第2話 その刀技
その刀技、血
——軍前元帥 折忠成
年に数回開催される団長会議。今回の招集目的は、八家から与えられた今後一年間の予算を各師団にどのような配分で振り分けるかというもの。
通常の団長会議は団長のみが軍本部の一室にある円卓に一堂に会するのだが、予算のこととなると話が変わってくる。それぞれ、予算をどれだけ毟れるかは今後の活動そのものに関わってくるために気合の入れ方が違う。
多くの場合は補佐人として副団長を連れてくる。そしてそう、第二十一師団団長も例外ではなく副団長を連れてきた。当人はなにも気にせず、当たり前のように必要資料などを適宜、自団長に渡しているが周りは違う。
異様な緊張感が会議を包んでいた。毎年、揉めに揉めて遅々として進まない予算会議だが、今回は雰囲気が異なっていた。
静かだった。
空辺の目の前では謙虚を演じる、それもあるかもしれない。いや、最初はそれが理由だった。だが現在静かである真の理由はそこではない。
たった今、空辺から発表された予算。それは平年の額からおよそ七割も削られていたのだ。
驚天動地。絶句。
これではどの師団もまともな運営が非常に困難になる。団員たちに給料さえ払えない。それではどうするか。軍を縮小するか。そんなこと、転化体が大量発生している昨今、できるわけがなかった。
いつもはそもそも軍全体の予算が少ないなどと八家に対して文句を言っている団長たちさえも言葉を失っていた。
なにかあるとは思っていた。
軍に与えられる予算が通達される時期になっても一切の情報が明かされなかった上に、連絡もなかった。遅くなるとも、例年に比べて大幅な増額減額があるとも。
大幅な減額があるならば、前もって各団に申請額を抑えるようにと伝えたかった。
空辺に問い合わせてもはぐらかされるばかりだった。しまいには当日、団長会議で発表すると。
そしてこれだった。この状況。対して空辺はなんともないという様子。
今回の異常な減額。どの師団も例年通りの申請額で準備してきているため会議にならない。
そんなお通夜のような雰囲気の中、いつもの調子でペラペラと喋る奴がいた。
「皆今日はどうしちゃったのさ。借りてきた猫みたいだよ」
奈良俣が全てを理解したうえで、この発言をしたということをここにいる何人がわかっているのだろうか。こいつを空気が読めないただのお調子者だと勘違いしている奴にはわからないだろう。この嫌味な挑発は。
その言葉に空辺は「そうなの?」という文字を顔に書きながら首を左右に振り周りを見渡す。
このままでは埒が明かない。早明浦は苦肉の策を示す。
「去年と同じ割合で配分する」
不満が溢れ、ヤジが飛び交う。
「足りないのは理解している。だからすぐに八家と交渉する。交渉が成立するまであらゆる費用を抑えて耐えてくれ」
横目で空辺を見るが、顔に「へー」と書くだけで自分から行動しようという意欲が見えない。
騒然とするなか、早明浦は会議の終了を告げた。するとすぐに「はい」と挙手をした人物が。その人物に騒いでいた皆々が一気に黙り込んで注目した。
「元帥代理。副団長という身分ではありますが、ここで発言することを許可していただけますでしょうか」
挙手した人物は自らの団長を通さず発言をしながらも、謙遜しながら伺いを立てる。
「勿論でございます。それにあなた様が許可を取る必要などありません、空辺様」
空辺は「副団長」の立場をわきまえて振る舞っているが周りはそうはいかない。
八家の一角でありながら、経験不足が目に余る少女に皆怒りを向けながら固唾をのむ。空辺は立ち上がって発言を始めた。
「先日の八家会議にて、一年前の大地震の調査を軍に引き継がせることが決定いたしました。元帥代理には調査が完了次第、八家にご報告をお願いしたく存じます」
その発言の意味を瞬時に理解した者はいない。早明浦はつい鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまった。
地震の調査の知識も経験も、軍にはからっきしに無いことを空辺が知らないわけがない。
そもそも地震の調査など八家にしかできないことである。例えば地震の原因の一つと言われる活断層の情報は全て八家が持っている。他にも各地にある地震計も八家の管理であるし、地殻変動によるものだったとわかったとしても、それを調べるための莫大な資金は軍にあるわけがなかった。
これは他の八家の軍に対する嫌がらせか、それとも空辺家に対する嫌がらせか。
「……かしこまりました」
断れるはずもなく、早明浦は承るしかなかった。
「経費についてですが、削られた七割が与えられます」
「なんですと?」
誰かが八家当主の発言中に声に出してしまった。それを無視して空辺は続ける。
「そして結果報告をしていただいた暁にはその七割全額を、軍に支給いたします」
そこまで言い切ると一回手を叩いて「おわりっ!」と大きな声を出した。
「解散っ!」
そして佐藤とともに会議場を去っていった。扉がバタンと音を立てて閉る。
しかし第一から第二十までの師団は驚きのあまり茫然自失。帰ろうとしない。そんな中、死にきった空気を突き破ったのは第五師団だった。
「同じ八家のくせに立場が弱すぎるからこんな面倒事を押し付けられる」
怒りをあらわにしたのは団長の
「長い間どこかをほっつき歩いていたのもあれだろう? 八家の権力闘争から逃げていただけだろう?」
犀川は空辺の体たらくに憤慨する。確かに空辺に、他家に反抗する発言力さえあればこのようなことにはなっていなかったかもしれない。
「大体第二十一師団の副団長に就いたのだって、要は自分の縄張りに隠れて守ってもらおうとしただけじゃないのか? ここではっきりわからせてやったほうがいい。軍は既にお前のものじゃないと」
犀川の後ろに控えている副団長浦山はそわそわし、目を泳がせている。
「おっ! 犀川君も賭けに参加するかい? 僕が気まぐれ、早明浦が最初から決まっていた。それで君は隠れる目的。負けたら今後百年の酒代を奢る」
「なんの話だッ!」
この場を楽しんでいる奈良俣の発言に犀川は額に青筋が浮かべて、両手握りこぶしで円卓を叩いた。
「ここでただ吠えていても仕方なかろう。押しつけだろうがなんだろうが八家からの直々の依頼だ。カネのためにもなんとかするしかあるまい」
場を制するように発言したのは第十九師団団長の入畑。
「そういうならお前がこの無理難題を引き受けるということだな?」
「犀川団長!」
浦山がケンカを売らないでくださいと窘める。早明浦は額に手を当てる。全員がどうするのだと早明浦を見た。
「これから考える。少し待っていてくれ。今日のところは解散だ」
これからの早明浦の手腕に疑念の視線を向けるものが何人もいた。資料の片づけを副団長にやらせている間にわざわざ早明浦のところまでやってきて「お前で大丈夫なのか」「しっかりやってくれ」など言いに来る者も。
何百年も同じ団長という立場だったため、未だに早明浦を上官元帥代理として扱おうとしない団長たちがいる。それも軍の規律としてどうにかしなければならないが、とりあえず適当にあしらって会議場から出て行ってもらった。
相変わらず額に手をあて、つきたくなる溜息をどうにか我慢していたところ、また一人早明浦のもとにやってきた。
「お前もなにかあるのか」
早明浦が顔を上げるとその人物は励ますかのように早明浦の肩を叩いてきた。
「いざとなったらミカちゃんに責任を取ってもらおう!」
奈良俣の目は意味ありげに輝いていた。
「じゃあ、僕ももう帰るよ。仕事も溜まってるし」
それだけ言うと颯爽と手を振って去っていった。早明浦にはその姿がなにかを期待しているウキウキな子どものように見えた。
扉が閉まり、部屋には早明浦と花貫、有間だけになった。
有間は疲れた顔をしていた。副団長に就任し予算会議に初参加の有間。他師団にナメられてはならないと会議開始前からずっと気合が入った表情をしていた。
対して花貫は団長としては新参者だがこのような場に副団長として何度も参加した経験により最後まで落ち着いていた様子だった。
「第一師団から補佐として何人か送りましょうか?」
「ああ、頼む」
第一師団だって忙しいのにもかかわらず、花貫には今でも助けられている。
「それでは引き続き、有間でよろしいでしょうか。他は後程選出して——」
花貫が話している途中で会議場の扉がギィーと音を立てて開いた。視線を向けると女が入ってきたところだった。
早明浦はその女を何度も見たことがある。元帥隊所属の
「まだお取込み中でしたでしょうか。でしたら出直しますが」
有間はまた八家のお使いかと呆れた顔をしている。
「いや、構わない。用件は」
「はい。本日からこの嶌本茉莉、元帥代理にお仕えすることとなりました」
予想だにしていない用件に三人の時間が一時停止した。したが、花貫はつい何百年も早明浦の副団長をしていた時の癖で早明浦が疑問に思ったことを察して質問する。
「嶌本さん、あなただけですか?」
「必要であれば何人でも」
「ということは、関津様は見つかったのですか?」
「いいえ」
嶌本は即座に否定する。
「では捜索はどうするのですか?」
「軍が地震調査をするのであれば大規模なものになるだろう。きっと関津様の痕跡も見つかるかもしれない、というのが八家様方のお考えでございます」
捜索は事実上、打ち切りということだろうか。
嶌本は花貫を見てから早明浦を見る。
「ですので、第一師団の手を借りる必要はありません」
この女たった一人でどうやって状況が改善されるのでしょうかと花貫が早明浦に視線を送ってきたが、この瞬間、元帥隊を動かすことができるのは八家のみであることを考える。
「そういうことなら花貫、すまない。なにか手助けが必要になったら声を掛ける」
「かしこまりました」
元帥隊。元帥直属の部隊。現在の人数は十五の少数先鋭。一人一人が一連隊の戦力を有しているとも言われているが、実戦に出てくることはなく、普段どのような活動をしているのか謎の集団。だった。大地震以前までは。
折前元帥が死亡してからは指揮権が宙に浮き、事実上八家の小間使いとして働いていた。
元帥隊の嶌本は本当に優秀だった。早明浦が特になにかを指示する前に既に必要なものが揃い、用意され、時には仕事が終わっていることさえもあった。
その完璧さに気味の悪さをも感じることもあったが、仕事の効率は格段に上がった。
その代償と言ってはなんだが、奈良俣がサボりに来ることができなくなってしまった。奈良俣がやってきて必要以上に会話をしようとすると嶌本がすぐに追い出しにかかる。
奈良俣と駄弁ることがなくなって初めて気づいた。鬱陶しいと思っていたあの時間も、自分には案外ちょうどいい息抜きになっていたのだと。
地震調査に関しては、八家が持っている今まで調査した情報が受け渡されず、完全に停滞していた。
今日も雨。しとしとと降る雨はここ数日続いているが、五月雨というには季節が追いついていなかった。
執務室にて早明浦と嶌本、二人きり。早明浦は事務を、嶌本は掃除をしている。元帥の執務室には機密の書類が多いため、元帥に近しい人物が掃除をする慣例がある。
必要以上の会話をしようとしない嶌本に今日、ふと、話しかけてみようと思った。
「嶌本、嶌本はどうして元帥隊に入隊しようと思ったんだ?」
「……」
嶌本はハタキを使って黙々と執務室を掃除し続ける。
「いや、答えたくないならそれでいい」
「いえ、思い出していただけです」
嶌本は作業を止めずに話す。
「思い出す?」
「元帥隊に入隊する以前は第一師団に所属していました」
「いつの話だ?」
早明浦は記憶を掘り起こす。早明浦が第一師団団長をしていたとき、団員の顔と名前を全員分覚えることに注力していた。だが、嶌本のことはいくら掘っても出てこない。
全員と関わりがなかった一団員だったころのことを思い出しても、嶌本とは団舎にてすれ違ったこともないだろう。
「どれくらい前になるでしょう。なにより、元帥代理の第一師団入団選考に私も関わりましたから」
早明浦よりもかなり若い姿をした嶌本は手を止めて早明浦と向き合う。
「ええ、懐かしいです」
「……」
「そう考えると、元帥代理は随分と老けましたね」
嶌本は無表情で言う。
「私は平均的だ」
対して早明浦は少しだけ強く言い返してしまった。
「別に、他意はありませんよ」
嶌本は何食わぬ顔をして再び手を動かし始める。
確かに早明浦の入団時の姿は十代後半だった。それが今では五十代と評価される外見になってしまった。若い姿をしていたころに比べれば、疲れは取れなくなったし、体のいたるところに痛みを感じるようにもなった。さらに少しだが物覚えは悪くなって、よく眠れない日もある。
対して嶌本は二十代。体の調子に関する悩みは無いだろう。
「若いままというのは羨ましいな」
早明浦は感傷に浸ってしまう。
若い姿のまま止まってしまう人間は少なからずいるし、寧ろ子どもの姿のまま成長が止まってしまう例もある。そういう人間は老いることを望むが、早明浦はそちらの方を羨ましく思ってしまう。
まあ実際は、老化がゆっくりすぎて、止まっているように見えているだけで、しっかり老いていっているという話だが。
「どうでしょう。取り残された気持ちになることもありますよ。たまに、ですけど」
その嶌本の意見に、嶌本も老いることを望んでいる一人なのかと受け取る。そしてハッと思い至った。
「もしかしてっ!」
早明浦は反射的に勢いよく椅子から立ち上がった。その音に嶌本が驚く。
「嶌本は古生まれか⁉」
「…古?」
嶌本はなんのことを言っているのかわからないという表情をする。
「昔、国家というものが乱立していたという。その頃に生まれたのか⁉」
早明浦の前のめりな姿勢に嶌本は少し戸惑っている。
「コッカ?」
嶌本は慣れ親しまない単語にどの漢字をあてるのかを聞いてきた。
「ああ、いや。なんでもない…」
「私が生まれた時には、世界は既にこの形でした」
「では知り合いにはいないか?」
早明浦よりも古い時代の人間である嶌本ならば交友関係も昔を辿れる。だが、嶌本は早明浦がなにを知りたがっているのか察しあぐねている。
「いないと思いますが…」
その回答に早明浦は失礼なほど目に見えてがっくりと肩を落とした。その様子を見て嶌本が気を遣う。
「八家様方が、その「古生まれ」、というものにあたると思いますが」
「そうか。そうだな」
それは知っている。早明浦は力んだ力が一気に抜けて、どっさりと椅子に座り込む。世の中、うまくいかないものだ。
「交友関係を広げたいのですか? 元帥代理ともなると必要でしょうから、色々と」
嶌本は早明浦の知りたいことに寄り添ってくれようとしているようだ。
「そういうわけじゃない。ただ、先人たちの知恵を知りたいと思っただけだ」
早明浦は嶌本が用意してくれたお茶を飲む。氷が入っていてキンキンに冷えたお茶は美味しい。切子の細工が施されたコップは一面結露していて指が濡れた。
「知恵? 例えばどのような?」
「権力争いに巻き込まれた時の世渡りの仕方とかだ」
そんな回答に「なるほど」と嶌本が呟く。考えてくれているのだろうか。
「元帥隊だってそうだろう? 八家と仕事をしていればそういう場面もあるのではないのか?」
「どうでしょうか。私たちは指示されたことのみを行う。ただそれだけですので」
嶌本はハタキでの部屋上部の掃除を終え、箒での床掃除へと移る。手際の良さから、日頃から掃除を行っていることが伺える。
「最初の質問の答えですが、私は元帥隊に入隊したいという意思を持っていたわけではありません」
「ならばなぜ。そもそも元帥隊は入りたいと言っても入れない部隊だ。どうやって第一師団から元帥隊に編入できた?」
「……」
嶌本は少し考えてから答えた。
「折前元帥の言葉を借りるならば、「あの方」、です」
「あの方……」
早明浦は折前元帥の口から「あの方」という言葉を聞いたのは一回だけだった。
第一師団団長に任命されたときに聞いた。折元帥はなぜ、何千年という気の狂いそうな長い間、元帥として戦い続けていられるか。その時返ってきたのがその言葉だった。
「あの方は一度裏切ったこの私を許して下さった。だから私はあの方のためにここを守り続ける」。
早明浦は最後まで、折前元帥の言う「あの方」が誰なのかを知ることが出来なかった。
「嶌本は、「あの方」が誰なのか、知っているのか?」
「いいえ」
「嶌本の元帥隊への異動は「あの方」が関わっていると自分で言ったではないか。会ったことがあるのではないのか?」
「ありません。折前元帥が伝言という形で、「あの方」が発した異動命令を私のところに伝えにいらっしゃいました」
嶌本はフフッと笑った。
「例の説を文字るならば、「あの方」は折前元帥によってつくられた偶像であり、権力を牛耳るためのまやかしである、かもしれませんね」
「汎用性があるな」
早明浦も思わず笑ってしまった。
外はまだ雨は止まないが、雲は途切れてきた。明日は何日かぶりに晴れ間がでるかもしれない。
嶌本。初めはとっつきにくい奴だと思っていたが、案外親しみやすいかもしれない。
「元帥代理、もう十九時になりますが、いかがいたしますか? 因みに今日のうちに終わらせなればいけない仕事はありません」
嶌本は使っていた掃除用具をまとめる。
「だからお前は掃除をして暇を潰していたのか?」
「お邪魔でしたでしょうか」
「いや。ただ、今することなのかと不思議には思っていた」
「掃除はこまめに、且つできるときにしなければいけません」
「言うことが妻と同じだ」
「本日は宿舎にお泊りになりますか?」
「いや、今日は家に帰る」
「そうですか。それでは、私は掃除用具を片付けてきます。また戻ってきますので、お帰りの際は鍵は閉めなくて結構です」
嶌本は礼をすると掃除用具を抱えて部屋から出ていった。
早明浦は筆記用具やら書類やらを引き出しに棚にと行ったり来たりして片付けた。それから帰り支度をし終え、部屋を後にした。
軍本部の出入口を出て手を伸ばし、雨の具合を確認する。雨は傘をささなくてもいいほどの降り方になっている。
早明浦は見張り番に礼をされながら、電気が灯る街に出た。
十九時に仕事が終わることも久しぶりだったが、我が家に帰るのも久しぶりだった。元帥代理になってからは特に帰ることができなかった。かといって、この一年丸々戻っていなかったというわけではない。
だが、久々に会う妻の機嫌を取るために好物の饅頭を買って帰ろうと考える。どの店の饅頭がいいだろうか。時間も時間であるために閉まっている店もあって選り好みはできない。
この時間も開いていると知っている店に向かう。軍本部に一番近い商店街の中央。甘味屋の暖簾をくぐる。
「よぉ! ゲンちゃん! 久しぶりだな!」
入った店は馴染みの店。店主は早明浦と同じ頃に生まれ、同じ様に年老いた幼馴染。貴族と平民。身分は違えどよく一緒に遊んだ。
「バカッ。あんたって人は。元帥様になんて口の聞き方するんだい!」
奥から出てきた店主の妻が店主の頭をはたく。早明浦はその店主の妻にも挨拶をしてから訂正をする。
「別に偉くもなんともないですからいいですよ、そんな。それに代理ですので」
店主がはたかれた部分を撫でながら訊く。
「代理…ってなに?」
「私にもわからない」
「まーたゲンちゃんの器用貧乏か? 好きだなぁー」
「うるさい。粒餡饅頭を三つ、包んでくれ」
早明浦は陳列された白い饅頭を指さす。
「最中も如何ですか?」
店主の妻は営業上手だ。笑顔でおすすめされれば食べたくなってしまう。早明浦は、じゃあ三つお願いしますと言ってしまった。
「五千円でいいぞ」
店主が商品を包みながら吹っ掛けてくる。
「高すぎやしないか?」
「美味いと旨いが組み合わさってんだ。こんな安い買い物は無い」
「なに言っているんだ?」
その問いに店主は他に陳列されている残りの商品全てを指さして円を描く。
「そんなにいるかっ!」
「雨で客が来なかったんだ。おらっ、持ってけ泥棒」
妻の機嫌をとるために饅頭を買いに来たというのに、あんな量を買って帰ったら逆に叱られてしまう。
あんたが考えなしに作りすぎるからでしょうと店主の妻が苦言を呈しながら、早明浦には注文通りの適正価格を提示する。
「細かく、小銭で頼むよ」
店主の妻は相手にしなくていいですよと言ってくれたが、早明浦は財布から溜まっていた小銭を鷲掴んで取り出した。
商品を受け取って店から出ると雨は完全に止んでいた。
和服を好んで着る早明浦は軽くなった財布を懐に、包みを片手に持って歩く。
七対三の割合で洋服を着ている人数が多いが、和服を普段着として着用する人間もそれなりにいる。
特に百年に一度、あるかないかで開催される阜井三千年による服飾販売会は強烈な人気があり、そこで展示される多くは和服である。そしてその洗練された意匠はどの世代をも魅了する。よって開催されるたびに和服が盛行し、一部の根強い信者がいる。
早明浦はそのうちの一人、というわけではなく、ただ単に和服が好きなだけだった。因みにいつも履いている草履は幼いころから自分で編んでいる。
商店街を抜けて住宅街に入る。早明浦の自宅は貴族の跡継ぎになれなかった人間たちが主に住む地区にある。豪華ではないがボロでもない、中途半端なつくりの家たちが並んでいる。
早明浦のような恵まれている次男坊は気楽でいい。兄姉と仲が悪いわけではなく、仕事があって収入は安定している。なにより下級、中級貴族の無意味な見栄の張り合いに参加しなくて済む。
こじんまりした平屋の前に立ち、電気が点いている我が家の戸を開く。
「ただいま」
玄関に入って、家の中に声を掛けると奥で妻が顔を出した。
「あら、源次郎さん、おかえりなさい」
妻のサダが玄関まで出迎えてくれる。そんな妻に早明浦は土産の饅頭を手渡す。
「まあ、ありがとうございます」
中身は饅頭だと伝えるとサダは嬉しそうに微笑った。
「では、お茶を用意しましょう」
サダは台所に向かった。早明浦は玄関框に腰をおろして草履を脱ぐ。さらに雨と泥で汚れた足袋を脱いでから、置いてある手ぬぐいで濡れた足を拭く。
雨の日は靴の方がいいというのはわかってはいる。だから執務室に置き靴を用意しようかと考えもする。
早明浦は拭いた手ぬぐいを風呂場の洗濯籠に入れてから私室に向かう。
部屋の電気を点けてから荷物を置いて、部屋着に着替える。部屋はいつも掃除されている。文机に並べ置いてある本にも埃は一切溜まっていない。
サダには感謝をしなければならない。たまにしか帰ってこない夫だろうとこうして尽くしてくれる。
平民出身のサダは下級、中級貴族特有の人を見下す嫌味はない。誰に対しても等しく接し、素直に感謝を伝え、謝る時は謝る。早明浦もサダから学ぶことは多い。
着替え終わった早明浦は電気を消してから居間に移動する。座卓には買ってきた饅頭と最中、お茶、軽食に粽が用意されていた。
一時帰宅が多い夫のために、サダは手軽に食べられて、且つ腹持ちのいい粽を常備してくれている。
待っていたサダは着替えた早明浦を見てびっくりした。
「今日は戻らないんですか?」
「先に言えばよかったな。すまない」
早明浦は腰を下ろして熱い茶をすする。
「夕食を作りましょうか?」
「サダはもう済ませたのか?」
「ええ」
「なら大丈夫だ」
早明浦は粽を手に取って葉を剥いて、かぶりついた。
「うん、美味い」
サダも饅頭を頬張る。
「饅頭も最中も二つずつ食べていいからな」
その言葉にサダの表情がパッと明るくなる。
「いいんですか?」
「ああ、そのために三つずつ買ってきた」
「嬉しい。では、遠慮なくいただきます♡」
食べながら夫婦互いに最近の出来事を報告し合い、語り合い、笑い合った。久方ぶりの団欒。当然仕事に関することは話せないが話題は尽きない。
「そうだ、源次郎さん。ここ最近、阜井様が布を山のように買い集めていらっしゃるそうですよ」
「久しぶりに服飾販売会をやるのか」
「質のいい布ばかりお選びになっていると聞きました。触り心地だったり、色だったり。阜井様が直々にお店や工場に赴いて吟味していらっしゃるようで、値段も高い安いを気にせずに、お金に糸目を付けないで買い漁っていらっしゃるとか」
八家当主、しかもあの阜井の接客となると骨が折れるだろう。我が儘放題で、つける注文も度を越しているに違いない。早明浦はどうしても他人事とは思えない。
「布の値上げが始まるのかしら。ねえ源次郎さん、うちも服とか色々買い溜めたほうがいいかしら」
「いや、その必要はないだろう。今まで服飾販売会が原因で値上がったことは無い。もし本当に値上げが始まったとしても、そのうち八家から布を扱う業界全てに不当な値上げを禁止するお達しが出される」
そして売り惜しみを禁止するお達しが出されて、機織り産業への副業が推進されて、それでも足りなければ、最終的に軍が便利屋さんとして手伝うことになるだろう。
自分たちで経済を荒らしておいて、勝手な話だが八家はいつもそうだ。そう考えるとまた一つ、早明浦の仕事が増えた。
早明浦は空になった自分の湯呑に急須でお茶を注いだ。そして飲み終わりそうなサダにも注いだが、湯呑の半分もいかないところでいくら傾けても水滴がポタリとしか出てこなくなってしまった。早明浦は台所に行ってお湯を注ぎ足してこようと立ち上がったが、サダに止められた。
「久しぶりに帰ってきたんですもの。ゆっくりしていてください。私が入れてきます」
サダは食べかけの最中を皿に置いて台所に行った。そしてすぐに薬缶でお湯を沸かす音が聞こえてきた。
早明浦は置いてあった新聞を手に取る。一面には城下町はずれの村落で集団転化が発生した事件が大きく報じられていた。
それと同じ欄に、転化への恐怖と不安に付け込んだ詐欺や悪徳商法などが多発しているため、被害にあわないよう気をつけるようにとの注意が書かかれている。
また、転化に対抗又はしないためと謳った間違った知識が広まっているため安易に信じないように、鵜吞みにしないようにとも注意喚起がされている。
二面は全く別の記事。あの暴れ川三兄弟が発端の事件。
事の仔細はこう。
ある朝、下級貴族の屋敷の裏の通りに大量の物品が敷き詰められていた。そして「虫干しを手伝ってやったぞ」という犯行声明。
暴れ川三兄弟の絡みの事件の通報を受けて出動したのは勿論第二師団。すぐに現場に駆け付けた第二師団団員が被害にあった下級貴族の主人に話を聞こうとしたところ「通報したのはウチではない」と追い返されてしまった。
確認したところ、確かに通報したのは被害者の下級貴族の主人ではなく、道が塞がって迷惑していた周辺住民だった。
確かに敷き詰められた物品はその下級貴族のもので間違いなかったが、下級貴族の主人は盗まれた物品は無いと言うため、第二師団団員は一通り調査した後、早急に片付けるよう伝えてその日は終わった。
だが蔵にもいたずらが施されてあったようで、作業は遅々として進まず、何日経っても片付かない。道を開通させるためにも手伝おうと第二師団が向かったが、下級貴族の主人は軍の介入を頑なに拒んだ。
なにかあると察した団長の奈良俣は、元帥代理の早明浦を通して上級貴族八家の許可を得て捜査を行った。
すると出てくるわ出てくる、違法の証拠が。脱税、資金洗浄、金の闇取引、それら他に隠蔽と工作。
虫干しされていた物品たち、つまりお宝たちはそれらで儲けた金銭で買った物だった。そして実際にはおよそ時価一億弱円相当の金が盗まれていた。
捜査には元帥隊も加わり、他に加担した貴族がいないか調べている、と書かれている。
そう、この前、奈良俣には手柄を横取りする気かと押しかけられたが、元帥隊は八家の許可があることを示し、貴族たちが騒がないように見張っているだけで、実際に捜査しているのは第二師団であったし、私が動かしているわけではないの一点張りで追い返した。
そもそも、横取りもなにも早明浦が上司で奈良俣は部下であるのだから、なにを言っているのかという、まずはその話になるのだが無視しておいた。
そんなことは奈良俣もわかっていることだ。ただそれを口実に遊びに来ただけだろう。嶌本が席を外しているときに来たことからもわかるように。
新聞は早明浦の既知な事柄ばかり。なにか新しい情報はないかと読み進める。競技のこと、経済のこと、二頁にわたる広告。パラパラと頁をめくって、最終の四コマ漫画の頁までたどり着いたときサダが台所から顔を出して訊いてきた。
「そうだ源次郎さん、明日の朝ご飯はなにがいいですか?」
「明日は早く出るつもりだ。だから簡単なものになるだろうが私が作っておく。サダはゆっくり寝ていてくれ」
心裡留保 紀野光 @kino-hikaru
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