第2話:女神の涙

前の領主は、救いようのない筋金入りのボンクラだったらしい。

ダブレの農業生産量は、帳簿を一目見ただけで絶句するほどだった。

なんと五年前の四分の一。


もはやギャグである。


原因を調査させると、出るわ出るわ無能の証。

農業用水路はあちこちで土砂が詰まり、

ひどい箇所は崩落して水が途絶えていた。


村の象徴であるはずの水車小屋は、

水が来ないどころか建物ごと腐敗し、

放置されている始末。


こんなクソのような状態で、一体どうやって税を取れというのか。


(……前の領主、どれだけ無能を極めれば気が済むのよ)


私、エミリー ヴァレンタインが悪役令嬢として掲げる

第一の目標は「重税」である。


将来的に民から骨までしゃぶり尽くすためには、

まず農村を“納税に耐えうる状態”

まで叩き直す必要があった。


そこで私は、重い腰を上げて刑務所へと向かった。

埃っぽい書類を見ると、収監されている囚人たちのほとんどが、


冤罪どころか「前領主の不興を買っただけ」の者たちだった。

罪状欄には「口答えをした」「気に入らない顔をしていた」

「風が強くてムカついた」など、正気を疑うような謎の理由が並んでいる。


(……実態は、前領主の横領や賄賂を

告発しようとした 連中ってところかしらね?)


私は即座に判断を下した。


(こんなところで腐らせておくより、

シャバに戻して働かせた方が効率的に税金が取れるじゃない)


とはいえ、いきなり無罪放免にするのは芸がない。

クズ悪女としてのプライドが許さない。

私は、いかにも性格の悪そうな笑みを浮かべて囚人たちに言い放った。


――囚人の皆さま、お聞きになさってくださいませ フフフフッ。

「死ぬ気で働いた者には、特別に、放免にしてあげてもよくってよ?」


絶望に沈んでいた男たちが、一斉に顔を上げた。

家族へ 家へ 日常へ  帰りたいという執念が。


種火のような かすかな光が彼らの瞳に宿る。


「ひ、ひと月働けば……本当に……?」


「領主様、俺……娘に会いたいんだ……!」


私は悪役令嬢然とした、冷酷で高慢な笑みを崩さない。


「ええ。ただし! サボるような真似をすれば、

情け容赦なく重労働を追加して差し上げますわ。

覚悟することね。おーっほっほっほ!」


その日から、囚人たちは人生で最も真面目と

言っても過言ではない勢いで働き始めた。


泥にまみれて水路の土砂を掘り返し、

石を運んで崩落を修繕し、水車小屋の柱を立て直す。


新しい水車の羽が太陽を反射し、

農村のインフラはみるみるうちに息を吹き返していった。


泥だらけで働く男たちの背中を眺めながら、

私は密かに満足げな笑みを漏らした。


(よしよし……これで農業生産量はV字回復ね。

そうなれば、数年後には鬼のような重税を課して、涙目にしてあげますわ……!)


だが、エミリーの目指した思惑とは異なり。

農村の人々は私を「終わりのない暗闇世界から救ってくれた 明主」と言い始め、

あろうことか囚人たちまでもが、私を「慈悲深き女神」として神聖視し始めたのだ。


(くそっ!あいつら 馬鹿じゃない?

私はあなた達をボロボロになるまでコキ使ったのよ!

どうしてこんなことになるのよ!)


彼らの感謝に満ちた熱い視線に、

私は背筋が寒くなるのを感じながら、

心の中で精一杯の毒を吐く。


(今に見てなさい愚民ども。あなたたちに、

真の憎悪というものを教えて差し上げますわ!)


だが、その時のエミリーの、

「顔を赤らめ 悔しさで涙ぐむ姿は」


周囲には


「民の頑張りに感動して涙を流す、女神の姿」

のようにしか見えていなかった。

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