3.攻略日記
さすがに三日も寝込んでいたせいだろう。
夜なのか朝なのか、よくわからない変な時間にぱちりと目が覚めてしまった。
暖炉の火はまだかすかに揺れていて、部屋がしんと静まり返っている分、パチパチという薪の音だけがやけに大きく響いている。
私はそっとベッドの端に足を下ろし、体を起こす。ふらつくかと思ったけれど、それほどでもない。
静まり返った床を踏みしめながら、ゆっくりとクローゼットへ向かう。胸元からネックレスを引き出し、小さく光る鍵を指先でつまむ。
鍵穴に差し込むと、カチリ、と控えめな音が響いた。
そこには、びっしりと日記帳の背表紙が並んでいた。
ぎっしり、整然と。同じ色、同じ大きさ、同じ厚み。
微妙に年数を追うごとに紙の質が変わっている気もするが、それでも十年分が整然と並んでいる様子は、壮観というほかない。
——結構まめな人間だったのね、“ララ”は。
背表紙を撫でると、手触りはどれもよく使い込まれていて、丁寧に大事にしていたことが分かる。
中ほどに埋もれていた一冊を抜き取ろうとして、ふと思い直し、一番手前ではなく、一番奥。表紙に最も古い日付が記された日記を手に取る。
「概要は聞いたから、私の記憶がない初めのほうがいいわね」
暖炉の明かりだけでは心許ないので、机の上に置かれたろうそくにも火を灯した。ほのかな光がページを照らす。
深く息を吸って、そっとページをめくった。
*****
ララの日記
やったわ!!
目が覚めた瞬間、見知らぬ天井が視界いっぱいに広がっていて、思わず息を呑んだ。
寝返りをうつと、ふわりと軽やかな髪が頬をかすめる。その感触に首をひねり、鏡のある方向へ視線を向けた。そして私は固まってしまった。
鏡の中には、淡い光を受けてきらめくピンク色の髪が、絹のように柔らかく肩へ流れ落ちていて、宝石じみたブルーの瞳がまっすぐ私を映していた。
これ“アイラ・ラングフォード”だわ。
私が前世で何百時間もプレイして、完全攻略を夢見た乙女ゲームのヒロイン……!!!
胸がドキドキして、思わず手で顔を押さえたわ。当たりキャラ、引いちゃったじゃないの!?
ゲームで散々シミュレーションしてきたあの完璧なキャラクターが、まさか本当に自分になるなんて、信じられない!
しかも、もうすぐ学院入学……え? 明日!?
明日ってあの“アレ”よね? ゲーム本編が始まる、あのスタートイベントの日よね!?
準備は!? 制服は!? 寮は!?
時間は足りないけど、こんな幸運、逃す手はないわ。最高のスタートを神様から与えられたってことよね!
さて、どのルートを攻略しようかな。
最近攻略しようとしていたのは、セルジュ・アーガントン。宰相の息子で、クール系のイケメンだけど、時々見せる優しさがズルいのよね。
あのギャップ、心臓に悪すぎるわ……。ゲームで何度も選択肢を迷ったあの瞬間を、現実で体験できるなんて、もう天国じゃない!?
でも、コリン・ライクスバートの騎士ルートも捨てがたい。
お姫様抱っことか、されたいじゃない? いや、もちろん決してやましい意味じゃなく! 腕力自慢の騎士にふわっと抱えられるとか、絵面だけで胸が高鳴るじゃないの。
レオナール・ウェストレイは、簡単に攻略できるんだったっけ。顔は確かにタイプだけど、正直今は後回しでもいいかな。
なんかこう、「とりあえず押さえておく」程度の位置付けで、後でゆっくり攻略すればいいよね。
と、なると、やっぱり、王太子!
王道中の王道。
王子様と恋に落ちて、障害を乗り越えて、きらめくエンディングを迎える……乙女ゲームの黄金コース!
しかも初期イベントの印象で、攻略難度がガラッと変わるあのルート。
これは出遅れるわけにはいかないわ。
私、ここで本気出すわよ!!
絶対に、最高のハッピーエンドを掴んでみせるんだから!
*****
sideアイラ
え? 何これ?
気をしっかり保たなくては、このままじゃ倒れそうだ。情報量が多すぎる。
これが、“ララ”。十年間の、私のスタート。
日記には、この先ひたすら、喜びの声、攻略相手のランク付け、作戦会議のメモがびっしり書かれ、そして一冊ご終わっている。
目覚めたら、自分ではない人間になっているのに、こんなに喜べるものなのかしら。
転生して、元の世界に戻れないララ。
置いてきた人たちに惜別の思いはなかったのかしら。……残念な人ね。
ふふふ、ああ……そうだった。私だった。
それにしても、レオナール様は、ララにとってランクが一番下なのね。なぜ今一緒にいるのかしら。ほかの全員駄目だったってこと?
私はそっと日記を持ち上げ、暖炉の中へ投げ入れた。紙がぱちぱちと音を立てて燃え上がる。
これは、この世に残してはいけないもの。人目に触れさせては絶対にいけない代物。
そう思うと、他の日記も早く確認しなくてはと焦る気持ちが湧いた。おそらく全てこの世から消すことにはなるのだろう。
ただ、今から読むのは私の神経が持たない。
クローゼットにむかい箱の中身を見る。軽く30冊以上はある。
箱の鍵だけでは、心許ないわね。クローゼットにも鍵をつけて、もっと厳重に誰の目にも触れないようにしておくべきかもしれない。
窓の外は、うっすらと明るくなってきた。まだ眠りから覚めきらない世界は静かで、遠くの樹木の輪郭がぼんやりと浮かぶだけ。思わず目を細める。
頭の中の混乱と途方に暮れる感情を静めようとしたが、駄目だった。
「とりあえず、もう一度寝ることにするわ」
眠れるかしら……。ああ、そうだ。明日目覚めたら、覚悟を決めて鏡を見なくてはいけないわ。
十年か……。
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