第29話 山へ行こう!②
それから歩くこと数時間──
真帆たちは山の水辺へと辿り着いた。
穏やかな風が頬を撫でてく。
「わぁ……!」
目の前の光景に真帆は感嘆をもらす。これまでの疲れが一瞬にして消し去った。
揺れる水面は太陽の日差しを浴びて輝いている。周りの紅葉した木々と秋空が水面に写り、まるで世界が反転しているかのようだ。
真帆は美しい光景を目に焼き付けるように眺める。
「真帆〜、テントを張るから手伝ってくれ」
蔵に呼ばれ、「はーい!」と返事をし、二人のもとへ駆け寄った。
◇
テントを張り終え、食事の時間だ。
蔵が手際よくシチューを作っていく。真帆も手伝っていた。その隣では鳥羽が分厚い肉の塊を焼いている。
シチューの温かな湯気に、肉の香ばしい匂い。食欲をそそる香りに、真帆の空腹が限界を告げていた。
「よし、これで出来上がりだ」
小鍋で作られたシチューは、とても美味しそうだ。
「こっちもいいぞ」と鳥羽は肉を切っていた。肉汁が溢れ出て、皿に落ちていく。外側はこんがりと、中身は赤く、綺麗なミディアムに焼かれている。
そうして蔵から分けてもらったシチューをもらう。木製のスプーンで掬い取ると、口の中へと運んだ。
「うまっ!!」
頬が落ちそうなほど痛い。
温かなシチューが体に染み渡り、思わず目を閉じて味わう。
それから肉も一切れ、割り箸で取って頬張る。噛めば肉汁が口の中で溢れ出し、肉の旨みが至福だ。
「ん〜!美味しい!」
ここに辿り着くまでの苦労が飛んでいく。
「こんなに美味しいシチューと肉は初めて食べました」
蔵に言えば、彼は満足そうに頷いている。
「あまり褒めてやるなよ。調子に乗るから」と鳥羽は黙々とシチューを食べていた。
「でも、美味しいですよね?」
「……春鈴の次にな」
「そこは、美味しいって言いましょうよ!確かに、春鈴さんの料理も美味しいけど」
二人の会話を聞いていた蔵は明るく笑う。
「そいつは、いつも、こんな感じだから気にするな!」
「パンもあるぞ」と柔らかな丸いパンを蔵からもらった。真帆はシチューに浸して食べる。
これは本当に至福のひとときだ。これだけでも来た甲斐があったというもの。
シチューのおかわりを受け取りながら、真帆は聞く。
「蔵さんは、どうして魔導師になったんですか?」
「俺?それは……魔導師の家系だからなぁ。それに長男だし、次期当主ってわけだよ」
「嫌になったり、しなかったんですか?」
「うーん、どうかな。それが俺にとっては“あたりまえ”だからな。疑問を持つこともなかったよ」
「……そうですか」
真帆は器に入ったシチューを静かにスプーンでかき混ぜた。食べるわけでもなく、円を描くようにルゥの中をまわす。
次第に陽が落ちていき、空気が冷え、涼しさが増していくのだった──
◇
すっかり暗くなり。テントの前には焚き火が用意された。
三人は取り囲むように椅子に腰掛けている。真帆はホットココアを飲みながら、パチパチと爆ぜる音に耳を澄ませていた。
風の音と虫の声。壮大な自然の中で、それぞれが静かに火を見守っている。
「蔵さん」と呼べば、彼は穏やかな表情でこちらに視線を向けた。
「もし……もし、自分が魔導師の家系に生まれなかったら。それでも魔導師になっていたと思いますか?」
真帆の問いに、蔵は眼鏡の奥の瞳を細めた。
「どうだろうなぁ。もしかしたら、全く別の人生を歩んでいたかもしれない」
そう切り出して、蔵は優しく語る。
「普通に進学して、普通に会社で働いて、誰かと結婚して……そんな人生が俺にもあったかもしれない。でも、それが羨ましいとは俺は思わないな。
蔵は真帆と鳥羽へ微笑むと、ゆっくりと続けた。
「
彼はマグカップの中をコーヒーを見つめている。
なにか遠い過去に思いを馳せているように思えた。
「蔵さんは、大人ですね」
真帆はマグカップを両手でぎゅっと握りしめる。
自分には、彼のような考えはできないと思った。
「さて、明日も早いぞ〜。二人とも、夜更かししないようにな」
そう言って彼は立ち上がると、マグカップを片付けてテントに入ってしまう。
焚き火の前には鳥羽と真帆が残ってしまい、真帆はなんだか気まずい思いだった。
「君も早く寝たらどうだ。寝不足で動けないと言われても、私は知らないぞ」
「……鳥羽さんは?」
「もう少し起きている。どうせ、すぐには寝付けからな」
そういえば、彼の就寝は遅い。
夜中に目が覚めてトイレに行くときも、鳥羽の部屋からの明かりが、ドアの隙間から漏れている。
いつ寝ているのか知らないのだ。
真帆は夜空を見上げた。満天に輝く星空と距離が近く感じる。
「綺麗ですね」
「……そうだな」
夜空から目を離し、鳥羽に顔を戻す。
「鳥羽さんは、今とは違う生まれでも、魔導師になっていたと思いますか?」
彼は暫く沈黙し、ゆっくりと口を開く。
「君が“オズヴァルトの生まれ変わり”であることは、どう足掻こうが消せない事実だ。目を逸らしても、こびりついた錆のようについてくる。“もしも”の人生を考えたところで、
真帆は唇をきゅっと結ぶ。それ以上はなにも言葉にできなかった。
顔を俯き黙っていると──
どこからか獣の咆哮が聞こえてくる。低く重い、体に響くような音。
驚いて真っ暗な景色を見渡した。しかし闇があるだけで、周辺は自然だけだ。
「どうした?」
鳥羽が怪訝な表情で聞いてくる。
「この山、狼がいるんですか?」
すると彼は「なにを言っているんだ」と言わんばかりに、表情を歪めていた。
「聞こえなかったんですか!さっき、獣の鳴き声が!」
「落ち着け。狼はいないぞ。疲れてるんだろう、そろそろ眠ろう」
鳥羽は立ち上がると焚き火を消す。彼に連れられてテントの中へ入った。
蔵はひとり用テントに。真帆と鳥羽は同じテントだ。
寝袋に潜り、眠ろうとした。だが──
またしても咆哮が聞こえる。隣の鳥羽は瞼を閉じて起きる気配がない。
(僕にだけ聞こえてる……?)
ゾッと背筋が凍った。
その咆哮は、なにかを訴えているような、悲しげなような。
『泣いている』と表現するのが合う気がした。
自分にはハッキリと聞こえるというのに、鳥羽は綺麗な顔をして眠りについている。
心細さを感じるも、登山での疲労からか、いつの間にか眠りについていた。
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