5:職人の魂、お届けします
銀座の老舗和菓子店『瑞月』。その厨房に漂うのは、厳選された小豆の甘い香りと、張り詰めた緊張感だ。俺がバッグから取り出したのは、第30階層『豊穣の迷宮』の最奥、魔素の吹き溜まりにのみ自生する苺――【紅蓮の雫】。
「⋯⋯相変わらず、完璧な状態で持ってきやがる」
店主は感嘆の溜息を漏らし、その巨大な苺を専用のトングで慎重に持ち上げた。この苺は、ダンジョン内の高純度な魔素を吸って育つ。そのため、地上に出した瞬間から構成物質の変質が始まり、数分も経てば自重で潰れて、ただの赤い水へと還ってしまう。
「お前の【絶対配送】がなけりゃ、この『紅蓮の雫』はこの世に存在すらできねぇ。⋯⋯よし、始めるぞ。」
店主が重厚な「あんこ」の塊を手に取る。苺の表面を薄く、かつ均一に覆うように纏わせていく。
「いいか。苺単体じゃあ、ちょっとした振動で果肉が死ぬ。だが、こうして粘り気のあるあんで包み、さらにその上から
店主の指が魔法のように動き、白く美しい大福が桐箱に並べられた。俺はそれを速やかにデリバリーバッグに収納する。
「預かります、親方。最高の状態で、届けてきますよ」
◆◆◆
――回想を切り裂くように、俺は第60階層の闇を爆走していた。
『レンさん、第55階層通過!』
『てか瑞月の大福って、レンさんが苺を仕入れてる時しか作られない激レア品だろ!?』
『そうそう、カグヤ様はそれ知ってて指名したんだよな。この二人の関係⋯怪しい⋯』
配信画面のコメントが流れていく。
元々、店の常連だったカグヤが、親方にイチゴの輸送について相談されたのが始まりだった。
その時、俺の知名度はそこそこ上がっていたが、俺の配達は、ダンジョン内限定だった為、冒険者にしか知られていなかった。
直ぐにカグヤは、俺に連絡をしてきた。その結果生まれたのが、このイチゴ大福だった。
親方のご厚意で、俺とカグヤは、紅蓮の雫を持ってくれば、直ぐにイチゴ大福を作ってくれるのだ。
第55階層、キメラの巣。
空を埋め尽くす魔物の群れの上を、迷宮の壁をタイヤで捉え駆け抜ける。数分後に俺は日本最強パーティが休息する第60階層のセーフエリアへと滑り込んだ。
「流石レンさんね!⋯⋯一分一秒の狂いもないわね」
砂煙を上げて停止した俺を見て、カグヤさんが確信に満ちた笑みを浮かべて立ち上がった。
俺はバッグから桐箱を取り出し、蓋を開ける。瞬間、閉じ込められていた店主の魂――朝獲れの苺の爽やかな酸味と、炊き立てのあんこの甘い香りが、地下60階層のよどんだ空気を一気に塗り替えた。
「これ⋯⋯本当に『瑞月』の⋯⋯! 配送不可、賞味期限2時間⋯⋯幻のイチゴ大福⋯」
驚愕するパーティメンバーたちに、カグヤが誇らしげに胸を張る。
「当然です。この大福は、レンさんが苺を運び、店主さんが包み、またレンさんが運ぶ⋯⋯彼ら二人にしか作れない、世界で一番贅沢な一品なんですよ?」
俺は魔法瓶から、香ばしいほうじ茶を全員に注いで回る。大福を一口頬張った重戦士の男が、その場で膝をついた。
「なんだこれ⋯⋯苺が弾けた。あんこの甘みが、疲れ切った脳に直接染みる⋯⋯っ!」
カグヤさんは、仲間たちの顔に生気が戻っていくのを見て安堵の息を漏らすと、俺の隣にもじもじしながら座った。
「…これ。」
俺にすっとイチゴ大福を差し出してきた。
「あなたの分も注文しておいたの。食べるでしょ?
」
「えっ、俺の分まで⋯⋯?」
「べ、別にいらないなら私が食べちゃいますけど、あなたも疲れてるでしょ?疲れた体に甘い物は最高よ?いいから、食べなさい!」
ぷいっとそっぽを向いた、最強の探索者。悪戯っぽく、けれど可愛げのある瞳で俺をちらちら見てくる。
「ありがとうカグヤさん。ありがたく頂戴します。」
極層の冷気の中、二人で並んで大福を頬張り、温かい茶を啜る。苺の力強い躍動感。それを共に味わうこの時間は、俺にとっても何物にも代えがたい「報酬」だった。
「⋯⋯美味しいでしょ?」
「はい。以前食べた時よりも美味しく感じますよ、カグヤさん。」
「…レンさん、私もあなたの事は、レンと呼びますので、私のこともカグヤと呼び捨てにしなさい。」
またぷいっとするカグヤだが、耳が真っ赤になっている。可愛らしい女性だ。
返事をしようとした、その時だった。
その至福の時間を、スマホの不快な震えがぶち壊した。画面に表示されたのは、元パーティリーダー・ガイルからの、身勝手を煮詰めたようなボイスメッセージだった。
『おいレン。お前、俺たちに無断で商売を始めてるらしいな。規約を読み直せ。パーティ在籍時および、脱退から一年以内の収益は、すべて「育成費用」の返済としてメインパーティに帰属する。
お前が今稼いでいる金も、使っている機材も、すべて俺たちの所有物だ。
今すぐ売上の全額を振り込め。さもなきゃ、お前を「横領罪」でギルドに突き出す』
「⋯⋯⋯⋯」
呆れて、言葉も出なかった。無能だと罵り、一方的にクビにしたくせに、俺が独立して稼ぎ始めたと知るやいなや、過去の契約を持ち出して「お前の稼ぎは俺のもの」と言い出したわけだ。 その強欲さに、俺は怒りを通り越して乾いた笑いが出た。
俺の隣で、ボイスメッセージを聞いていたカグヤの周囲の空気が、パキパキと音を立てて凍りついていく。
彼女が握っていたカップの茶が、一瞬で芯まで凍りつき、冷気が霧となって彼女の足元を白く染めた。日本最強の魔導師が放つ、無意識の殺意だ。
「……このゴミの処理、私がしましょうか?
彼女の瞳は本気だった。
だが、俺は落ち着いて予備のバッグから新しいカップを取り出した。魔法瓶から、まだ湯気の立つ温かいほうじ茶を注ぎ、彼女の凍りついた手元へと差し出す。
「こほん…カグヤ、体冷やしちゃいますよ。⋯⋯そんな奴らのために、せっかくの美味しいお茶の時間を台無しにしないでください」
その瞬間、カグヤさんの表情が、陽だまりに触れた氷のようにふわりと溶解した。彼女は驚いたように目を見開いた後、受け取ったカップの温もりに目を細め、小さく「ふふっ、カグヤですって…」と笑い声を漏らす。
「ありがとう、れれれ…レン…」
レレレのレン……聞き覚えのあるフレーズ。
カグヤの顔は、尋常じゃない位、真っ赤に染まっている。
俺はデリバリーランサーに跨り、一気にペダルを垂直に立てた。
「あんなクズの相手は、俺だけで十分です。カグヤ、お茶会の続きは、また後で」
「レン、一人で行くのは、あぶ…」
カグヤさんの静止を振り切り、俺はセーフエリアの端、地上まで直通しているという大縦穴メイン・シャフトへと自転車を向けた。迷宮の全階層を貫くその巨大な空洞は、本来なら誰も立ち入らない奈落だが、俺にとっては高速道路扱いだ。
「まったく! 常識が通じないんだから!フフ」
カグヤの笑い声を背に、俺は断崖の縁を全速力で蹴り、そのまま垂直の壁面へと真横に突っ込んだ。
車輪が壁に触れた瞬間、磁石に吸い寄せられるように機体が固定される。重力という概念を書き換え、垂直の壁を平坦な直線として認識した俺は、ペダルを踏み込んだ。重力に抗い、地表へと続く数千メートルの壁を、一本の青い閃光となって一気に駆け上がり始める。
「待ってろよ、ガイル……。特別料金をふんだくってやる!!」
俺は迷宮の闇を切り裂き、最短ルートで地上へ向かった。
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