第1章 君のいない世界
午前8時12分。いつも通り電車に乗る。俺は朝が弱いから、朝をいっそう強く感じさせるこの電車が嫌いだ。それに学校も憂鬱だ。高校3年生になって間もない俺は、受験を焦らせる先生たちに嫌気がさしている。別に勉強が苦手なわけではない。でも好きじゃない。俺は進路のことをまだ決めきれずにいる。将来の夢もないし、これだけは絶対にやりたくない、といった職業もない。俺は今までずっと武道の練習の毎日だった。俺は強くなきゃいけなかった。剣道、柔道、空手。…ただ守りたかったんだ。
そんなことを考えながら電車を降り、学校まで歩く。後ろから衝撃が走った。
「おはよー律月!今日もだるいなー学校!」
俺の背中に飛びついたのは高校に入ってから仲良くなった高橋夏向だ。夏向はいつも笑っている。その明るさに何度救われたか分からない。
夏向は俺にとって数少ない友達で親友だ。
「なー律月、お前は予備進路調査の紙もう出した?桐原と面談あるだろ、今月」
夏向が入学してまだ間もない登校中の1年生を眺めながら俺に質問をする。俺は心臓がぎゅっとなった。配られてから一度もファイルから出してもいないからだ。夏向が言った桐原とは去年から担任になった桐原秀一のことで、俺たちは良くも悪くも友達感のある桐原のことを慕っている。俺が夏向の質問に対して黙り込んでいると、夏向は察したように苦笑した。
そういう夏向は出したのだろうか?なんて考えていると、まるで意思疎通したかのようなタイミングで夏向が口を開いた。
「俺は今日出そうと思って書いてきたんだけどさー、あんまピンときてないんだよね、やっぱり」
進路が決まってないのは自分だけじゃないと俺は少し安心した。
学校に着くとすぐにHRが始まった。1か月前まではまだ気楽な2年生だったというのに、教室は段々と受験モードに切り替わってきている。気が重くなってきた俺に対して桐原がとどめを刺した。
「予備進路調査の提出は今週中までなー。来週からはぼちぼち面談始めるぞー」
俺が唯一自信のあることといえば武道だけだ。それをやり始めた理由だって美琴を守るためだったし、それを活かした職業に就きたいとも別に思わない。宝条美琴は俺の全てだった。美琴のことを思い出し、どうしようもなく虚しくなった俺は、とりあえず適当な職業と大学を紙に書いてその日のうちに提出した。
宝条美琴は歳が1つ下の幼なじみだった。俺はかなり裕福な家で生まれたけど、美琴は更にその上をいくお金持ちの家に生まれた。詳しくは知らないが、親同士は俺が産まれる前からの顔見知りで、家が近くなったことをきっかけに、とても仲良くなったそうだ。
俺が5月に生まれ、その次の年の12月に美琴が生まれた。俺は妹のように美琴を可愛がった。
少しずつ大きくなるにつれて俺は自分の弱さを実感し始めた。美琴の父親は有名な企業の社長で、母親はその側近の秘書だったので忙しく、美琴には家政婦やボディーガードのような人がついていた。よく美琴の家に遊びに行っていた俺は、身近でその人たちを見ているうちに気づいた。美琴に何かあったとき、俺は何もできない。僅か3歳にしてそう思った俺は、親に頼み込み空手を始めた。俺は自分でも驚く程に成長スピードが早かった。自分で言うのもあれだが、才能があった。両親は俺の才能に気づき、柔道や剣道も習わせた。どれも俺はすぐに実力を伸ばした。15になり、俺は美琴のボディーガードを任される程まで成長した。嬉しかった。これでやっと自分の力で守れると思った。俺は美琴のことが好きだった。でも実際に美琴を守れた期間はとても短かったと思う。この辺から俺の記憶が途切れている。なぜ途切れているかも分からない。そしてこの世で美琴のことを覚えているのは俺しかいない。奇妙なことに、実の親である美琴の両親さえも、美琴の存在を知らないのだ。地球は美琴が最初から居なかったかのように回り続けている。
俺は必ず辿り着いてみせる。この奇妙な現象の真相の先にいる、宝条美琴まで。
もう一度君に会いたい @kokone2525
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