第15話 天国と地獄のテスト返却。そしてファミレスで誓う「打倒・数学」
長い、長い一週間が終わった。 ペンだこができるほど文字を書き、教科書が手垢で黒くなるほど読み込んだ日々。 そして今日、運命の「テスト返却日」を迎えた。
放課後の教室は、悲鳴と歓声が入り乱れる阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
「……終わった。私の青春が終わった」 「よっしゃあ! 平均点プラス5点!」
そんな中、私の手元には数枚の答案用紙が戻ってきていた。 現国92点、英語88点、日本史85点……。 文系科目は我ながら完璧だ。クラス順位も一桁に入っている。
問題は、数学だ。
「……」
私は恐る恐る、裏返しにされた答案をめくる。 そこに書かれていた数字は――『52点』。 赤点ラインは30点。
「か、勝った……!」
私はガッツポーズをした。低いレベルでの勝利だが、これでスクワット倍増の刑は免れた。 安堵して周りを見渡すと、とんでもない光景が目に入った。
「ぶ、文ちゃん!? その点数なに!?」
隣の席の文ちゃんの机には、信じられない答案が並んでいた。 現国100点、英語100点、日本史100点、生物100点。 神だ。学問の神がここにいる。 しかし、最後の一枚――数学Ⅰの答案には、震えるような字でこう書かれていた。
『40点』
「……ギリギリでしたぁ……」
文ちゃんが魂の抜けた顔で笑っている。 他の科目が満点なのに、数学だけ赤点スレスレ。 学年順位を見ると『15位』。数学さえ人並みなら間違いなく学年トップだっただろうに、ある意味で天才的なバランスだ。
「凜、どうだった?」 涼しい顔でエリカがやってくる。彼女の順位表を覗き込むと『学年8位』。 「うわ、エリカ頭良すぎ」 「まあね。文ちゃんの偏り具合には負けるけど」
私たちはとりあえず「生き残った」ことを確認し合い、ハイタッチを交わした。
***
放課後。 テスト返却日は部活が休み……ではなく、特別行事が予定されていた。 駅前のファミレス『ジョイフル』に、空手部全員が集合していたのだ。
「えー、これよりテストお疲れ様会、および……遅くなったが『一年生歓迎会』を行う!」
ドリンクバーのグラスを掲げ、冴島先輩が高らかに宣言した。 ちなみに先輩の順位は『学年1位』。文句なしの完全超人だ。
「「「かんぱーい!!」」」
グラスがぶつかり合う音が響く。 テーブルの上には、山盛りのポテト、唐揚げ、ピザ、パスタ。 テスト明けの解放感も相まって、私たちのテンションは最高潮だった。
「あー! マジで死ぬかと思ったー!」
特大のチーズハンバーグを頬張りながら叫んだのは、2年生の伊吹先輩だ。 彼女の結果は、全科目『30点~32点』という、奇跡的な赤点回避(低空飛行)だったらしい。
「伊吹、お前の解答用紙は汚すぎる。採点する先生への嫌がらせか?」 「えー、だってシャーペンの芯が折れるんだもん。筆圧強いから」 「筆圧で勉強するな」
冴島先輩に怒られながらも、伊吹先輩は幸せそうに肉を食べている。 そんな賑やかな食事の中、冴島先輩がパンパンと手を叩いた。
「さて、2年生がインフルで全滅していたせいで遅れたが、改めて自己紹介をしておこう。これから全国を目指す仲間だ。互いを知っておく必要がある」
先輩は居住まいを正し、真っ直ぐに私たちを見た。
「3年、主将の**冴島玲奈(さえじま れな)**だ。得意技は蹴り技全般。私の背中を見て育て。以上」
短い。でも、かっこいい。 続いて、2年生の番だ。
「2年の**海堂(かいどう)伊吹(いぶき)**でーす! 得意技は正拳突きと体当たり! 勉強は無理だけど、喧嘩なら任せて! よろしくねん!」 伊吹先輩がギャルピースをする。
「同じく2年、**一色(いっしき)雫(しずく)**よ。得意技はカウンターと『受け』。伊吹の暴走を止める係ね。よろしく」 クールなボブカットの雫先輩が、紅茶を飲みながら微笑む。
「2年、**二宮(にのみや)蓮(れん)**だ。得意技は型(かた)と分析。君たちの動きの癖、すでに見抜いているから覚悟するように」 眼鏡の蓮先輩が、ニヤリと笑う。
個性が強い。強すぎる。 続いて、私たち1年生。
「1年の高城(たかしろ)エリカです。中学経験者です。得意技は……スピードで攪乱すること、かな。先輩たちに追いつけるよう頑張ります!」 エリカがハキハキと答える。優等生だ。
「い、1年の**小日向(こひなた)文(あや)**です……。えっと、運動音痴ですけど、変わりたくて入りました。得意技は……まだないですけど、逃げ足だけは速いです……」 文ちゃんが縮こまると、「可愛い~!」と伊吹先輩に抱きつかれていた。
そして、最後は私だ。 私は立ち上がり、深呼吸をした。
「1年、**一ノ瀬凛(いちのせ りん)**です。初心者の白帯です」
全員の視線が集まる。 入部した時の「不純な動機」を笑った先輩たちの目は、もうそこにはない。 出稽古で見せたあの一撃を知っている、仲間の目だ。
「得意技は……『重い突き』と言えるようになりたいです。目標は全国制覇。そして、ある男子を後悔させることです!」
言い切ると、一瞬の静寂の後、ドッと歓声が上がった。
「いいねー凛! 青春だねー!」 「その意気だ一ノ瀬。男一人くらい、空手でねじ伏せろ」 「ふふ、お手伝いするわよ」
温かい拍手が私を包む。 一人じゃない。 失恋して、孤独で、惨めだったあの頃の私はもういない。 ここには、背中を預けられる最強の先輩たちと、最高の同期がいる。
(楽しい……)
心からそう思った。 颯人のことはまだ吹っ切れていないし、胸の痛みは消えない。 でも、空手部というこの場所が、今の私にとって一番の「居場所」になりつつあった。
「よし、食ったら解散だ! 明日からは通常稽古に戻るぞ。鈍った体を叩き直してやるから覚悟しろ!」 「「「オスッ!!!」」」
ファミレスに響く私たちの声は、どんなスイーツよりも甘く、そして熱く、私の胸を満たしてくれた。 この時の私はまだ知らなかった。 この最高の仲間たちとの日常に、まもなく「恋愛」という名の爆弾が投下されることを。
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