番外編「銀狼は運命を識る」

 あの日、中央都市銀行のオフィスに足を踏み入れた瞬間、俺は理解した。

 長年、俺の魂の半分を探し求めて彷徨っていた旅が、ようやく終わるのだと。


 そこに、彼がいた。

 水瀬湊。

 資料で見た、線の細い、だが芯の強さを感じさせる青年。

 彼は、今にも壊れてしまいそうなほど儚げな表情で、出口に向かって歩いていた。

 その姿を見た瞬間、俺の奥底で眠っていた獣が、咆哮を上げた。


『見つけた』


 俺の、運命の番。

 俺の魂が、生まれる前から探し求めていた、唯一無二の存在。

 抑制剤で隠しきれていない、微かで、だがどうしようもなく甘いオメガの香りが、俺の理性を焼き切ろうとする。

 雪深い森の奥で、ひっそりと咲く冬薔薇のような、気高く、甘美な香り。


 俺は、本能のままに彼に近づいた。

 目が合った瞬間、彼の瞳が驚きに見開かれる。

 その怯えたような表情すら、俺の独占欲を煽った。

 声をかける。

 橘蓮だと名乗る。

 俺のフェロモンに、彼の体が微かに震えるのがわかった。

 可愛い、と思った。

 今すぐ、この腕の中に閉じ込めて、誰にも見せたくない、と。


 だが、同時に強い怒りも感じていた。

 彼の顔色の悪さ、目の下の濃い隈。

 彼が、この組織でどれほど不当な扱いを受け、心身をすり減らしてきたのかは、火を見るより明らかだった。

 俺の番を、こんな風に扱った愚か者どもを、決して許さない。

 そう、心に誓った。


 高梨という、見るからに無能な男が、湊を貶める言葉を口にした時、俺の怒りは頂点に達した。

 だが、俺は冷静さを失わない。

 感情で動けば、湊をさらに追い詰めることになる。

 俺は、絶対的な権力者として、彼らに俺の意思を宣告した。

 そして、湊にだけ、特別な言葉をかける。

 ちゃんと休むように、と。

 本当は、今すぐ俺の腕の中に連れ去り、安全な場所で休ませてやりたかったが、まだその時ではない。


 彼がヒートを起こして倒れた時、俺は安堵すら覚えていた。

 これで、大義名分ができた。

 彼を、俺の世界に引き入れるための。

 俺の邸宅に運び、腕の中で眠る彼の顔を見ながら、俺は誓った。

 二度と、君を一人にはしない。

 君がこれまで耐えてきた孤独も、苦しみも、全て俺が引き受けよう。

 君には、ただ、俺の側で笑っていてほしい。


 高梨たちへの報復は、赤子の手をひねるより簡単だった。

 俺が持つ情報網と権力を使えば、彼らの不正など、すぐに暴ける。

 問題は、湊の心だった。

 彼は、他人を信じることを知らず、誰かに頼ることを極端に恐れていた。

 彼の心の氷を溶かすには、時間と、根気と、そして何よりも、揺るぎない愛情が必要だった。


 彼が、少しずつ心を開いてくれるのが、たまらなく嬉しかった。

 俺の作った拙いスープを、涙を流しながら飲んでくれた時。

 俺の子供の頃の写真を見て、「かわいい」と微笑んでくれた時。

 そして、「あなたの隣にいます」と、震える声で言ってくれた時。

 その一つ一つが、俺の心を温かいもので満たしていった。


 そして、彼が「あなたの本当の番になりたい」と、その美しい瞳で俺を見つめて告げた夜。

 俺は、生まれて初めて、神に感謝した。

 この腕の中に、俺の運命がある。

 彼の項に牙を立て、魂の刻印を交わした瞬間、俺たちの魂は永遠に一つになった。

 もう、誰にも奪わせない。

 この温もりも、この香りも、この愛しい存在のすべてが、俺だけのものだ。


 水瀬湊。

 俺の愛しい、たった一人の番。

 君の未来は、俺が必ず、光り輝くものにしてみせる。

 だから、安心して、俺の腕の中で眠るといい。

 銀の毛皮を持つ狼は、その温かな体で、愛する伴侶を永遠に守り続けるだろう。

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