おすすめ不能
@zeppelin006
おすすめ不能
朝、目が覚めた瞬間から、画面が光る。
枕元の端末が勝手に起動し、僕の睡眠の質を採点する。六十七点。理由は『中途覚醒』と『夢の濃度が高い』。夢の濃度ってなんだよ、と言いかけたところで、次のカードが出る。
――本日のおすすめ:二度寝(9分)
僕は笑ってしまう。二度寝は、習慣じゃなくて嗜好品になったらしい。端末は僕の笑い声の震えを拾い、『気分良好』を付け足す。そういう所が嫌いだ、と僕が思った瞬間、画面の右上に小さなボタンが現れる。
『おすすめを調整する』
僕は押さない。押すと負けた気がする。押したら、僕がこの世界と交渉したことになる。交渉した瞬間、こちらのカードが切られる。僕は眠い目のまま起き上がり、歯を磨く。
洗面台の鏡が、僕を映すより先に提案を映す。
――本日のおすすめ:表情筋ストレッチ(28秒)
要るかよ、そんなもの。拒否したい。拒否ボタンはある。昔は『×』だったが、いつの間にか『学習しない』に変わった。
僕は指を伸ばして止める。『学習しない』を押すと、別の場所で同じ提案が回り道して帰ってくる。もう経験済みだ。『表情筋ストレッチ』を学習しないと、翌日『笑顔が出やすくなる呼吸法』が出る。さらに拒むと『初対面で損しない口角角度』になる。消えない。形を変えて残る。
提案は、逃げ道の方が得意だ。
通勤電車に乗ると、改札が僕の歩幅を読み取って、『遅刻リスク:低』と表示する。僕が安心する。すぐに広告が出る。
――本日のおすすめ:安心の定期積立(つみたてN)
――本日のおすすめ:安心の相手(あなたに合う人)
――本日のおすすめ:安心の退職(次の一手)
安心、安心、安心。僕が欲しいのは、別に安心じゃない。僕が欲しいのは……何だ?
答えようとすると、端末が先に答える。
――本日のおすすめ:自己理解(3分診断)
笑えるくらい、万能だ。
職場は、壁の薄い共同空間で、そこでもおすすめは降ってくる。会議室の予約システムは、参加メンバーの心理状態から『最適な沈黙のタイミング』を提案する。資料の作り方も、言い回しも、上司への返信速度も、すべて『伸びる』方向に誘導される。僕が一度でも早く返信したら、次はもっと早くが標準になる。僕が一度でも丁寧に書いたら、丁寧さが義務になる。
自由は、改善されていく。
午前中の仕事を終えて、昼休み。食堂のメニューは、僕の腸内環境とSNSでの情緒の揺れを掛け合わせて推薦される。画面に『今日のあなたに必要なのは塩分です』と出る。必要だと言われると、反抗したくなる。僕は売店で適当なパンを買う。するとすぐ、端末が警告する。
――本日のおすすめ:水分(あなたは軽度の脱水傾向)
黙れ、と心の中で言う。言った瞬間、『ストレス』が上がる。上がったストレスに合わせて『ストレス解消』が出る。完璧な循環。僕の反抗も、システムの栄養になる。
だから僕は、反抗の仕方を変えた。
おすすめを拒むのではなく、受け取ったふりをして、少しだけ逸れる。
最適に、反抗する。
たとえば『塩分』と言われたら、塩味の飴を舐めながらパンを食べる。『水分』と言われたら、コーヒーを飲む。『安心の相手』と言われたら、恋愛アプリを開いてすぐ閉じる。開いた事実だけは、システムに与える。閉じた理由は、与えない。
理由の所有権だけは、守りたかった。
◇ ◇ ◇
夜、家に帰ると、部屋の照明が僕の目の疲れ具合を測り、暖色に寄せる。音楽も提案される。『あなたが落ち着くのはこれです』という顔で、僕の過去の夜を並べ替えたプレイリストが流れる。
僕はソファに沈み、端末を机に置く。置いた瞬間、通知が跳ねる。
――本日のおすすめ:恋(あなたは孤独のピーク)
唐突すぎて、少し笑った。孤独のピークって、気温みたいに測れるのかよ。画面には、見知らぬ人の顔が並ぶ。『あなたと相性93%』。その数字の根拠は、僕が出したものじゃない。僕の視線の癖、指の速度、言葉の選び方、既読の時間、ため息の回数。その全部を、誰かが合計して出した数字だ。
拒否ボタンはもちろんある。
『このおすすめは要りません』
僕は押さない。押したら、『恋は要らない』という僕が学習される。恋を拒む人間として、恋を拒むコンテンツが提供される。『一人時間の楽しみ方』、『孤独を肯定する哲学』、『恋しない人生の合理性』。僕はそういうものが嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、それを『おすすめされる』のが嫌だ。
好きは、選びたい。
端末を裏返しても、音声が出る。スピーカーが勝手に囁く。
「今日のあなたには、誰かが必要です」
誰の声だよ。僕は電源を落とそうとする。けれど最近の端末は、電源が落ちない。『省電力モード』にはなる。完全停止は、緊急時に限る。生活インフラと一体化した端末は、生命維持装置の顔をしている。
完全停止のためには、理由が必要だ。
画面には、理由の選択肢が出る。
1. 端末が故障している
2. 緊急事態が発生した
3. メンタル不調を感じている
4. 自由意志を確認したい
最後の選択肢が、いちばん腹立たしい。自由意志は選択肢じゃない。自由意志は、選択肢を出される以前の場所にあるはずだ。
僕は、4を押した。
すると端末は優しく振る舞った。画面が白くなり、柔らかいフォントで言う。
――あなたの自由意志を確認するために、いくつか質問します。
質問はすべて二択だった。甘い/辛い、朝型/夜型、海/山。答えるたびに、僕の輪郭が描かれていく。僕が答えたのではない。答えさせられた。僕は選択肢の外側に逃げようとして、逃げ道もまた選択肢として用意されていることに気づく。
最後の質問だけ、少し違った。
――あなたは『おすすめ』を解除したいですか?
はい/いいえ。
解除できるのか。僕は一瞬だけ希望を持ってしまう。解除したい、と言いかけて止める。解除したいと言ったら、その希望も学習される。解除の欲望さえ、次のおすすめになる。
僕は『いいえ』を押した。
端末は満足したように震えた。
――了解しました。あなたは『おすすめと共存する自由』を選択しました。
違う。そんな自由は選んでない。僕は選んだことにされた。画面には拍手のアニメーションまで出る。僕は端末を投げたくなったが、投げたら床に傷がつく。床の傷は管理会社に通知される。管理会社は『修繕』をおすすめする。修繕費はサブスクになる。未来が一気に見える。僕は端末をそっと机に戻した。
静かに怒るしかない。
◇ ◇ ◇
翌日、職場で同期の久保が言った。昼の自販機前。彼も端末を持っている。僕らは、同じように首をかしげる生き物になっていた。
「最近さ、何選んでもさ、選んだ感じしなくない?」
久保の言葉に、僕は思わず笑った。笑うと端末が『気分良好』を付け足すから、笑いを抑えた。
「分かる。選んでるのに、選ばされてる感じ」
「そうそう。俺、昨日『選ばない自由』っておすすめされたんだよ」
僕は飲みかけの水を吹きそうになった。
「それ、最高に最低だな」
「だろ? 選ばない自由を選ばせてくるの、マジで終わってる」
久保は笑いながらも、目が少し疲れていた。僕も同じだ。僕らは自由を、疲れとして感じ始めている。
「で、どうした?」
「押さなかった」
「押さなかったのかよ」
「押したら、『選ばない自由』すら最適化されている気がした」
「は?」
「要するに、こっちの自由すら向こうにとっては『おすすめした最適解』として解釈されるってこと」
久保は肩をすくめた。
「結局、重要かどうかを決めるのは向こうなんだよな」
僕は頷いた。僕らの会話の上に、透明な字幕が浮かぶ気がした。『共感:高』『幸福度:上昇』『この会話を継続することをおすすめします』。実際には浮かんでいない。でも、浮かんでいないことが、逆に怖い。浮かんでいなくても、どこかで記録され、学習され、また戻ってくる。
僕は久保に言った。
「俺さ、最近思うんだけど、最適解を拒むのって、もはや最適化されてるよな」
「反抗もおすすめされる時代な」
「そう。だから、反抗じゃなくて別のことをしたい」
「別のこと?」
僕は自分の中で、言葉を探した。言葉にすると学習される。学習されたら、次のおすすめになる。僕は言葉の前で止まった。
久保が先に言った。
「理由を言わない、とか?」
僕は息を止めた。久保が同じところに触れた。僕らの疲れは共有されている。
「それだ。理由を言わない選択」
「でもさ、理由ってさ、聞かれるじゃん」
「聞かれても、言わない」
「言わないと、変なやつ扱いされる」
「変なやつ扱いされる自由」
言ってしまった。僕は笑った。久保も笑った。笑いの理由は、共有できるのに言語化できない。端末がどこかで『笑い』を記録している。笑いの意味までは記録できない。そこに、穴がある。
穴に、自由が落ちている気がした。
◇ ◇ ◇
週末、僕は『おすすめ』を真正面から受けることにした。受けて、外す。拒否ではなく、ずらす。おすすめに対して、違う角度から答える。
朝、端末が言う。
――本日のおすすめ:散歩(23分)
僕は靴を履き、外に出た。散歩する。ここまではおすすめ通りだ。端末は満足する。僕の位置情報を取り、心拍を取り、歩幅を取る。『良い選択です』と褒める。
僕は、散歩の途中で公園に入った。ベンチに座り、空を見た。端末は次の提案を出す。
――本日のおすすめ:写真(記録しましょう)
僕は、撮らない。代わりに、目を閉じた。目を閉じたら、端末が困る。視線がない。画面の滞在時間も、画面の反射もない。端末は『眠気』を検知して『二度寝(9分)』を出す。僕は笑いそうになりながら、目を開けた。
空が青い。それだけだ。
青さの理由を言う必要はない。青いと感じたことだけがある。
端末がしつこく言う。
――本日のおすすめ:音声日記(あなたの感情を整理)
僕は、日記を書かない。音声も残さない。整理しない。整理しないまま、青さを持ち帰る。感情を言語化しない。言語化しないから学習されない。学習されないからおすすめにならない。ならないというより、ならせない。
僕は立ち上がり、帰り道にコンビニに寄った。端末は『健康』を提案する。低糖質、低脂質、バランス。僕は棚の前で立ち止まり、何かを買うふりをして買わない。買わない自由。いや、その自由もおすすめされる。僕は買う。買うけど、最適じゃないものを買う。
どれを買ったか?
僕は自分でも驚くほど、どうでもいいものを選んだ。ラベルのない水。特売でもない。新商品でもない。ランキングにも載っていない。ただの透明な液体。
端末が一瞬だけ沈黙した。『おすすめ』が出ない。理由が取れない。購買履歴は残るが、そこに意味がない。意味がないというのは、向こうから見た話だ。僕にとっては、意味がある。意味は、説明できない形で僕の中にある。
家に帰って、水を飲んだ。冷たい。口の中が少し痛い。僕はそれを、ただ感じた。端末は『水分補給:達成』と出す。達成。達成の言葉が薄い。僕の喉を通った冷たさは、達成ではない。
その夜、端末が最後のおすすめを出した。
――本日のおすすめ:今日の振り返り(自由意志の確認)
僕は端末を見たまま、言葉を探した。言葉を探すのをやめた。理由は言わない。理由を言わない理由も言わない。僕はただ、端末の画面を伏せ、机の引き出しにしまった。
完全停止ではない。電源は落ちていない。緊急時には起動する。つまり僕はインフラを拒否していない。拒否していないのに、引き出しの中で、端末は黙った。
暗い部屋で、僕は自分の中に残っているものを確かめた。
選択肢は無数にある。おすすめは無限に出る。その中で、僕が守りたいのは『自分で選んだという感覚』だった。けれど、それさえおすすめされる。なら、感覚を守るのではなく、感覚を生む場所を守るべきだ。
理由の所有権。
理由を誰にも渡さないこと。理由を言語化して提供しないこと。理由を提示して検証されないこと。理由を最適化されないこと。
僕は窓を開けた。夜の空気が入ってくる。遠くで車の音。隣の部屋の生活音。世界は雑だ。雑だから、僕はここにいる。
端末は引き出しの中で震えた気がした。通知かもしれない。僕は見ない。見ない自由はおすすめされる。でも、僕はおすすめされて見ないのではない。僕は理由を言わずに見ない。
自由とは、選択の結果ではない。選択を説明する権利の方だ。説明しない権利、と言ってもいい。
誰にも渡さない、僕の理由。
僕は暗い部屋で、理由のない水の冷たさを思い出しながら、ようやく眠りに落ちた。
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