第8話 訪れた少女

──魔香堂。

 帳簿をつけている春鈴の隣で、真帆はクレオを撫でていた。彼女は気持ちよさそうに目を細め、二又の尻尾を揺らしている。クレオはケットシーという妖精だというが、これでは普通の猫と変わりない。


「随分と懐いたものね」


 こちらを横目で見ている春鈴は口元を緩めた。


「そういえば、鳥羽さん遅いですね」


 黒い毛並みを撫でながら真帆が呟く。鳥羽に言われ真帆が魔香堂に来てから二十分は経っているのだ。彼がその扉を開ける気配はない。


「そうね、話が盛り上がってるのかも。なにを話してるのかしら」


 春鈴が椅子から立ち上がり、扉へ向かう。

 クレオは髭をピンっと張るとカウンターの上で立ち上がった。


『お客様よ』


 来店ベルが鳴る。店内に入ってきた人物に、声をかけるのも忘れて真帆は目を見開いた。

 その来客は真帆と同年代の少女で、赤栗の髪に若草色の瞳をしている。真帆の見知った人物だ。


「いらっしゃいませ。ようこそ魔香堂へ」


 春鈴が慌ててカウンターへ顔を出し挨拶した。来客の少女の視線は真帆へと注がれている。そして少女も真帆も互いに目を見開いて硬直してしまう。

 やっとのことで真帆は声を出した。


「八尾さん……」


 意外な人物に戸惑う。


「あら、真帆くんの知り合い?」

「同級生です。同じクラスなんですよ。八尾亜澄果やおあすかさん」


 亜澄果は春鈴へ軽く会釈をする。少し気まずそうな表情を浮かべていた。


「ここって、魔法使いのお店ですよね」


 そう言って彼女が春鈴に差し出したのは一枚の小さな紙。魔香堂の名刺である。少女はどこかでこれを入手し、自力でここまで辿り着いたのだろう。


「魔法薬店だから、魔法使いが働いてるって思って。あの、あなたは魔女ですか」


 春鈴は亜澄果に微笑む。


「そうよ。どんな魔法薬を探してるのかしら」

「あたし、魔法薬を買いに来たんじゃないんです」


 少女はそう言うので、真帆と春鈴は互いに顔を見合わせた。そして春鈴は亜澄果に向き直る。


「もしかして、魔法薬ではなくて、わたしに用があるのかしら」


 亜澄果はしっかりと頷いた。そして彼女は手に持っているピクニック用のバスケットを春鈴に手渡し、蓋を開けた。真帆も中を覗く。そこには敷き詰められたタオルの上に横たわる一匹の生き物がいたのだ。


「妖精だ……」


 バスケットの中身を覗いた真帆が言う。その妖精は庭でもよく目にする、人の形に虫の羽が生えた妖精だ。


「ピクシーね。でも、どこで見つけたの?この辺りではあまり目にしないと思うのだけど」

「家の近くに公園があるんです。ペットの散歩に寄ったときに見つけて。小さな檻の中に閉じ込められてたから助けたんだけど。この子、弱ってる」


 亜澄果がいうように、そのピクシーは衰弱していた。小さな体で背中を丸めたまま動かない。


「助けてあげて欲しいの!お願いします!」


 少女は深々と頭を下げる。春鈴は彼女の肩にそっと手を置く。


「大丈夫。助けてあげるわ」


 亜澄果は安堵した表情で顔をあげた。


「妖精に効く薬があるんですか?」


 真帆が聞けば、春鈴はくすりと笑うのだ。


「適任者がここにいるのよ」


 春鈴から注がれる視線に、真帆は苦笑いする。


「それって……僕?」


 なにも言わずに微笑む彼女のそれが答えだった。



──イギリス。鳥羽の家の前。

 真帆について問いただそうとする蔵。彼を前に鳥羽は数秒の沈黙をしていたが、その口を開く。


「言わなくても気が付いているんだろう」

「それじゃぁ、本当にあの子は……」


 鳥羽は深く頷いた。蔵の予想が確信に変わる。


「オズの子。噂には聞いていたが、俺は迷信だと思ってた。本当にあの少年がそうなのか!?」


 蔵は戸惑う。“オズヴァルトの魂を持つ子ども”は存在していて、しかも鳥羽と共に生活をしていただなんて。誰が予測できただろうか。


「晴政さんは息子がオズの子なのだと言っていた。嘘をつくような人ではない。私はあの人の言葉を信じている」


 蔵はメガネのブリッジを押し上げた。


「そうか……真帆といったな、感じた魔力の質が明らかに違った。俺たちのような現代人の魔力とは異なる質。それと、あの瞳……まさかとは思ったが……オズの子か。このことを知っている奴は他にもいるのか?」

「恐らく、いない」


 緑色の前髪を掻きげ、頭を掻く。


「オズヴァルトの生まれ変わりはが必死に探している人物だ。まさか、こんなところに居るだなんて」

「報告するか?」

「いいや。だが、いずれは露見する。十六年間ひた隠しにできたこと自体が凄いことだ。眞人、お前はどうするつもりだ」


 鳥羽は少し顔を歪めた。


「どうもしないが。私は晴政さんの息子を預かっているだけだからな」

「そうか……」


 蔵は視線を下げ、顎をなでた。鳥羽からため息が聞こえる。


「なんだ。言いたいことがあるならハッキリと言ったらどうだ」


 苛ついた彼の声色を聞いて蔵は顔をあげた。


「いや、俺はてっきり、あの子を弟子にするのかと思ったんだよ。だってオズの子だぞ。協会も欲しがる逸材。オズの子を育て上げれば、お前だって九十九家や協会から嫌煙されることもないじゃないか」

「私は九十九や協会に認めてもらいたいとは思っていない。このことについて話は終わりだ。これ以上は私に構っている時間はないだろ?魔法使い一族の蔵家次期当主様」


 これ以上の問答は無理なようだ。


「……わかったよ。でも困ったことがあれば俺に言ってくれ、少しは力になるだろうさ」


 鳥羽の肩を叩けば、蔵は彼に背を向けて歩き出す。道沿いに停車させてあった自動車の運転席側のドアを開ける。手を挙げて友人に別れを告げた。

 車に乗り込みエンジンを掛ける。サイドミラー越しに門を見れば、鳥羽はまだ傍で立ってこちらを見送っているようだ。ゆっくりとペダルを踏み込み先進させる。次第に鳥羽の家から遠のいていくのだった。

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