第17話 母と娘②

 亜澄果の母親は椅子に座り、ハンカチで涙を拭っている。

 

「亜澄果……どこに行ったの……」

 

 涙を滲ませながら蒼白していた。彼女の傍では春鈴が寄り添う。

 真帆はその様子を少し離れた場所から鳥羽と見ている。

 

(八尾さん……一体どこに行ったんだ)

 

──『行かなきゃ』

 

 彼女はその一言を残し、風に連れ去られたように公園から姿を消した。

 それはまるで──

 

「“神隠し”みたいだ……」

 

 真帆は小さく呟く。

 昔のことを思い出した。あれは七歳ごろだったか……。

 

 公園でかくれんぼをしていたときのことだ。真帆は草陰に身を潜めて息をひそめる。遠くからは、鬼役が数を数える声や友達が走り回っている足音が聞こえていた。

 しばらくして、真帆は周りが異様に静かなことに気がつく。待てど鬼は来ないし、友達の声もしない。不思議に思い真帆は草陰から顔を出す。

 すると、そこは公園ではなくなっていた。薄暗く深い霧に囲まれた森の中。

 真帆は立ち上がって周りを見渡す。友達の姿はない。声も聞こえない。風の音すら聞こえない静けさは異様な空気が漂っていた。

 次第に真帆は怖くなってきて目を潤ませた。服の裾を握りしめ、小さく泣き始める。


「父さん……父さん……どこ……」

 

 ふと、濃い霧の奥から人影が近付いてきたのだ。背が高く、すらりと細い女性だった。顔は覚えていないが、手を繋いでくれた。

 

「────」

 

 その女性とした会話の内容は覚えていない。でも優しくしてくれた気はする。

 それから、真帆はいつの間にか父親の腕の中に抱かれていた。

 そこは森の中ではなく公園だ。陽は落ち、辺りは真っ暗。数人の警官が周りを囲んで懐中電灯を照らしていた。

 父親が泣いていたのを覚えている。人目もはばからず、涙を流し名前を呼んでは、頭を撫でてくる父。あんなに泣いている姿を見たのは、あれが最初で最後だった。

 

 後に真帆は、中学生の頃にその話題を父にする。

 父曰く、一緒に遊んでいた友達から『真帆くんがいなくなった』と聞かされたらしい。それから父は手当たり次第に探したが見つからない。事態は警察まで出動することに。

 真帆が公園の茂みで横たわり眠っていたのが発見されたのは、姿を消して丸一日経ってからだという。

 地元のニュースでは『神隠し』として取り上げられたほどだ。

 

 

 真帆は自分の掌を見つめる。あのとき、少年の手を握ってくれた手は冷たかった。今でもその温度と感触は不思議と覚えている。

 

「鳥羽さん……」

 

 真帆は隣に立ち並ぶ青年に声をかけ、視線をあげた。

 

「“神隠し”って、信じますか?」

「……少女が消えたのが“神隠し”だと?」

「『魔法が存在する限りは、非科学的なことを信じざるおえない』でしょう?」

 

 それはいつだったか、真帆が鳥羽に言われた台詞だ。

 鳥羽は何か迷っていたようだったが、数秒の間の後に真帆へ言う。

 

「……客間で話そう」

 

 

──客間

 魔香堂のカウンター奥の扉から客間に移動した真帆と鳥羽。

 鳥羽に『座れ』と促され、真帆が椅子に腰掛ける。鳥羽は向かいの椅子に座り、足を組んだ。

 

「“神隠し”と言ったな」

 

 重々しい雰囲気が漂う。

 

「“神隠し”とは、大抵が“妖精”の仕業だ」 

「えっ……?」

 

 真帆は驚く。

 

「妖精が人間を“妖精の国”に連れて行くんだ。それが“神隠し”」 

「妖精の国って……それは御伽話じゃないんですか?」

 

 鳥羽が首を振る。

 

「そこは時間の流れが私たちの世界とは違う。さらに、人間は長く居ればではなくなる」 

「人じゃ……なくなる……?」

 

 信じがたい話だ。けれど鳥羽はこの状況で冗談を口にする人ではないだろう。

 真剣な彼の話に、真帆は耳を傾ける。

 

「少女はおそらく、妖精の国に連れて行かれた可能性が高い」

「……!!」

 

 真帆は勢いよく立ち上がった。

 それならば、彼女を早く助けに行かなければ。

 

「鳥羽さん、妖精の国はどうやって行くんですか!」 

「落ち着け。話はまだ終わってないぞ」

「……」

 

 拳を握りしめ、大人しく座り直す。

 鳥羽は続けた。

 

「通常、妖精の国へ行くには妖精の案内が必要だ。人間からアクセスできない」

「それだと八尾さんを探しに行けないですよね」

「庭にピクシーがいるだろう。彼女たちに案内してもらう」

 

 真帆は頷く。

 

「だが……彼女たちが素直に導いてくれるとは思わない。そこでだ……」

 

 彼は立ちがる。真帆は鳥羽を見上げた。

 

「少女が落とした、君の魔力がこもった魔鉱石を持っていると言っていたな。それを妖精の国へのにしようと思う」

 

 そう言って鳥羽が右手を差し出してくる。

 

「私と春鈴は妖精の国へ行き、少女を探す。君はあの母親と待っているんだ」 

「二人だけで行くんですか……?」

 

 真帆は眉を下げ、不安げな表情を浮かべた。

 二人を信用してないわけではない。しかし、“妖精の国”という未知の領域に不安は募る。

 

「少女が妖精の国にいるという確証はない」

 

 「しかし……」と彼は言葉を続けた。

 

「もし妖精の国にいるのなら、人で無くなる前に連れ戻さなければならない。行く価値はあるだろう」

 

 真帆はポケットに手を入れ、小さな巾着袋を掴む。

 自分に差し出された手を見つめながら、そっと巾着袋を取り出した。

 そうして手を伸ばす。

 

(いいのか、それで)

 

「……」

 

 伸ばした手を、鳥羽の手の上で止めた。巾着袋を強く握りしめる。

 真帆はその手を開くことに戸惑いを感じていた。

 

「どうした?」 

「……」

 

 本当にこのままでいいのだろうか。二人に任せ、自分は安全な場所で待っているなんて──

 巾着袋を更に強く握りしめる。魔鉱石の硬い感触が伝わった。

 

「僕も一緒に行きます」

 

 少年の目には、強い意志が宿っている。

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