第29話 山へ行こう!②

 それから歩くこと数時間──

 真帆たちは山の水辺へと辿り着いた。

 穏やかな風が頬を撫でてく。

 

「わぁ……!」

 

 目の前の光景に真帆は感嘆をもらす。これまでの疲れが一瞬にして消し去った。

 揺れる水面は太陽の日差しを浴びて輝いている。周りの紅葉した木々と秋空が水面に写り、まるで世界が反転しているかのようだ。

 真帆は美しい光景を目に焼き付けるように眺める。

 

「真帆〜、テントを張るから手伝ってくれ」

 

 蔵に呼ばれ、「はーい!」と返事をし、二人のもとへ駆け寄った。

 

 

 テントを張り終え、食事の時間だ。

 蔵が手際よくシチューを作っていく。真帆も手伝っていた。その隣では鳥羽が分厚い肉の塊を焼いている。

 シチューの温かな湯気に、肉の香ばしい匂い。食欲をそそる香りに、真帆の空腹が限界を告げていた。

 

「よし、これで出来上がりだ」

 

 小鍋で作られたシチューは、とても美味しそうだ。

 「こっちもいいぞ」と鳥羽は肉を切っていた。肉汁が溢れ出て、皿に落ちていく。外側はこんがりと、中身は赤く、綺麗なミディアムに焼かれている。

 そうして蔵から分けてもらったシチューをもらう。木製のスプーンで掬い取ると、口の中へと運んだ。

 

「うまっ!!」

 

 頬が落ちそうなほど痛い。

 温かなシチューが体に染み渡り、思わず目を閉じて味わう。

 それから肉も一切れ、割り箸で取って頬張る。噛めば肉汁が口の中で溢れ出し、肉の旨みが至福だ。

 

「ん〜!美味しい!」

 

 ここに辿り着くまでの苦労が飛んでいく。

 

「こんなに美味しいシチューと肉は初めて食べました」

 

 蔵に言えば、彼は満足そうに頷いている。

 「あまり褒めてやるなよ。調子に乗るから」と鳥羽は黙々とシチューを食べていた。

 

「でも、美味しいですよね?」 

「……春鈴の次にな」

「そこは、美味しいって言いましょうよ!確かに、春鈴さんの料理も美味しいけど」

 

 二人の会話を聞いていた蔵は明るく笑う。

 

「そいつは、いつも、こんな感じだから気にするな!」

 

 「パンもあるぞ」と柔らかな丸いパンを蔵からもらった。真帆はシチューに浸して食べる。

 これは本当に至福のひとときだ。これだけでも来た甲斐があったというもの。

 

 シチューのおかわりを受け取りながら、真帆は聞く。

 

「蔵さんは、どうして魔導師になったんですか?」 

「俺?それは……魔導師の家系だからなぁ。それに長男だし、次期当主ってわけだよ」

「嫌になったり、しなかったんですか?」

 

「うーん、どうかな。それが俺にとっては“あたりまえ”だからな。疑問を持つこともなかったよ」 

「……そうですか」

 

 真帆は器に入ったシチューを静かにスプーンでかき混ぜた。食べるわけでもなく、円を描くようにルゥの中をまわす。

 次第に陽が落ちていき、空気が冷え、涼しさが増していくのだった──

 

 

 すっかり暗くなり。テントの前には焚き火が用意された。

 三人は取り囲むように椅子に腰掛けている。真帆はホットココアを飲みながら、パチパチと爆ぜる音に耳を澄ませていた。

 風の音と虫の声。壮大な自然の中で、それぞれが静かに火を見守っている。

 

 「蔵さん」と呼べば、彼は穏やかな表情でこちらに視線を向けた。

 

「もし……もし、自分が魔導師の家系に生まれなかったら。それでも魔導師になっていたと思いますか?」

 

 真帆の問いに、蔵は眼鏡の奥の瞳を細めた。

 

「どうだろうなぁ。もしかしたら、全く別の人生を歩んでいたかもしれない」

 

 そう切り出して、蔵は優しく語る。


「普通に進学して、普通に会社で働いて、誰かと結婚して……そんな人生が俺にもあったかもしれない。でも、それが羨ましいとは俺は思わないな。現在いまを生きてる、この人生が俺にとって最高なんだ」

 

 蔵は真帆と鳥羽へ微笑むと、ゆっくりと続けた。

 

現在いまの俺を生きていなきゃ、お前たちには会えなかっただろう?眞人と真帆に出会えないなんて、そんな悲しいことはない。今の俺がいるのは、蔵家の蔵雪だからだ。別の人生で魔導師になれないのは、悲しいな」

 

 彼はマグカップの中をコーヒーを見つめている。

 なにか遠い過去に思いを馳せているように思えた。

 

「蔵さんは、大人ですね」

 

 真帆はマグカップを両手でぎゅっと握りしめる。

 自分には、彼のような考えはできないと思った。

 

「さて、明日も早いぞ〜。二人とも、夜更かししないようにな」

 

 そう言って彼は立ち上がると、マグカップを片付けてテントに入ってしまう。

 焚き火の前には鳥羽と真帆が残ってしまい、真帆はなんだか気まずい思いだった。

 

「君も早く寝たらどうだ。寝不足で動けないと言われても、私は知らないぞ」 

「……鳥羽さんは?」 

「もう少し起きている。どうせ、すぐには寝付けからな」

 

 そういえば、彼の就寝は遅い。

 夜中に目が覚めてトイレに行くときも、鳥羽の部屋からの明かりが、ドアの隙間から漏れている。

 いつ寝ているのか知らないのだ。

 

 真帆は夜空を見上げた。満天に輝く星空と距離が近く感じる。

 

「綺麗ですね」 

「……そうだな」

 

 夜空から目を離し、鳥羽に顔を戻す。

 

「鳥羽さんは、今とは違う生まれでも、魔導師になっていたと思いますか?」

 

 彼は暫く沈黙し、ゆっくりと口を開く。

 

「君が“オズヴァルトの生まれ変わり”であることは、どう足掻こうが消せない事実だ。目を逸らしても、こびりついた錆のようについてくる。“もしも”の人生を考えたところで、現在いまが変わるわけじゃないだろう──愚問だな」

 

 真帆は唇をきゅっと結ぶ。それ以上はなにも言葉にできなかった。

 顔を俯き黙っていると──

 どこからか獣の咆哮が聞こえてくる。低く重い、体に響くような音。

 驚いて真っ暗な景色を見渡した。しかし闇があるだけで、周辺は自然だけだ。

 

「どうした?」

 

 鳥羽が怪訝な表情で聞いてくる。

 

「この山、狼がいるんですか?」

 

 すると彼は「なにを言っているんだ」と言わんばかりに、表情を歪めていた。

 

「聞こえなかったんですか!さっき、獣の鳴き声が!」 

「落ち着け。狼はいないぞ。疲れてるんだろう、そろそろ眠ろう」

 

 鳥羽は立ち上がると焚き火を消す。彼に連れられてテントの中へ入った。

 蔵はひとり用テントに。真帆と鳥羽は同じテントだ。

 寝袋に潜り、眠ろうとした。だが──

 またしても咆哮が聞こえる。隣の鳥羽は瞼を閉じて起きる気配がない。

 

(僕にだけ聞こえてる……?)

 

 ゾッと背筋が凍った。

 その咆哮は、なにかを訴えているような、悲しげなような。

 『泣いている』と表現するのが合う気がした。

 

 自分にはハッキリと聞こえるというのに、鳥羽は綺麗な顔をして眠りについている。

 心細さを感じるも、登山での疲労からか、いつの間にか眠りについていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る