第3話 十一月の空
「そうは言ってもな」
アカデミーに来なくていいとは言われたものの、さすがに準備はしておくか……。
ヨウムは自宅の机に広がる試験用に準備していたプリント類を幾つか手直しをして、昨夜のうちにまとめた報告書とあわせ、書類の底をトントンと机に数回叩き一つにまとめた。
代行か……。
事情も知ってるし、ライ先生あたりが担当することになるだろうか。
背も高く、眉目秀麗で話も面白い、人気のある彼なら学生にもウケが良さそうだ。
まぁ、むしろ私でなければ、学生は皆喜ぶだろうが。
鏡に映った姿は、いつも通り異様なおぞましい姿をしている。
顔色は悪く、緑青の銅の錆をくすめたような色の眼球はギョロッと見開いている。
頬から顎にかけては腫れぼったい。
光沢のない黒い髪はバサバサしていて、頭のてっぺんだけが薄くなっている。
背はとても低く、背中と腕には木の皮のような硬い筋肉がついているのに腹だけは柔らかく、丸く出ている。
五十代後半と言っても納得できるその風貌は十九歳の男とはおよそ思えない。
ヨウムは軽く目を閉じ、ハッと息を短く吐きながら自嘲した。
「ぐ……う……うう」
隣の部屋から息絶え絶えの唸り声が聞こえてくる。
ヨウムは声の持ち主の側に寄ると、自身の魔力を丁寧に細く精製しながら流し込み、溜まって
ミスが
昨日からずっとこの作業を繰り返している。
工数は少ないが、失敗して爆ぜでもしたら、この患者はあっけなく死ぬだろう。
ヨウムは慎重に術を展開する。
ここまで蝕みが進行するとは、いったいどれだけの間ミスに蝕み続けられたのか。
なぜ、そんなに長い期間、ミスに晒され続けなくてはならなかったのか。
どう考えても悪い考えしか出てこなかった。
思考を断ち切るように、ヨウムは窓の外に目を移した。
庭の広葉樹の葉はとうに落ちきっている。
空は深い鉛色に沈み、そのうち雪混じりの雨が降りそうだ。
「春までに瀬にたどりつければいいんだが」
ヨウムは窓の外の鉛色の空に向かって独りごつ。
ヨウムは昨夜、病院から提示された記録をもう一度見る。
住所:不明
年齢:測定不可
性別:女性
ミス患渦時間:不明
患進行度:10期
*危機的状況にあり。速やかに専門的な処置が必要
身体状態:患いにより休眠状態
「何の役にも立たないな」
そう呟き、分かりきったことしか書かれていない診療記録を報告書とともに茶封筒に収めた。
*
「お約束は明日のはずでは?」
突然の訪問相手を部屋に招き入れながら、ヨウムはさして驚きもせず形式的に確認する。
「ふむ。雨が降る前にと思ってな。もう出来とるだろう? 君のことだ、昨夜帰ってすぐにでも報告書はまとめたはずだ」
シーモアは当たり前のように要求してくる。
「どうぞ。一応、一緒に学期末の試験用のプリントも入れておきました。代行の先生がお使いになるようなら使っていただければ。判断はお任せします」
ヨウムは瞼を半分閉じて茶封筒を渡す。
「ふむ。流石だの。よいよい」
シーモアは軽く中身を確認してから茶封筒を懐にしまった。
「試験は君が準備した物で行わせよう」
「分かりました。ところで、彼女の素性は? 何か新たに分かったことはありましたか?」
ヨウムは患者を寝かせている別室にシーモアを案内しながら尋ねる。
「まあ、我々の予想通りだな。消滅したミスの中からは、およそ三十余りの遺体が出てきたが、誰も素性は知らぬ存ぜぬだ。
他に生存者はなし。
救助要請元からは発生原因も本当の発生時期もうやむやにされたままだ。
君はどう思うね?」
「どうも何も……」
ヨウムは死んだように眠る患者のミスを解きながら答える。
「発生時期は約十九ヶ月前。
原因はよくある不満、憤りといった怨念。
魔力があるものを贄にして対処したが、贄側の怨みが触媒となり、ミスは爆ぜて広がり続けた……と予測される。
生存者の膨大な魔力量の影響で、ミスの膨張速度はおよそ七ヶ月分遅くなった。
報告書に書かせていただいた通りです。そう判断したミス内の爆ぜの回路の痕跡は、後ほどご確認いただければ」
「うむ。ミスの知識がないものが贄で対応するなど、その場凌ぎもよいところだ。
無知とは怖しいものよ」
シーモアは嘲るように肩をすくめる。
「あの地域で行方不明者や失踪者の報告は?」
「ないな。身寄りのない孤児や不在者を贄にしていたのだろう」
治療を受けている患者を上から覗き込みながらシーモアが答える。
「学園に依頼すると莫大な費用がかかりますからね」
淡々とヨウムは返す。
「我が校の知識と技術は他に追随を許さない。
妥当な金額だよ」
「ところでこの娘、いくつだと思う?
十八前だといいのだがな」
「十八歳前って……学園に通わせるおつもりですか?」
ヨウムは思わずシーモアの顔を振り返って見上げる。
「この魔力量だ。入学させねばなるまい?」
「そうですが……」
ヨウムはまたすぐに患者の方を向き直し、治療の続きに戻る。
「正直、贄にされるような生い立ちの者が、あの上流階級の集まりでやっていけるとは思えませんが」
「だがしかし、この魔力量を放っておくわけにはいかぬまい」
「何が狙いです?」
ヨウムは率直に訊ねる。
「無論、世界平和のためだ」
シーモアは白い顎ひげに触れながら、不敵に笑う。
齢百をゆうに超えているシーモアは一見、とても紳士的な好々爺である。
ヨウムは真意を探ろうとするが、彼の本音はいつもみえない。
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