの街の流儀として悪くない。銃声で幕を開ける新年に、何の意味がある?ノーナンセンスだ。トニー」


街全体から地を揺らさんばかりのカウントダウンが聞こえ始めた。

「10……9……8……」


マーカスは再び銃を構える。


「トニー、お前はこの大晦日、愛娘と蕎麦を食うと約束していたはずだ。この蕎麦の香りを台無しにしたくはないだろ?」

「どうかな?少なくともお前の血が付いた蕎麦は願い下げだが」

トニーもゆっくりと銃に手を伸ばす。


「5……4……3……」

カウントダウンが街を揺らす。


「折衷案だ。蕎麦は持ってけ。粉は押さえさせてもらう。そして、この地下室から消えろ。今すぐにだ」


「2……1……! HAPPY NEW YEAR!!」

タイムズスクエアを紙吹雪が制圧し、マンハッタンの夜空に大輪の花火が弾ける。


トニーは目を伏せ、銃を握ることなく手をあげた。


「ちっ。わかったよマーカス。茹でた蕎麦はもうUber Eatsが運んで行った。今日の営業はしまいだ」

「賢明だ。お前が長生きしてる理由が分かったよ」

マーカスは無表情のまま銃を下げる。


「テメエら!引き上げるぞ!」

トニーの一声でラ・フォンテの面々は打ちたての蕎麦を持ったまま、ぞろぞろと出口へと向かった。残されたのは寸胴鍋の水蒸気と蒸気システムの轟音。


「ふう。コールマン刑事。新年早々こんな無茶に付き合わせないでくださいよ」


マーカスはまた相棒の苦情を無視して、日本人シェフに声をかける。

「そこの日本人。無事だったか?名前は?」

「蕎麦職人、佐藤と言います。いやぁ、ニューヨークは怖い街ですね」

拙い英語が震えてさらに聞き取りにくい。


「この街じゃ蕎麦職人は絶好のターゲットだ。金のネックレスをした億万長者ビリオネアより狙われやすい」

「本当に怖い街だ」

佐藤は大げさに身震いしてみせる。そして日本式の深いお辞儀。


「ありがとうございます」

ようやくマーカスの心に温かいものが灯る。


「お礼に、腕によりをかけて蕎麦をうちましょうか?」

「わりいな。俺は蕎麦は苦手なんだ。そっちのベンジーにでも打ってやってくれ」

「ホントですか?!」

ベンジャミンは目を輝かせている。


「俺は帰って一杯ひっかけることにするよ」

手を振りながら、踵を返したマーカスの背中に佐藤が新たな申し出をした。

「あ、お酒を飲まれるんですね?ではこれはどうでしょう?」

佐藤はバックパックから瓶を取り出して、手近にあった蕎麦猪口に注ぐ。


瓶に東洋の文字が書いてあるが、マーカスの目にはのたうつドラゴンのようにしか見えない。判別不能だ。

マーカスは佐藤の差し出した陶器を受け取り、鼻をひくつかせる。刺すようなアルコールの香り。


「これは?」

「日本の蕎麦焼酎です。蕎麦の蒸留酒ソバ・スピリッツですよ」


「は……しらふの蒸留酒ソバー・スピリッツとはな……気に入った」


喉をぐびりとならして、一気にあおって飲む。

渇ききった喉を焼くきついアルコールだ。

これが「正気の精神ソバー・スピリッツ」とは日本人のユーモアも悪くない。

毒舌のフラン・レボウィッツも、これには顔をしかめるだろう。


「ハッピーニューイヤー!蕎麦に乾杯だ。ベンジー、お前も一杯やれ」

マーカスの哄笑が、地下室の騒音に負けじと響き渡る。


「私はここにあるザル蕎麦の残りをいただきますよ。

 あぁこんなところで信州産メイド・イン・シンシューが食べられるなんて」

「私が打ちなおしますよ。十割蕎麦でも二八でも」

「本当ですか!?」

佐藤の申し出にベンジャミンは少年のように目を輝かせる。


蒸気に満ちた地下室に舞う蕎麦粉が、新年を祝う雪のように輝いていた。


(完)

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