心裡留保
紀野光
第1話 あの方
あの方は一度裏切ったこの私をお許しくださった。だから私はあの方のためにここを守り続ける。
——軍元帥
一年前
一昨日、巨大地震が都市を襲った。建物は崩れ、人々は押しつぶされ、社会は麻痺した。
そして折忠成元帥の死亡が発表されて一夜が明けた。治安維持を確保することが最重要課題であると判断した、八つの家で構成されている上級貴族、通称
そんな出世した早明浦を祝福するようなこの青空が綺麗で憎い。
そしてもう一つ。街の中心に建つ天守閣。この世界で唯一、瓦一つ落ちることなく、石垣一つ崩れることなく、以前と変わらない姿で聳えている。
あそこに御座す王はこの期に及んでもだんまりを決め込むらしい。
早明浦は指示を仰ぐ部下たちに的確に命令を下す。警察権も持ち合わせる軍のやるべきことは手広い。
下級貴族出身であり、元帥「代理」からの指図をよく思わない輩もいるが早明浦は気にしない。
「事態を収拾しろ」
それが事実上最上位に立つ八家からの注文。
くだらない足の引っ張り合いに右往左往している場合ではない。異常事態は次から次へと起こっている。
昨日、早明浦の師団に百年間所属していた若い見た目をした団員がたった一時間で年老いて死んでいった。老いる速さは人それぞれであるが、ここまで急速に老化が進行することは過去、記録でも今まで無かった。
他にも
「転化体とは物体が異形へと変化したもの」、と定義づけられてはいるが、具体的な発生原因等々多くが未だ解明されていない。一般論では、山の中、森の深く、海の底、洞窟の奥で転化すると言われているが、今日未明、緊急避難所で避難民たちが一斉に転化したという報告が上がってきた。
一度転化してしまえば最後。二度と元の姿には戻れない。
理性を失い、異形の化け物になった避難民たちが新たな被害を出す前に、一刻も早く始末しなければならなかった。
「真面目にやっているのか」
朝、早明浦を訪ねてきた女はそう尋ねてきた。声は荒げなかったが、その声色から随分とお怒りだということはわかった。
女は八家のうちの一つ、阜井家。その当主の
一切素肌を見せないよう、通年和服の上に羽織を着用し、さらには頭巾をかぶっている。かろうじて露出している目は奇形で、瞬きの際には完全に目を閉じることができない。声も低いガラガラ声で聞き取りづらい。
性格は非常に高慢で、八家当主の肩書が無ければ迫害されていたであろうこの長身の女は、先日亡くなった折前元帥が健在だったころから、個人的に軍に対して口を出してきていた。
八家は王から直々に特権を与えられている。そして八家当主で合議体を成し、行政、立法、司法、軍事、経済等々、様々な分野で権力を独占している。
これが、王が自ら政を行わない理由の一つである。
だがあの女、阜井家は軍事についてはなんの権限も持っていない。軍事権は
空辺家当主は折前元帥が頼れる人物だからという理由で責任を放棄し、遊びに出かけている。八家が定期的に行っている会議にも出席していない。
稀にふらっと帰ってくるが、またすぐにいなくなってしまう。因みに今も行方はわからない。
だから八家不可侵の暗黙の了解を破って、阜井が出しゃばってくる。
亡き折前元帥は空辺家当主とは昔馴染みという理由から、八家の誰に対しても物怖じせずに対等にモノを言うことが出来たが、そのようなことは下級貴族出身で強力な後ろ盾が無い早明浦には到底許されない芸当だった。
「さっさと城下を片付けろ」
だったら仕事に戻らせろなどとは口が裂けても言えない相手に辟易していたら、文句を聞き流すだけで午前中が終わってしまった。
それでやっと解放されて、昼食もとらずに午後から再び、その八家から任せていただいた元帥代理の仕事を全うしていたところ、第一師団副団長の
「早明浦元帥代理、
「今度は埼村家か」
またか…、とつい溜息を洩らし、額に手を当てる。
「お疲れですね」
疲れもする。また八家の相手をしなければならないのかと。悪意を持って、故意に待たせてやろうかと思ってしまう。
「阜井家も埼村家も、そんなに軍事権が欲しいのか?」
そうなると、下級貴族の早明浦を代理に起用したこともただの繰り上がりではなく、逆らえない傀儡を選んだという意図があるのではと考えざるを得ない。
「埼村様は空辺様のような寛容な方ではないので、あまりお待たせしてしまうと怒り心頭に発してしまいますよ」
早明浦の不埒な考えを読んだのか花貫が急ぐようせっつく。
空辺ミカ。遊んでないで帰ってきてくれないかと早明浦は思う。前回会ったときは少女の姿をしていた、形式上、軍事を掌握している女。
早明浦は続きの仕事を花貫に任せて、仕方なく会議場に向かう。
会議場といっても、ほぼ全てが瓦礫の下に埋まってしまったため、ありあわせのもので繕った申し訳程度の粗末なテーブルと椅子が置いてある場所だ。
そのことに関しても阜井には文句を言われた。今度は一体どのような文句が待ち受けているのか。
会議場に到着すると、午前中には無かった日よけの天幕が張られていた。その日陰には椅子に深々と腰を掛け、背もたれにどっしりと寄りかかっている白髪白髭の老人。お付きを一人、後ろに立たせている。
「お待たせして申し訳ありません」
早明浦は思ってもいない謝罪の言葉を真顔で口にして、軽く礼をしてから対面の椅子に座る。
「……」
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……」
この偏屈爺は高慢女とはまた別の方法で早明浦の貴重な時間を無駄にしようとする。しかし早明浦も下手に口を開くことが出来ず、ただただ時間が流れていく。
「……」
「……」
「早明浦よ」
埼村がやっと話し出したのは十分後だった。
「今は、前代未聞の過渡期と言える」
「承知しております」
「乗り切れるかどうかは全て、我々にかかっている。…わかるか」
早明浦は埼村の言いたいことはなにかを予想し、頭の中にいくつもの回答を用意する。
「折が死んだ」
「はい」
「軍設立以降、何千年と元帥の座に就いていたやつが、だ」
「はい」
「代理ではあるが、新しく元帥を任命した我々には責任がある」
早明浦は簡単にご心配なく、お任せくださいと言わない。
「王は我々に期待しておられる」
埼村は後ろに控えているお付きに目で指令を出す。
「失敗は許されないのだ」
お付きがテーブルの上に一枚の紙を差し出す。
「署名をしろ」
早明浦は手には取らず、文面を読む。ダラダラと長文で書かれているが言いたいことはただ一つ。
「軍は埼村家のもとに」。
(きた)
ある学者曰く、「八家は爆薬庫そのもの。重要なのは「空辺家」ということ。政に積極的ではない空辺家が軍事権を持つことで、現在の勢力均衡を成している」。
この説を考えると、軍事権の在処の変更は戦火の火蓋を切ることと同一である。
早明浦は埼村を見据える。今は皺一つ、動きを見逃すわけにはいかない。
「他家が黙っておられないと思いますが」
とりあえずの様子見として、模範解答を口に出す。
「そうか。お前は知らないのか」
埼村が鼻で笑った。
「八家は実力主義であり、成果主義でもあるんだぞ」
特権で守られているくせになにを言うのかと早明浦は思う。それに特権だけでは飽き足らず、己らを優遇する立法をし、公布をし、施行する。
よくもまあ今まで政が荒れずに済んでいると、そこだけは感心する。
他家を持ち出しても牽制にならないのならば他の手札を切る。
「埼村様は、王不存在説に立つおつもりですか」
王不存在説とは一部でまことしやかに囁かれている噂である。
「『王』とは、八家によってつくられた偶像であり、権力を牛耳るためのまやかしである」。
「その戯言か」
埼村の目が一気に冷えた。
「軍事権の在り処は王がお決めになることです」
「勿論だ。わしは、全ての事柄は王のご意向に従う」
ならばこの紙はなんだと言いたいところだが、矛盾を平然と言ってのけるのが、この爺の八家たる所以である。
早明浦は心の中で天を仰ぎ、呆れる。これだから八家の相手は嫌なのだ。そうほとほと困っていると、
「なにをしている」
天幕にガラガラ声が反響した。早明浦は顔を、埼村は視線だけを向ける。そこにはいつの間にかいた阜井が埼村を鬼の形相で睨んでいた。
「提案をしていただけだ」
埼村が答える。
「これが提案だと?」
阜井がテーブルに置かれたままの紙を手に取り、ビリビリに破いてそこらの地面に叩き捨てた。
「こんなもの、許されるわけがないだろう」
阜井が埼村に詰め寄る。
「ほう。わしと同じようなことをしていた奴がなにをぬかしておる」
反対に埼村は視線を戻して微動だにしない。
「私は折に言っていたのだ。軍事権を奪い取ろうなどという不埒な考えは無い」
「わしも早明浦に言っておるのだ。軍事権を奪い取ろうなどという不埒な考えは無い。お前となにが違う?」
そのオウム返しに阜井が抜刀して埼村に切っ先を向ける。今にも首に突き刺さん勢いで。
息が詰まるような鋭い殺気が天幕の中に駆け巡る。吹く風が三人の間を通り抜けた。風に吹かれて、刀を握る阜井の袖口から黒焦げたような手が見え隠れする。
「これは反逆だ」
「フッ」
冷笑う埼村は平然としている。同じく、お付きもただ見ているだけである。
空気がビリつく。
「元帥代理!」
叫び声だった。
その空気を突き破った助けを求める声のほうを全員が見る。血塗れの第一師団団員が足を引きずりながらこちらに向かってきていた。
「どうした」
早明浦は手前で力尽き蹲った団員に駆け寄り、懐から水筒を取り出して飲ませた。ここは八家の当主様方がいる手前、形だけでも話し合いの場に割り込んできた部下を諫めなければならないが、私欲に塗れた連中の面子をたてるつもりはない。
「南方より転化体の大群です!」
団員は息も絶え絶えの容態で報告するが、三人が三人とも動じなかった。
埼村は奇術師のように袖から小刀を取り出し、それを使って阜井の刀の切っ先をどかしてから立ちあがった。
「それでは、仕事をしに行こうか」
「おい!話はまだ終わっていないぞ!」
食って掛かる阜井に埼村は凍てつくような目で見返す。
「なんだ?お前が転化体の死体の処理をしてくれるのか?」
「キサマっ…」
阜井は言い返せないながら怒りに体を震わせる。
「早明浦よ」
「はい」
「前回、運ばれてきた死体の中に生きていた個体があった。とどめはきちんと刺しておけ」
「申し訳ありません。以後、徹底させます」
現在
城下を中心としたある程度の範囲の復興はほぼ完了した。一部の地域は元通りになり、活気が戻った。商店の看板一つから長屋の格子に至るまで姿かたちが同じである。
ただ建物全てが新築であるため違和感は拭えない。同じだからこそ、既視感がありながらも不一致で気持ち悪く感じる。まるっきり同一の街にいるのに、知らない街にいるようである。
昼過ぎ。早明浦は軍本部にある元帥専用の執務室にて旧友と話していた。
「君はいつまで『代理』なんだい?」
「さあな。私が決めることじゃない」
第二師団団長の
今回の手土産は小物の報告書だった。
「お前が直々に持ってくる話じゃあないだろう」
元帥代理は暇じゃない。第一師団団長は花貫を後任に指名し任せたが、仕事量は減った気がしなかった。
「『第二師団団長』に持ってこられては目を通さないわけにはいかないんだ」
内容は犯罪集団による被害報告。
「もっとましな案件を持ってこい」
早明浦は机の上に提出された紙束を右人差し指でつついた。
「僕は重大事件だと思っているよ」
暴れ川三兄弟と名乗る犯罪集団。犯行現場には必ず犯行声明を残すマメな奴ら。そのくせその他痕跡は一切残さず、捕まえることが出来ていない。
そして犯罪技術は頗る高いくせにやることが幼稚だった。
・業突張りな商人の家の台所に侵入し、炊きあがった米を全ておにぎりにする。
・藁葺屋根を花で豪華絢爛に飾り付ける。
・男娼たちが大事にとって残していた切り取った睾丸を娼館前に陳列する。
転化体の討伐が優先第一の軍にとってはどうしても後回しにしてしまうことばかり。
「今回はなんだ」
「・教練院の院生たちに強壮剤を盛った」
「またなんとも迷惑なことを」
「実技試験で一部の院生たちの記録が異常にいいもんだから、やり直しだそうだよ」
暴れ川三兄弟に会ったらまず聞きたいことがある。他にやることはないのかと。
「そうだ、教練院といえば。もうすぐ選抜が解禁されるね。そっか、もうそんな時期か」
奈良俣は話を逸らした。自身で振った話題に、自身で頷く。
毎年、教練院卒業予定者から入団志願届が提出される前の時期に、各師団が直接、若干名、選抜することが許されている。成績は勿論、人格、素行、特殊能力の有無、その他諸々を各師団独自で総合評価して指名する。
そしてそれぞれのお眼鏡にかなうような優秀な人材がホイホイいるわけもなく、毎度取り合って揉める。
「ウチと第一師団はよく指名が被ってお互いに苦労したけど、君、今は元帥代理だから。譲らないといけないのかな?そもそも今回、元帥隊は参加するのかい?」
「いや。元帥隊の指揮権許可が下りていない。だから選抜にすら関われない」
元帥隊は「空辺家が折忠成に与えた」という歴史があった。要は折前元帥の私兵のようなもの。その折前元帥が死んだ今、元帥隊の指揮権は宙に浮いたままになっている。
「八家も「代理」には「はいどうぞ」とは言わないよね。でも、あんなに優秀な人材を揃えた部隊を遊ばせておくなんて。もったいない」
「仕事はさせられているみたいだ」
「へぇー、誰が動かしてるんだい?」
「表向きは誰も。だが、八家の
「乗っ取られてるじゃないか」
奈良俣は笑う。
「でもレン君、あの地震以降姿が見えないんだっけ? せっかく八家当主に就いたばかりなのにどこに行っちゃったんだろうね。八家の勢力均衡が崩れたらって考えると、戦争になるのかな? おぉー怖い怖い」
「滅多なことを言うな」
早明浦は注意するが、このたった一年間で何度も一触即発の場面を目の当たりにしているせいで、奈良俣の言葉は現実味を帯びている。八家は仲が悪い。
「今頃、貴族は下級も中級もどの家につくか思案しているのかな?」
「考えたくない」
早明浦は額に手を当てる。
「お! そうか! 君も下級出身だったね! よかった、僕は平民で」
奈良俣はわざとらしく気づいて、わざとらしく安堵する様子を見せる。
「家の方は兄姉がいるから関係ない」
「でも君は元帥代理だ」
それぞれの家はどの程度の戦闘力を用意できるのか。仲介するためにはどう立ち回ればよいのか。しかしもし空辺家が参戦するとなると早明浦たち軍の立場はどうなるのか。などと高速で戦略を考えてしまう軍人脳を振り切るために奈良俣の話をぶった切る。
「で、お前はいつまでここにいるんだ?」
「いつまでって、まだ暴れ川三兄弟の件の指示をもらってない」
「まだその話をするのかっ!」
こいつと話すのは鰻を手掴みしようとするようだ。イライラする時がある。
「もう時間だ、帰れ」
早明浦は手で払う動作をする。それでも奈良俣は一歩も動こうとしない。
「だから、どうすればいいのさ」
「お前に任せる。もういいか。次が待っているんだ」
「次は誰だい?」
新たな話題に食いついて帰ろうとしない奈良俣にお前には関係ないと言いたかったが間接的に関係があるため答えるしかなかった。
「佐藤」
わざと苗字だけで答える。
「どの佐藤さん?」
最近苗字人口の栄冠を手に入れた「佐藤」に思い当たる人物が多く、追加の情報を望む。
「折前元帥からの引継ぎ事項だ」
わざと詳細を答えない早明浦に奈良俣は意地悪だなぁと不満を口にした。
「ああ、わかった。師団を増やす計画ね。どうして折前元帥は増設しようとしたんだろう。欠師団を埋めればよかったのに」
奈良俣の言うことは尤もだった。
新設するとなると膨大な金と労力と時間が必要となる。特に新師団舎の建築などは無駄もいいところだ。欠師団舎は使われていないのにも関わらず、掃除はしっかり行われているのだから、適当に欠師団に当てはめて、そこを使えばいいと思うのは、通常の判断能力を有する一般人ならば誰でもそう思うことである。
「でもまあ、佐藤君もすごいよね。教練院をたった半年で修了。しかも首席で。そして折前元帥が五百年ぶりに直々に元帥隊に選抜。さらに彼のために師団を新設だろう?会ってみたいな」
「おい」
「いやいや。団長同士、関係を築いておかなきゃ。だから、居ていいよね?」
気楽な口調で喋るのが奈良俣の特徴だが、計算高いことを早明浦は知っている。ここでなにを言ってもこいつは帰らない。
「元帥様と一対一じゃあ、佐藤君だって緊張するだろう? 代理だけどね。だからこの僕が緩衝材としてここにいてあげる」
奈良俣も早明浦のなんだかんだ言いながら甘い性格をよく知っているために引くことはない。
事実、佐藤は早明浦などに物怖じする人物ではないが、もうどうしようもない。
「好きにしろ」
早明浦は諦めることにした。それとは対照的に奈良俣は一気にほくほく顔になる。
「じゃあ、僕は隅にいるから。気にしないで」
気にするなという割にはその後もベラベラと喋り続ける奈良俣を相手にしていたら、時間通りに佐藤が来た。
「おっ! 時間ぴったりだ」
早明浦の開口よりも早く口を開く奈良俣を横目に見ながら、佐藤の差し出す書類を受け取る。
新設師団の構成員届出書。
「なっ?」
頁をめくって、そこに書かれている名前を見て、早明浦は目を疑った。
副団長 空辺ミカ。
「なんだ、これは」
反射的に口に出していた。それに対して佐藤は無表情。
「『なんだ、これは』ってなに?」
その声は執務室にいる男三人のものではなかった。
書類から顔を上げると、さっき佐藤がきちんと閉めた扉がいつの間にか開いていて、そこに上は半袖白Tシャツ、下は黒の袴の赤髪の少女が立っていた。以前より大きくなったが幼さが残る顔。
「面白いでしょ?」
天真爛漫さは変わらない。執務室に入室し、佐藤の半歩後ろに立つ。
「ということで、よろしくっ?」
空辺は屈託のない笑みを浮かべる。
奈良俣も少し驚いた様子だったが、いつもの調子で空辺に「久しぶり」と声を掛け、手を振る。それに応えて空辺は「やっほー」と手を振り返す。
早明浦は上官が立っているのだから座っているわけにもいかず、立つ。その行動に奈良俣が「真面目だなぁ」と感想を述べた。
「今までどちらに」
正直、佐藤に対して「どこでつかまえてきた」と問いたいが、ここは空辺に質問する。
「どちらに?んー、いろんなところ」
答えになっていない答えに部屋の中が静まり返った。時計の針の音が聞こえるほどに。そんなところで佐藤はさっさと用件を済ませようと話を進める。
「そんなことより元帥代理、届出は受理していただけますか」
この佐藤という愛想のない男。なんでもないことのように言うが、受理していただきますかもなにも、これは早明浦の手に負える事案ではない。
八家当主、しかも軍事権を掌握している最上官がその地位を保ちながら下官になる。
困る。しかし本人を前にして勘弁してくれとは言えない。それほど八家という存在は絶対的なもの。
「いいよね?」
そんな苦しい心中も知らず、当の本人は両手を胸の前で組んで、煌めき期待に満ちた眼差しを向ける。
「…あなた様がよろしければ…」
「ほらっ。大丈夫だって言ったでしょ?」
渋々答えた早明浦とは反対に空辺は佐藤にドヤ顔を向ける。そして佐藤は無感情に「ああ」としか答えない。
「それじゃ、あたしは八家会議に出てくるから」
「出席するのかい? 珍しいね」
空辺の出席宣言にあの奈良俣でさえ目を丸くする。
「いやー、ここに来る途中、三千年に見つかっちゃってさー。出ろってさ。あーあ、会議、ほんとヤなんだよねー。関津がいなくなったから六人になって、多数決の時に票が割れてなにも決まらない、とか言われても、知るかっ!ってね。ダルいなぁ」
空辺はグチグチ言いながら、それじゃねと手を振って挨拶をして執務室を出ていった。
お偉い様が風のような立ち回りをして去ったところで、早明浦はもう一度、届出書を確認する。副団長が空辺ならば、他も錚々たる面子がそろっているに違いない。
そう思って確認したが名簿には無名の数人の名前しか記載されていなかった。渡された時点で書類は薄すぎたため、ある程度の予想はしていたが。
「全員を記載してくるように言ったが」
「これで全員です」
「これでは分隊だぞ」
「追々増員していく予定です」
佐藤は必要最低限の回答しかしない。
新師団設立が正式決定してから何年もなにをしていたと問い詰めたいが、背後に空辺がいると考えると強く出ることが出来ない。早明浦は仕方なく、名簿に目を通す。
団長、副団長以外、全員が「団員」として括られている。だがもう、そこについてはなにも言うまい。そう名簿を眺めていると、
「ん?誤字があるぞ?」
「どこでしょう?」
早明浦は一人の名前を指さす。
「
「いえ。タナカデンチュウ、です」
「……そうか」
ただ気になる点がもう一つ。名簿の最後に「団員」で括られていない一人の名前があった。早明浦は再び指をさす。
「この「料理長」というのはなんだ?」
「そのままの役職の意味です」
このふざけた届出書。あの赤髪の小娘が一枚も二枚も嚙んでいるに違いない。
早明浦は座りなおして仕方なく受理の署名をする。
「では下がってもよろしいでしょうか」
佐藤が訊く。
団員の調整のために早明浦は相談、助言等が必要だと考え二時間もの時間を面談としてとっておいた。それを佐藤にも伝えており、佐藤はそのことを訊いているのだ。
話すことがないのなら顔を突き合わせていても意味がない。早明浦が了解すると、失礼しますとだけ言って部屋を出て行った。出て行ってから奈良俣が猛烈な勢いで詰め寄ってきた。
「佐藤君、一体何者なんだい!?」
「私が知りたい」
八家当主と仲のいい(?)新団長。やっかいな師団が誕生した。悩みの種がまた一つ増えたと早明浦は嫌厭する。
「全く隙が無いって感じで怖かったね」
奈良俣は佐藤に対する第一印象の感想を述べ、早明浦が署名し終えたばかりの届出書を手に取る。
「うわ! 本当に書いてあるじゃないか。ミカちゃんの名前」
奈良俣は届出書を日に透かして、届出書自体が虚偽ではないかと確認する。
「折前元帥も新設しないで、欠師団を埋めればいいのにって思っていたけど…」
「最初から空辺様を入団させるつもりだったってことか?」
ならば特別席を用意する必要が出てくる。
「じゃあ、僕はミカちゃんの気まぐれに賭ける。負けたらこれから百年の酒代を奢る、でどうだい?」
「断る」
「つまらないなぁー」
奈良俣は届出書を早明浦にわざと突き返すように乱暴に手渡してきた。そして伸びをしてから、壁にもたれた。
「もう選抜どうこうの話じゃなくなっちゃったよ。入団志願者の獲得もどうしようか。本当に」
奈良俣は頭を掻く。
「院生たちは新設の第二十一師団は様子見して見送るだろうから、ウチは今回も一定数の志願者は見込めるって思っていたけど。いやはや、胡坐をかいている場合じゃあないね。面倒事に巻き込まれないよう安泰を求めて既存師団に入団申請するか、それとも大出世の好機だと捉えてミカちゃんのいる第二十一師団に申請するか。院生たちがどう判断するのか見極めないと」
入団志願制度は形式的に院生の希望を聞くだけで、志願したからといって必ず入団できるわけでもなく、させなければならないというものでもないが、第二師団団長奈良俣の考えは前向きな考えで入団する院生が欲しいということでこの制度を重要視している。
「お前のところは人員に困ってないだろう」
第二師団は団員が他団と比べても多い方だが奈良俣は反論する。
「困ってる。頗る困ってる。あっちもこっちも転化体。大地震以降どれだけ討伐しても湧いて出てくる転化体に対応しているだけで機能不全に陥りそうだっていうのに、さらに異常な老化現象も収まらない。団員たちは怪我で再起不能になるわ、殉職するわ、突然老衰するわでてんやわんや。どこの師団も悲鳴を上げている」
そう訴える奈良俣が早明浦を試すような表情で見る。
「君の腕の見せ所だね」
変に挑発的なことを言う。だから冗談で返してみることにした。
「なんだ?私に失脚でもしてほしいのか? お前が「元帥」の席に興味があったとは初耳だな」
そんな早明浦に奈良俣はニヤついた。
「そんなこと思っているわけないじゃないか。せっかく大親友が出世したっていうのに。僕は喜んでいる」
そこまで口にすると奈良俣のニヤつきが不気味なものになった。
「…僕はね、君が失脚するくらいなら第二師団が全滅したほうがいいと思っているよ。後ろ盾は多いほうがいいからね」
「なんの話だ?」
部下たちが全滅したほうがいいなどと団長としてあるまじき発言をしたことに呆気にとられている早明浦に、奈良俣の細くなった瞼の隙間から黒が見えた。
「僕はね、八家の席に興味があるんだ」
「は?」
「レン君。僕はね、死体で見つかってくれないかと願っているよ。関津の席が空けば、こんな機会は滅多にない」
「お前、まさか——」
確かに八家は世襲制ではないが…。
「まさかってなにさ?僕はなにもしてないよ。ま、八家はみーんな長寿だから、僕の首は長く伸びきって、とっくのとうに天まで届いている」
奈良俣はクツクツと小さく笑い声を立てる。それが二人だけの部屋によく聞こえる。早明浦は開いた口が塞がらない。
「じゃあ、僕もそろそろお暇しようかな」
さっきまで頑なに帰ろうとしなかった男は、早明浦が止める間もなく部屋を出て行った。
今の八家に関する発言、ただ早明浦をからかっただけであるのか、それとも本気であるのかはわからない。
早明浦は窓際に立ち、街を見渡す。大地震以前と瓜二つに再建された建物たち。軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたと思われる城及び天守閣の下、穏やかに営まれる生活。賑わう商店、行き交う人々。
それなのに早明浦の胃には穴が開きそうだった。軍の運営に、八家のいざこざ。常に問題に囲まれ、それらに対して有無を言わさぬ正解を出し続けなければならない。
空辺が帰ってきたのだから彼女に丸投げてしまえばいいとの考えがふと過ってしまうが、早明浦の真面目な性格がそれを許さなかった。
子どもの頃に見つけた、実家の書庫に隠すように収められていた手記を思い出す。
「かつて「国家」というものが無数に存在し、国土拡大のため、国家同士で絶えず争っていた」という、現在ではなにを言っているのかさえもわからない記述。
八家の誕生以前の歴史書が存在しないこの世界で、これは世紀の大発見だと思った早明浦少年は、いの一番に父親に手記を見せた。しかし、そんな興奮する早明浦少年に送られたのは褒め言葉ではなく、大人の男の容赦のない拳骨だった。
そして言われた言葉が、「口外するな」、「忘れろ」、の二つだった。そして手記は取り上げられて燃やされた。
それ以降、当時を記述した記録も歴史書も早明浦は未だに見たことがない。
この世界に、国家という言葉があった古の時代。当時の人々も欲望渦巻く一部の人間たちによって右往左往していたのだろうか。
是非話を聞かせてほしかったと思う。いや、探せばいるかと思いつく。この世界、人によっては当たり前に何百年も生き続ける。よって古生まれで、それでもって存命の人間は多くはないが存在しているだろう。
だが自分の足で探すのは骨が折れる。世界は広い。とすれば、戸籍を確認するほうが早い。ところが戸籍を確認するとなると、行政を担っている八家のところに赴かなければならないし、そもそものところ、早明浦に戸籍開示の権限はない。
そしてなにより、仕事以外で八家の皆様方とは関わり合いになりたくない。
近くに古い人物はいないか。知り合いの顔を順に思い出し、そして気づく。いた。
阜井三千年、埼村フウリ、他の八家も何人かそうだったはず。
早明浦は額に手を当てる。
「結局八家に行きつく」
大きな独り言が出てしまったが、一人なのだから気にしない。
そして気づいて悔いる。折忠成前元帥も古からの人物だった。存命のうちに聞いておけばよかった。
だがすでに時遅し。後の祭りである。
手記には他にも書いてあった。
昔、生きとし生きる全ての老い速さは皆一定平等であって、人間に限定すれば寿命は百いけば十二分に長生きしたと言われていたらしい。
現在、人の老いの容姿を例えるとき、十代、二十代、三十代、四十代、五十代、六十代、七十代、八十代、九十代と言うが、その時代の名残なのだろうと早明浦は予想している。
執務室に扉をノックする音が響き、入室許可の返事をすると台車を押した一人が中に入ってきた。
大地震後、臨時の会議場で阜井と埼村が言い争っているときに転化体襲来の報告をしてきた男。現在は第一師団団長花貫の下で副団長を務めている有間。第一師団での忙しい仕事の合間を縫って、こうして早明浦の仕事の補佐をしに来てくれている。
先ほどの新設師団の構成員届出書の件で、手伝ってもらおうと遅れてでもいいから来てくれと頼んでいたのであった。佐藤がいないことに疑問を持つ有間だったが、もう用件が終わったことを伝えると驚きながらもなにも訊いてこなかった。
第一師団も忙しい。帰してもよかったが折角来てもらったのだ。他の仕事を手伝ってくれと頼み、空いている机を示した。仕事はたんまりある。
「先ほど、やけに上機嫌な奈良俣団長とすれ違いましたが、なにか楽しいお話をされていたのですか?」
有間は給湯室でお茶を淹れた湯気の立っている湯呑を早明浦の机の上に置いた。有間としては世間話として持ち出した他愛もない話題の一つに過ぎないだろう。
だがここでヘンに返しては、大事な部下を将来で失いかねない。
「…知らないほうがいい」
なかなか返事をしない早明浦の様子を窺う有間には酷な答え方をしたと思った。
「出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」
有間はわざわざ頭を下げた。
(お前のためにそう答えたのだが)
早明浦のほうこそ申し訳なくなったが口には出さないでおく。
「気にするな」
言えるのはこの一言である。有間は早明浦のその言葉に従わざるを得ず、それ以上はなにも言わず、仕事に手を付ける。
早明浦は窓を開けて、こもった空気を入れ替える。
「花粉症は大丈夫ですか?」
有間の問いに対して早明浦は返事をする代わりにくしゃみをした。
「早く閉めてください」
「空気が悪すぎる」
「
有間は容赦なく早明浦と窓の間に割って入って閉める。早明浦はもう一度くしゃみをしてから仕方なく席に着いた。
湯気が立つ湯呑に軽く触れて温度を確認してからお茶を飲む。
「杉はまだ植え続けているのか」
早明浦の悲嘆な質問に有間は杉の増産計画の延長が前回の八家会議で決定したことを突き付ける。
「この一年間でかなりの量を切り出しましたし、中心部は元通りですが郊外は未だに木材不足です。今後数百年は花粉症と付き合うことになると思いますよ。地震や大火が起こらなければの見積もりですが」
「頭が痛いな」
「元帥代理は杉だけですか?」
「檜もだ」
「檜も需要は高いですから」
早明浦は引き出しからちり紙を取り出して鼻をかむ。
「私の知人は一年中だそうですよ。それに比べたらいいじゃないですか」
「この苦しみがわからないお前には言われたくはないが、一年中とは涙を禁じ得ないな」
「常に鼻が詰まっているせいでなにを食べても味がわからないそうです」
何事においても上には上があると凡人の早明浦は思う。
凡人。そう凡人だ。早明浦には特殊能力が無い。
一部の人間には特殊能力があり、個別に差はあれど自由自在に使うことが出来る。ある者は「火」、ある者は「水」、ある者は「風」。例を挙げようものなら枚挙に暇がない。
かくいう目の前にいる有間も水を操る力を持っている。
若かりし頃の早明浦も、己の身になにかしらの力が発現しないかとあれこれ試してみたが花粉症を発症しただけだった。
この一連の流れを奈良俣に大笑いされたのはとうの昔のいい思い出だ。
その後も何人も執務室に人が立ち入り、その度に有間が対応した。
滝が流れ落ちるように時間が過ぎて、滝が岩壁を削るように忙(せわ)しい。雲が形を変えては消えていき、雲が現れては形を変えた。窓から差し込む日差しは少しずつ角度を鋭利にしていく。
人の波が途切れてひと段落していたところ、執務室の前に気配を感じた。
「入室してもよろしいでしょうか」
その声は元帥隊隊員のものだった。早明浦は入れと許可を出し、有間が対応する。
「本日の八家会議の議決事項になります」
それだけ有間に書類を受け渡すと用事は済んだようで、元帥隊隊員は他と同様に帰っていった。
雑用をこなしている元帥隊隊員を見て、院生の頃は元帥隊に憧れていたという有間はなんとも言えない顔をしている。
有間は受け取った書類を早明浦に手渡した。早明浦は八家関連の事柄は後回しにするわけにもいかず、すぐに内容を確認する。
「また文句でしょうか」
「いや、電気の夜間使用許可のお達しだ。要は発電施設の完全復旧完了の報告だな」
「そうでしたか。これで軍もようやく自由に電気が使えますね」
「やっとだ。予想以上に時間がかかった。電気は八家の管理下だからすぐに復旧すると思っていたが。蠟燭では夜は暗くて仕事にならなかった」
早明浦は書類の頁をペラペラとめくる。お役所言葉、または八家言葉と揶揄される読む気が失せる文字群。
「八家の皆様方は電気が無かったころをご存じですから、特別困っていらっしゃらなかったのでしょう」
そう言いながら時計を確認した有間は早明浦の机の正面に立った。
「それでは私はこれで一旦第一師団に戻ります」
「ああ、助かった」
有間は早明浦が署名した書類の中から持ち帰るものを選び、退出する準備をする。
「有間」
扉に手を掛けた有間に声を掛ける。
「はい」
声を掛けられ有間が再び早明浦の方に向きなおす。
「空辺様がお帰りになったぞ。それも、居着いてくださるそうだ」
早明浦は第二十一師団構成員届出書を見せる。
「明日は雪でも降るんですか?」
「雪で済むならいいがな」
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