この夏の終わりに白ワンピースを食む

津島小雨

第1話 幻想記憶

それはオタクの共同幻想だと、誰かが言った。


なんとなく流し見していた匿名掲示板だったか、「こういう子と付き合いたい」というスレッド名で1枚の画像が貼られていた。


それは、夏の日差しを受けて佇む一人の少女のイラストだった。


真っ白なワンピースを身に纏い、麦わら帽子を被った黒髪の美少女。背景には青空、田舎を思わせる青々とした生け垣。遠くには小さく踏切が見えていた。 


然う、まさしく――オタクである誰もが一度は思い描く、美しい「夏」の具現化。夢。理想。


しかし、その書き込みには「絵じゃん「キモ」といった辛辣なレスが続き、そして冒頭に繋がる。「こんなものはオタクの共同幻想に過ぎない。こういう格好の女って、アニメとか漫画だとよく見るけど、現実にはいないよな」というものだった。


実に不思議だ。どうして、オタクは皆、こういういかにも「日本の良き夏の田舎と美少女!」といったシチュエーションに惹かれてしまうのだろうか。某「泣ける」美少女ゲームだかなんだか、この系統が一体何のアニメやゲーム、漫画に起源を持っているのかは最早わからない。


それなのに、皆このごくありふれた、しかし何処にも「無い」風景から目が離せなくなってしまう。


「……どこがいいんだよ」


吐き捨てるように呟いて、僕はスレッドを閉じた。


令和になっても、こういった類いの画像は夏になると毎年回ってくる。だが、実際の夏はどうだ。もはやこんな風情を楽しめる余地がないほどに暑くて不快だ。だいたい、実際にこんな格好の女がいたら、”露骨”すぎる。遭遇したとしても、何かのコスプレかな?と思うに違いない――そう思っていたのに。


「なんで……」


なぜか、僕は泣いていた。


こんなものは、冷笑されて然るくらいの…あまりにも典型的な表象。——それなのに。


どこか懐かしい。

そうだ。

昔、僕の目の前に現れたあの人は——。


『さあ、一緒に帰ろうか』


いつかの彼女の声が頭の中に響いた。

かつて僕の目の前に突如現れた、白いワンピースと麦わら帽子を身に纏ったあの女は……何者だったんだっけ?


* * *


夏など無くなればいいと思っている。


死ぬほど暑くて、ジメジメとして、虫がたくさん出る。外を歩けば一瞬で汗だくになって不快極まりない。かといって室内が良いかというと、エアコンをつければなんか寒い気がするし、消すともちろん暑い。どこにいても、何もかも思い通りいかないような気になって嫌になる。


朝食の目玉焼きを箸でつつきながらテレビを見やると、外に中継に出たアナウンサーが

『今日は今年一番の暑さで、39度にも迫る気温が――』と興奮気味に話していた。


「昨日もさ、今年一番って言ってなかった?」


キッチンから母親の声が響いた。

僕は「んーそうかも」と曖昧に返す。突いていた目玉焼きの黄身は、いつのまにかほぼ全て皿の上に流れ出ていた。


母親は、「昔はもう少し涼しかったんだけどね」と気怠そうに呟くも、その直後に、

「そういえば、あんた夏休みの進路調査の紙ってどこやった?」

「あー…あはは」


面倒くさそうな気配を察知し、僕は足早に玄関に向かう。


外に出ると、殺人的な日差しが脳天に降り注ぐ。

テレビのニュースでは連日、全国各地の酷暑の様子が伝えられていた。「過去最高」「10年に一度の高温」というワードは耳にタコができるほど聞いた。


今は7月のはじめ。この天気があと3ヶ月ほども続くと思うと、もうこの世の終わりというか気が狂いそうな気持ちになる。

 



なんとか学校にたどり着き、ハンカチで汗を拭いながら席についた。すると、すぐに肩を叩かれる。

その主は、後ろの席に座る幼なじみ兼クラスメイトの矢吹ニナだった。ニナは振り向いた僕の顔を見るなり、


「うおー。今日も機嫌悪そ」


 そう言って、ニヤっと笑った。


「なんだそれ」

「眉間に皺」おどけたように自分の眉間を指で差してみせるニナ。「いや、透は毎年夏になると若干機嫌悪いじゃん。ここのところは4日連続、最悪機嫌更新中だよ」

「人を気温みたいに…」

「実際気温によって左右されてるし、間違いではなくない?」

「それはごめん。でも、こんなに毎日暑かったら不機嫌にもなるよ」

「あはは! まあ透の良いところは、童顔なせいで機嫌が悪いときでも全然怖くないところだから大丈夫だよ」


 軽快に笑うニナ。騒がしい朝の教室でもよく通る、高く伸びやかな声。それにあわせて、彼女の艶のあるポニーテールがかすかに揺れた。


「そいつは何よりで…」

「あ、それよりさ…知ってる? 六丁通りの女の話」


 六丁通りといえば、僕がいつも通学路として使っている雑木林沿いの道だ。やや薄暗いけど、特になんの変哲もない道だった気がするが、この話ぶり的に不審者か。あるいは……。


「……それって怖い話?」

「そのとおり!」


ニナは自分のスマホを操作して、ある画面を見せてくる。そこには『オカピチャンネル』というオカルト系YouTuberのショート動画が表示されていた。推測は大当たりのようだ。


「昨日、このオカピがアップした心霊スポット凸動画、場所が六丁通りなんじゃないかって。今すごい噂になってるんだよ」

「ええ…」


 動画の再生ボタンを押すニナ。すると、真っ暗な背景の中に金髪の男が映り込んだ。


『この世のオカルトをピピっと紹介! オカピチャンネルでーす』

『はい、今日俺オカピが来ている場所はですね。視聴者さんからタレコミがあった●●県M町の某所に来ております』


「たしかに、町の名前は水上町のイニシャルの同じだね」

「そうそう、それにオカピの後ろに映ってる真っ暗な森みたいなのも、あの通りとなんとなく似てるんだよね」


『えっとぉ、タレコミによると……このあたりでは昔から夜になると謎の女が目撃されるという噂があるらしいです。白いワンピースを着た女が、この通りの途中にある電話ボックスに佇んでいるとか。しかも、その女と目を合わせた人は発狂してしまうとか! なにそれヤバすぎ。てかここ全然街灯なくて草』


 電話ボックスを探すように、オカピは懐中電灯の灯りを四方に向けている。


「あの電話ボックスってそんな噂があったんだ…」


長年あの通学路を利用して、電話ボックスの前も何度も通ったけれど、変な現象が起きたことは一度もなかった。


「いやー私も噂レベル。しかも流行ったのは一瞬、小学生のときだし、透がこの町に引っ越してくる前だからね。まだあったんだって思ったけど……それより、ここから!」


 そう言って、ニナは動画を2分ほど早送りにした。すると、場面が倍速で切り替わっていき、


『おー、あれじゃない? 電話ボックス』


画面の中のオカピが、電話ボックスの前にたどり着く。暗闇の中に、白い蛍光灯で煌々と浮かび上がる電話ボックスは存在感抜群だ。


『んー……別に何もいないっすね。なんともない、普通の電話ボックス』


 たしかに、画面の中の電話ボックスには何も変わったところはなかった。

そのとき、ニナが


「ここ見て!」


 興奮気味に、動画を一時停止する。それはオカピがカメラを動かした瞬間、夜闇が映り込んだ一瞬の画面。


 一見真っ暗な空間だが、よくよく見ると煙のような白いものが映り込んでいた。


「え、なにこれ」

「この画面をちょっと明るくすると…」


 ニナがスマホの明度を上げていくと、ぼんやりとした白いものが徐々に輪郭を帯びていく。そして――


「…これって…顔?」


電話ボックスの灯りを受けてかほんのりと灰色を帯びた暗がりの中。そこに浮かび上がる、悲しげに目を伏せた女の顔のようなもの。はっきりとは見えないものの、目鼻立ちの存在も確認できる。


「そうなの! オカピは気づいてないっぽいんだけど、コメントではめっちゃ指摘されてる。ユーザーが切り抜きをSNSにあげてて、それが今バズっているというわけ」

「なるほどなぁ」


 ニナに言われて、自分のスマホで検索をかけてみると、切り抜き動画やスクショをあげている人がちらほらと引っかかった。


「私が聞いた噂では、昔ここで恋人に振られて電話ボックスで自殺した女の人がいたらしくて。その霊なんじゃないかって」

「また随分と古典的というか、テンプレみたいな感じだな」


 やはり、そこそこ前から存在する噂というくらいだから、内容の設定もやや古いのかもしれない。


「もー! これだから冷めてるタイプのオタクは……」


大げさにため息を吐いてみせるニナ。


「透が六丁通りから来るって知ってたから、一応心配だったから話したのに。信じなさそうだなって思ったけどさ」

「だって合成かもしれないし…」

「私も本気で信じてるわけじゃないけど! 一応、一応ね? まあ、その様子なら大丈夫そうだね」

「ああ…でも、ありがとう」


 話が切りよくおさまった頃合いで、ちょうど教室に担任が入ってきた。


 六丁通り。電話ボックス。白いワンピースの女。ニナから聞いたワードが頭の中を駆け巡る。どうせ…どうせすぐ忘れる。怖い話や都市伝説なんでそんなもん。どうせ定型なんだ。


 そう思っていたのに、あの切り抜きで一瞬映り込んだ悲しそうな女性の顔だけが、なぜかずっと頭にこびりついて離れなかった。

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