第31話 曇天
イギリス──とある屋敷。
薄暗い地下室は、冷え冷えとしていた。床には白いチョークで描かれた魔法陣と、燃え尽きたロウソクがある。
魔法陣は赤黒く汚れており、液体をこぼしたかのようだ。鉄と腐敗した匂いが充満している。
「今回も駄目だったかぁ。やっぱり同等の魂じゃないと“壊れちゃう”んだなぁ」
軽やかな声が地下室に響く。声の持ち主は長い銀発に、深く青い瞳をした少年。齢は十一歳くらいだろうか。
部屋の片隅にある、異臭を放つ肉塊へ少年は軽やかな足取りで近寄った。そして手にしていたナイフを握る。
モゾモゾと動くその肉塊を、温度のない瞳で見つめた。
「可哀想に。すぐにラクにしてあげるからね」
ナイフを持つ手を振り上げた。
「安らかにお眠り」
◇
イギリスのとある住宅にある大きな屋敷。
蔵は口元を抑え、異臭に顔を顰めた。地下室は異様な空気に包まれている。
そして、白や黒のローブ羽織った魔法使いたちが、その地下室を調べているところだった。
「日本の魔導師の俺が、イギリスの事件に呼び出されるほど人手不足なのか?こっちには騎士団がいるだろ」
蔵が悪態をつけば、彼の側に一人の男性が近寄ってくる。
「“白銀の竜騎士”は別件で忙しい。魔法協会から直々の依頼だ。光栄に思え」
そう蔵に言うのは、象牙色の髪をし、紅瞳をもつ青年だ。齢は蔵とあまり変わらないだろう。
しかし、蔵とは違った雰囲気をまとう男だった。
「魔法協会様は人使いが荒い」
やれやれ、と首を掻く。そうして、手にしていた資料へ目を落とした。
「ヴァートン一家。資産家の父親と13歳の娘と二人暮らし。妻は5年前に交通事故で亡くなり、娘は事故で足が不自由となって車椅子生活……」
資料から目を離すと、地下室の全体を眺める。
「黒魔術の儀式を地下で?一体、誰からの入れ知恵なんだ。死者蘇生は禁忌だ。一般人が方法を知れるわけがない。そもそも、魔法使いでもないのに成功するはずがない」
「だから、この有り様なんだろう。魔法陣の血溜まりと、部屋の片隅の肉塊……おそらくは娘と父親“だった”もの」
「……酷いな」
あまりの惨劇に、蔵は目を背けたくなった。
「で、犯人に目星はついているのか?九十九家当主様」
蔵は資料を九十九と呼んだ男に渡しながら言う。
「いいや、それは調査中だ。蔵家“次期”当主殿」
蔵は腰に手を当てながら、小さく舌打ちする。
「わかった、俺が悪かったよ
そう言って九十九に背を向け歩き出した。
「どこに行くんだ」
背後から投げかけられた言葉に振り向かず、蔵は手をあげ「煙草だよ」とだけ言い残し、地下室を出て行った。
屋敷を出れば曇天が広がり、肌寒さに肩をくすめた。
煙草に火をつけ、白い煙を吐く。ゆらゆらと揺れる煙を見つめながら、三日前のことを思い返していた。
──三日前。
それは蔵が鳥羽へ会いに行った日のこと。
真帆は学校、春鈴は魔香堂の店番。鳥羽と蔵は客間で向き合っていた。
「
重苦しい空気の中で蔵が告げた一言。
それが何を意味するのか、鳥羽は事情を聞かなくとも理解できた。
「そうか……」と顔を伏せて黙る鳥羽。蔵は丸まった背中をそっと撫でてやる。
「大丈夫か──」
俯く鳥羽の顔を覗き込んだとき。蔵は息を止めた。
彼は口元を手で覆っているが、確かにその表情は笑っていたからだ。
「最高の気分で、最低な気分だ」
この時の鳥羽の顔が、蔵の脳裏に焼きついた。
彼はなにを思い、なにを考えていたのか。蔵には想像し難い。ただ彼の傍で黙っていることしかできなかった。
「オズの子と会っていると聞いたが。あわよくば蔵家の弟子にでもするつもりか?」
突然の背後からの声に驚きつつ、蔵は振り返った。そこには九十九が立っている。
蔵は煙草を口から離し、ジャケットの内ポケットから灰殻ケースを取り出して、そこへ煙草の火を押し付けた。
「お前や魔法協会と一緒にするなよ」
「名前は、進堂真帆……だったか。どんな子供なんだ?」
「普通の子だよ。普通の高校生」
蔵の答えに九十九は笑う。
「“普通”?オズの子だろ。普通で片付けられるような存在ではないと思うが」
「……ドラゴンを見に行くかと誘ったら、めちゃくちゃ喜ぶくらい子供らしい子供。純粋で、優しくて、少し気が弱そうだな」
「“あれ”の弟子になったんだろう?毒されないといいがな。師匠と似るのは困る」
蔵は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「さぁ……どうだろうな」
真帆とドラゴンを見に行った日のこと。ドラゴンの群れを見つめる少年の横顔は、どこか大人びて見えた。
初めて庭で会った時は、あどけなさがあり、内気そうな子供だった。ここ数ヶ月で心境の変化でもあったのだろうか。
少しづつでも、あの少年は日々の中で成長し続けているのだろう。
九十九が隣に並んでくると、こちらに体を向かい合わせた。
「実は先ほど、魔法協会から連絡があってな。容疑者が判明したようだ」
予想外の言葉に、蔵は眉をひそめた。
「もう見つかったのか。誰なんだ」
九十九はゆっくりと口を開く。
「半端者な魔法使い──鳥羽眞人」
名前を聞き、蔵の世界が一瞬にして時が止まったかのように感じた。全ての音が遠のいたようだ。
「眞人が……?」
やがて季節は、冬へと移り変わろうとしている。
魔導師の弟子 あぐつ @agu2
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