新しい口
悪魔は少女を優しく見つめながらゆっくりとその口を開いた。
「良いかい。私は君の言葉の通りにその口を頂いた。だけど、その口を奪ってしまったら君は口で息をすることも出来ないし、何かを食べたり飲むことも出来ないだろう?」
少女はまだ幼いその顔の眉毛をへの字に歪めながら悪魔の言葉に耳を傾けていたが、その言葉の意味が分かると大きく目を見開き、大きくその口を開いて驚きの表情を作った。
「息が出来なくて、ご飯が食べれないなら私直ぐに死んじゃうの?」
子供らしい感想を口にして両手で口元を覆った少女は、自分が深く考えずに口にした言葉の意味を理解したのだろう。今にも泣き出しそうなほどにその表情をくしゃくしゃにしていた。
「そうだろう、そうだろう。漸く気が付いたかな。<口>の大事さを」
悪魔の言葉に少女はいつの間にか零れていた涙を病衣の袖で拭いながら、小さく何度も頷いていた。
「私は悪魔と言ってとても悪い存在だ。でも、君は幸運なことにその悪魔の中でも飛び切り優しい私と契約を結んだ。他の悪魔であれば、意地悪な契約を結び、願いを叶えた後、直ぐに君の事を食べてしまったかもしれない」
少女は悪魔の難しい言葉は殆ど理解が出来ず、「食べてしまった」という言葉だけがその耳に残った。だから、思った疑問をそのまま口にした。
「私も食べられるの?」
口を両手で覆ったままくぐもった声を漏らし、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら少女は必死の表情で悪魔を見上げていた。
「いいや、食べないよ。君から貰った<口>があるからね。これでもう十分だ」
悪魔はそう言って右の掌を掲げた。
その掌の5センチほど上に<口>がぼんやりと光りながら浮いている。
「私の口なの?」
「そうだよ」
「じゃあなんで私は喋れるの?」
「それはね」
悪魔はそう言うと、悪魔らしくニヤリと笑った。
「君には新しい<口>をプレゼントした。とても<良い口>だよ。きっと、誰もが羨むだろう。君以外の誰もがだ」
悪魔の言葉に少女は口に当てていたその両手をゆっくりと離すと、小さな右手の人差し指でその唇をなぞる。
「新しい<口>」
「そう、新しい<口>だ」
悪魔はそう言うと右手をゆっくりと閉じる。するとその上に浮かんでいた、少女の光る<口>は幻の様に消えた。
「いいかい。良く憶えておきたまえ。その新しい<口>は君が口にした事を本当のことにしてしまう力を持っている<良い口>だ。でも、注意をしなければならないよ」
悪魔は少女の前に屈み込むと、その目線を合わせて優しく微笑む。
「少し長い話になるが良く聞いておいてほしい。
一文字の言葉。これは何も起こらない。安心しても良い。
次に二文字の言葉。これは注意したまえ。その二文字の言葉を口にすると君は大事な何かを失うだろう。
次に三文字の言葉。これが良い。この三文字の言葉は君が望むままに全てが実現する。……ああ、難しい言葉だったね。もう少し優しく伝えよう。三文字の言葉は本当になる、本当に起こってしまうと言うことだ。たとえば、<あつい>といえば何かを<あつく>する。<こおる>といえば何かを<こおらせて>しまう。何、簡単だ。此処から出たあとに存分に試してみるといい。何せ君の<口>は<良い口>だからね。
そして次、四文字の言葉。これはいけない。三文字の言葉と同じように、言ったことは本当になるのだが、そうした場合私は君の魂をつまみ食いしなければならない。でも安心したまえ。一口には食べてしまわないことは約束する。どうしても必要なときには良く考えてから使ってみると良い。
五文字以上の言葉はダメだ。君に<良い口>を与えたことがばれてしまう。そうなってしまったら私は君のことを食べてでも、<なかったこと>にしてしまわなければならない。
最後にとても大事なことを言うよ。この<良い口>は君が瞬きをする間に一度しかその力を使うことが出来ない。勿論、わざと瞬きをしてしまうのはダメだよ。ずるをしても何も起こらないからね。君が自然と瞬きをするまでに一回だけだ。そしてこの<良い口>は君が知らない事には効果を現さない。分かったかな?」
悪魔の言葉に少女はごくりと唾を飲み込んで頷いた。
「消して忘れぬよう、君の魂に刻もう」
悪魔はそう言うと人差し指をゆっくりと少女の胸に突き刺した。
その指が嘘の様に少女の胸に刺さり、貫くが、出血をした風はない。ただ一度少女はびくりと大きく体を震わせただけだった。
「これで良い」
悪魔はそう言うと、ゆっくり指を引き抜いた。
「さぁ、では行き給え。くれぐれも<口>には気をつけて。口は災いの元と言うからね」
世界が、暗転した。
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