第31話 曇天

 イギリス──とある屋敷。

 薄暗い地下室は、冷え冷えとしていた。床には白いチョークで描かれた魔法陣と、燃え尽きたロウソクがある。

 魔法陣は赤黒く汚れており、液体をこぼしたかのようだ。鉄と腐敗した匂いが充満している。

 

「今回も駄目だったかぁ。やっぱり同等の魂じゃないと“壊れちゃう”んだなぁ」

 

 軽やかな声が地下室に響く。声の持ち主は長い銀発に、深く青い瞳をした少年。齢は十一歳くらいだろうか。

 部屋の片隅にある、異臭を放つ肉塊へ少年は軽やかな足取りで近寄った。そして手にしていたナイフを握る。

 モゾモゾと動くその肉塊を、温度のない瞳で見つめた。

 

「可哀想に。すぐにラクにしてあげるからね」

 

 ナイフを持つ手を振り上げた。

 

「安らかにお眠り」

 

 

 イギリスのとある住宅にある大きな屋敷。

 蔵は口元を抑え、異臭に顔を顰めた。地下室は異様な空気に包まれている。

 そして、白や黒のローブ羽織った魔法使いたちが、その地下室を調べているところだった。

 

「日本の魔導師の俺が、イギリスの事件に呼び出されるほど人手不足なのか?こっちには騎士団がいるだろ」

 

 蔵が悪態をつけば、彼の側に一人の男性が近寄ってくる。

 

「“白銀の竜騎士”は別件で忙しい。魔法協会から直々の依頼だ。光栄に思え」

 

 そう蔵に言うのは、象牙色の髪をし、紅瞳をもつ青年だ。齢は蔵とあまり変わらないだろう。

 しかし、蔵とは違った雰囲気をまとう男だった。

 

「魔法協会様は人使いが荒い」

 

 やれやれ、と首を掻く。そうして、手にしていた資料へ目を落とした。

 

「ヴァートン一家。資産家の父親と13歳の娘と二人暮らし。妻は5年前に交通事故で亡くなり、娘は事故で足が不自由となって車椅子生活……」

 

 資料から目を離すと、地下室の全体を眺める。

 

「黒魔術の儀式を地下で?一体、誰からの入れ知恵なんだ。死者蘇生は禁忌だ。一般人が方法を知れるわけがない。そもそも、魔法使いでもないのに成功するはずがない」 

「だから、この有り様なんだろう。魔法陣の血溜まりと、部屋の片隅の肉塊……おそらくは娘と父親“だった”もの」

 

「……酷いな」

 

 あまりの惨劇に、蔵は目を背けたくなった。

 

「で、犯人に目星はついているのか?九十九家当主様」

 

 蔵は資料を九十九と呼んだ男に渡しながら言う。

 

「いいや、それは調査中だ。蔵家“次期”当主殿」

 

 蔵は腰に手を当てながら、小さく舌打ちする。

 

「わかった、俺が悪かったよ。俺が呼ばれたのは調査ではなく、この後処理だろ。全く……協会は舐めてやがる」

 

 そう言って九十九に背を向け歩き出した。

 

「どこに行くんだ」

 

 背後から投げかけられた言葉に振り向かず、蔵は手をあげ「煙草だよ」とだけ言い残し、地下室を出て行った。

 

 屋敷を出れば曇天が広がり、肌寒さに肩をくすめた。

 煙草に火をつけ、白い煙を吐く。ゆらゆらと揺れる煙を見つめながら、三日前のことを思い返していた。

 

 

──三日前。

 

 それは蔵が鳥羽へ会いに行った日のこと。

 真帆は学校、春鈴は魔香堂の店番。鳥羽と蔵は客間で向き合っていた。

 

親父おやじさんが亡くなった」

 

 重苦しい空気の中で蔵が告げた一言。

 それが何を意味するのか、鳥羽は事情を聞かなくとも理解できた。

 

 「そうか……」と顔を伏せて黙る鳥羽。蔵は丸まった背中をそっと撫でてやる。

 

「大丈夫か──」

 

 俯く鳥羽の顔を覗き込んだとき。蔵は息を止めた。

 彼は口元を手で覆っているが、確かにその表情は笑っていたからだ。

 

「最高の気分で、最低な気分だ」

 

 この時の鳥羽の顔が、蔵の脳裏に焼きついた。

 彼はなにを思い、なにを考えていたのか。蔵には想像し難い。ただ彼の傍で黙っていることしかできなかった。

 

 

「オズの子と会っていると聞いたが。あわよくば蔵家の弟子にでもするつもりか?」

 

 突然の背後からの声に驚きつつ、蔵は振り返った。そこには九十九が立っている。

 蔵は煙草を口から離し、ジャケットの内ポケットから灰殻ケースを取り出して、そこへ煙草の火を押し付けた。

 

「お前や魔法協会と一緒にするなよ」 


「名前は、進堂真帆……だったか。どんな子供なんだ?」

「普通の子だよ。普通の高校生」

 

 蔵の答えに九十九は笑う。

 

「“普通”?オズの子だろ。普通で片付けられるような存在ではないと思うが」 

「……ドラゴンを見に行くかと誘ったら、めちゃくちゃ喜ぶくらい子供らしい子供。純粋で、優しくて、少し気が弱そうだな」

「“あれ”の弟子になったんだろう?毒されないといいがな。師匠と似るのは困る」

 

 蔵は眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「さぁ……どうだろうな」

 

 真帆とドラゴンを見に行った日のこと。ドラゴンの群れを見つめる少年の横顔は、どこか大人びて見えた。

 初めて庭で会った時は、あどけなさがあり、内気そうな子供だった。ここ数ヶ月で心境の変化でもあったのだろうか。

 少しづつでも、あの少年は日々の中で成長し続けているのだろう。

 


 九十九が隣に並んでくると、こちらに体を向かい合わせた。

 

「実は先ほど、魔法協会から連絡があってな。容疑者が判明したようだ」

 

 予想外の言葉に、蔵は眉をひそめた。

 

「もう見つかったのか。誰なんだ」

 

 九十九はゆっくりと口を開く。

 

「半端者な魔法使い──鳥羽眞人」

 

 名前を聞き、蔵の世界が一瞬にして時が止まったかのように感じた。全ての音が遠のいたようだ。

 

「眞人が……?」

 

 やがて季節は、冬へと移り変わろうとしている。

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魔導師の弟子 あぐつ @agu2

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