第2話 その一振り、物理法則(ルール)違反につき
「い、いやぁっ! 師匠、そこはダメですぅ……っ!」
店内に、リズの情けない悲鳴が響き渡った。
「動くな。ズレるだろ」
俺はリズをカウンターに手をつかせ、その背後から覆いかぶさるようにして手を動かしていた。
リズは顔を真っ赤にして、小動物のように震えている。
「だってぇ……いきなり、そんなところ触られたら……ひゃうっ!」
「我慢しろ。ここが緩んでるんだよ」
俺が指先で弄っているのは、彼女の背中――正確には、革鎧を固定する「背面のベルト」だ。
この安物の既製品は、俺の目から見れば作りが雑すぎる。
肩紐の長さが左右で違うし、腰のベルト穴の位置も適当だ。これでは、リズの極上の筋肉が生み出すパワーが、剣に伝わる前に逃げてしまう。
俺は職人として、それが許せないだけだ。
「ほら、もう少し脚を開け」
「あ、あし……!? こ、こうですか……?」
「そうじゃない。重心をもっと落とすんだ」
俺はリズの腰回り――柔らかい肉付きのいい腰をガシッと掴み、強引に姿勢を修正した。
「ああんっ♡」
「よし、その位置だ。そこで固定するぞ」
グイッ、と革ベルトを限界まで締め上げる。
リズの華奢な体が、俺の体と密着するほど反り返る。
「はぐぅっ! ……き、きついですぅ……」
「最初はきついだろうが、すぐ慣れる。馴染めば、体の一部みたいに動くようになるさ」
「は、はいぃ……(乱暴だけど……すごく慣れてる……♡)」
リズが熱っぽい吐息を漏らす。
俺はあくまで「装備のフィッティング」をしているだけだが、もし今、客が入ってきたら一発で通報される絵面だろう。
だが、これでいい。
関節の可動域が30%向上し、力の伝達ロスはほぼゼロになった。
「よし、完了だ。……ふぅ、いい汗かいたな」
俺は額の汗を拭いながら、リズの体から離れた。
リズはカウンターにへたり込み、荒い息をついている。
「ど、どうだリズ。具合は?」
「はぁ、はぁ……すごいです、師匠……。体が、すごく軽くなった気がします……」
「だろうな。それがお前の本来のスペックだ」
俺は満足げに頷いた。
これで「本体(リズ)」の準備は整った。
あとは、あの「試作品」の実戦データを取るだけだ。
「行くぞ、リズ。早速テストだ」
「は、はい! どこまでもついて行きます!」
リズは頬を紅潮させたまま、なぜか潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
……なんだその目は?
まあいい、やる気があるなら結構だ。
◇
「……遠い」
俺は道中で五回は呟いたと思う。
別に疲れているわけじゃない。俺の足なら全速力で走れば五分で着く。
だが、店の奥で引き籠もって鉄を叩くのが至福の俺にとって、ただ歩くだけの移動時間は、人生の浪費(苦行)でしかない。ネジの一本でも巻いていた方が有意義だ。
「ご、ごめんなさい師匠! 荷物、私が持ちますから!」
俺の横を歩くリズが、申し訳なさそうに手を伸ばしてくる。
……いや、お前。
その背中に、自分の身長よりデカい鉄塊(大剣)を背負っておいて、さらに俺の荷物まで持つつもりか?
「重くないのか?」
「はい! 全然平気です! むしろ背負ってるの忘れちゃうくらいで!」
リズがぴょんぴょんと跳ねる。
確かに軽いだろう。だが、すれ違う冒険者たちの目は違う。
『おい見ろよ、あのおっさん……あんな小さい子に巨大な荷物持たせて、自分は手ぶらだぞ』
『鬼畜だな』
そんな視線が刺さる。……不本意だ。
しかも、大剣の側面には不気味に笑う「スマイルマーク」の刻印。どう見ても、ヤバい儀式の生贄か何かにしか見えない。
「出ました! オークの群れです!」
リズが声を張り上げた。
前方の茂みから、豚面の亜人――オークが五、六体現れる。
Fランクの新人にとっては、一体でも苦戦する相手だ。それが群れとなれば、本来なら即座に逃走を選択する場面だろう。
「ど、どうしましょう師匠……」
リズが足踏みをする。
彼女の脳裏には、過去のトラウマ――「武器を壊してしまい、逆に追い詰められた記憶」が蘇っているようだ。
「リズ」
俺は少し離れた岩場に腰を下ろし、懐からメモ帳とペンを取り出した。
「言ったはずだ。俺は『データ』が欲しい」
「で、でも、また折っちゃったら……」
「折れない。俺の調整(メンテ)を信じろ」
俺は断言した。
俺の作った『フェザー・ギガント』は、表面硬度だけでダイヤモンドの三倍はある。オークの皮膚ごときで傷つくはずがない。
「その剣には『重力制御(グラビティ・コントロール)』の術式を組んである。持ち手にかかる重力だけをキャンセルしているんだ」
「えっと……つまり?」
「お前にとってそれは『木の棒』だが、敵にとっては『200キロの鉄塊』だということだ」
「??(よくわかんないけど凄そう!)」
「理屈はいい。加減はいらん。親の仇だと思ってフルスイングしろ」
「――ッ! わかりました!」
リズが覚悟を決める。
彼女は背中の大剣に手を掛けた。
その剣は、巨大な質量に反して、魔法のように軽い。
だが、軽いのは「持っている本人」にとってだけだ。物理的な質量が消えたわけじゃない。
リズが踏み込む。
地面が爆ぜた。
俺が調整したベルトのおかげで、彼女の脚力(エンジン)の出力がダイレクトに伝わる。一瞬でオークの懐に潜り込む。
「はぁぁぁぁッ!!」
裂帛の気合いと共に、巨大な鉄塊が横薙ぎに振るわれた。
――ゴォォォォォッ!!
剣というより、暴風だった。
風切り音ではない。空気が圧縮され、破裂する音だ。
スマイルマークの刻まれた刀身が、オークの群れを捉える。
ドォォォォォォォン!!
衝撃音が響き、視界が土煙で覆われた。
「……ん?」
俺は目を細めてメモを取る。
今のインパクト音、少し低音成分が強かったな。衝撃吸収術式のチューニングが甘いか?
やがて、煙が晴れる。
「え……?」
リズが呆然と立ち尽くしていた。
彼女の目の前には――「何もなかった」。
オークが死んでいるのではない。
地面が扇状に抉り取られ、その延長線上にあった大木もろとも、オークたちが「消滅」していた。
遥か後方の岩壁に、豚肉のミンチのようなものがへばりついているのが見える。
「……ふむ」
俺は立ち上がり、リズの手元を覗き込んだ。
大剣の刃を見る。
刃こぼれなし。歪みなし。
「よし、合格だ。構造上の欠陥はない」
「し、師匠!? いま、オークが! お空の星に!?」
「大げさに言うな。星になったんじゃない、霧になったんだ。……まあいい、次行くぞ。借金を返すには素材が足りん」
俺はリズの頭をポンと叩いた。
「あ、はい……(この人、もしかしてとんでもないのでは……?)」
リズが戦慄している気配を感じるが、俺は気にせず先へ進んだ。
まだ冷却機構のテストが残っている。
◇
一時間後。
王都の冒険者ギルド。
俺とリズは、受付カウンターの前に立っていた。
リズの背中には、例の大剣。
そして俺の背負い袋には、ダンジョンの主(ボス)だった「オークジェネラル」の角や、レアな鉱石が山ほど詰め込まれている。
「えっと……リズベットさん、ですよね?」
受付嬢が、引きつった笑顔で対応する。
無理もない。リズの装備している大剣が、カウンターからはみ出すほどデカい上に、不気味な笑顔(スマイル)を向けているからだ。
「ステータスの更新ですね。カードをこちらの魔道具に置いてください」
「は、はい! お願いします!」
リズが緊張した面持ちで、銀色のギルドカードを読み取り機に乗せる。
通常なら、ここで倒した魔物のランクに応じて、冒険者のレベルやステータス数値が更新される仕組みだ。
Fランクのリズなら、攻撃力はせいぜい「50」とかそこらだろう。
だが。
ピピッ。
ヴィィィィィィン……!
読み取り機が、聞いたことのない重低音を鳴らし始めた。
水晶の画面に、数字が猛烈な勢いでカウントアップされていく。
100……500……1000……5000……。
「えっ? えっ?」
受付嬢が目を丸くする。
数字は止まらない。
9000を超え、なおも上がり続ける。
周囲の冒険者たちも、その異音に気づいて集まってきた。
「おいおい、数値が止まんねぇぞ?」
「故障か? 安物の機械使いやがって」
「新人が9000超えなんてありえねぇだろ。完全にバグってら」
嘲笑交じりの野次が飛ぶ。数値が振り切れるなど、常識ではあり得ないからだ。
だが、次の瞬間。
ボンッ!
小さな爆発音と共に、読み取り機から黒煙が上がった。
画面には赤字で、無慈悲な宣告が表示されている。
『測定不能(ERROR)』
「きゃああああっ!?」
受付嬢が悲鳴を上げて椅子から飛びのいた。
「こ、壊れた!? ちょっと、何したんですかぁ!?」
彼女は半泣きになりながら、煙を上げる機械をバンバンと叩いている。
リズが慌てて俺の方を振り返った。
「し、師匠!? 機械が壊れちゃいました!?」
「……やれやれ」
俺は溜息をついた。
どうやらギルドの測定器は、五桁以上の数値を想定していないらしい。安物め。
「おい、受付の姉ちゃん。機械の故障なら弁償はしないぞ」
「こ、故障じゃありません! 直前まで動いてましたもん! あなたたち、一体何を持ってるんですか……!?」
受付嬢の視線が、リズの背中の大剣に釘付けになる。
そして、その横に立っている俺――「死神」のような目をした男を見て、ヒィッと息を飲んだ。
周囲の冒険者たちがざわめき始める。
「おい、見ろよあの剣……」
「あのマーク、旧市街の『ヤバい店』のロゴじゃねぇか?」
「測定器を破壊したって? マジで数値が振り切れたのか?」
好奇と畏怖の視線。
だが、リズはそんなことよりも、自分の手にあるカードを見つめて震えていた。
「師匠……私、Fランクなのに……討伐記録が『Sランク相当』になってます……」
「当然だ。俺の武器を使ってSランクが出ないなら、それは俺の調整ミスだ」
俺は平然と言い放ち、受付カウンターに「オークジェネラルの角」をゴトリと置いた。
「ついでに換金も頼む。……これだけあれば、借金くらい返せるだろ?」
巨大なボスの素材を見て、受付嬢が再び白目を剥きそうになる。
騒然となるギルドの中で、俺は次の改良点(機械を壊さないためのリミッター)について考えていた。
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