第6話 夕暮れの魔法使い

 イギリス。イングランドにあるコッツウォルズ。大自然に囲まれた美しい田舎町だ。

 そんなところに魔法使いが住む家があることは、現地の住民しか知らない。


 真帆が鳥羽の家に訪れてから十日が経った。ここでの生活も慣れてきた頃だ。

 朝は真帆、鳥羽、春鈴シュンリンの三人でテーブルを囲み、朝食をとる。

 午前中は真帆は夏休みの課題に取り組み、鳥羽と春鈴は魔香堂で働くのだ。

 お昼は春鈴が用意した昼食を食べて、午後からも鳥羽と春鈴は店番をしたり、魔法薬の製薬のために2階にある仕事部屋で引き篭もる。

 真帆はといえば、ゲームや庭の散歩などをして時間を潰した。

 この日も庭にあるガゼボに設置された椅子に腰掛け、暇を持て余していたところだ。

 真帆は口を大きく開けて欠伸をした。


『退屈そうね』


 真帆の足元にはケット・シーのクレオが彼を見上げている。


「魔法使いの家に住んでいるのに、案外、退屈だなって思ってるよ」


 ため息を吐きながら真帆はテーブルに肘をついて、頬に手を当てた。

 クレオが地面を蹴って高く飛べば、テーブルの上へ着地する。肉球が真帆の柔らかな頬に押し当てられた。


『オズの子。魔法使いは小説のように壮大な冒険をしたり、勇者に助言をしたりはしないのよ。現代では見向きもされないんだから。彼女たちだってそうよ』


 そう言ってクレオは頭上を見上げる。真帆もクレオに従い、ガゼボの天井を見上げた。

 そこには頭上をくるくると旋回するナニかがいる。彼女たちは大ぶりな林檎二個分くらいの大きさで、小さな人間の姿をした背中には虫のような羽が生えているのだ。


「……妖精?」


 すると三匹の妖精は真帆の傍へと降りてくる。


『かわいいオズの子、こんにちは』

『かわいいオズの子、妖精だなんて言わないで』

『そうよ、かわいいオズの子。ワタシたちは“お友達“なんだから』


それぞれ姿や色が異なっていた。妖精にも個性があるらしい。


「友達……?」

『そう、お友達。あなたの“お隣さん”なんだから』


 鈴が鳴るような声で彼女たちはクスクスと笑い合う。


「“お隣さん”を見たのは初めてだよ」


 は妖精のことを指す言葉だ。ファンタジー絵本にも度々登場するので、真帆も『お隣さん』と聞いて思い出したのだった。


『トカイなんて住めないもの。ワタシたちはカガクとは相性が悪いわけ』

『そうそう。ニンゲンの子どもたちも、ワタシたちが見えないんだから』

『でもオズの子は違う。ワタシたちが見える子どもに会うのは久しぶり!』

「そうだね。僕らの世代以降は、お隣さんが見える人は稀かもしれない」

『そう!だからアナタは特別!!』


 “特別”という言葉に反応して、真帆の指はピクリと動く。


「特別……か」


 少し目を伏せた。澄んだ青い瞳が曇る。


『まぁ、特別が嫌いなの?』

『特別な日、特別なお菓子、特別なミルク!ワタシは特別って大好き!』

『アンタに聞いてないわよ』


 彼女たちのやりとりを聞きながら、真帆は眉を下げて笑う。


「特別にも良いものはあるよね。僕も特別な料理や時間は好きだよ。特別な“お友達”もね」


 真帆は彼女たちに顔を向ければ、海色の瞳を細めた。妖精たちは照れくさそうに喜ぶ。


『あらあら、口がお上手ね』とクレオは言った。


「あれ、変なこと言ったかな……」


 真帆は頬を掻く。


「話し声が聞こえると来てみれば……これは、これは……知らない先客がいたのか?」


 突如、知らない声が庭に響いた。庭の奥からこちらへ向かってくる人影がひとつ。それは百八十センチメートルを越える背丈の男だった。齢は三十路といったところだろう。

 深緑の髪に夕暮れのような橙色の瞳。赤縁のメガネをかけている。見知らぬ男に真帆は警戒して椅子から立ち上がった。


「誰ですか?」


 クレオはテーブルから降りると、真帆の前へ移動する。そうして真帆へ振り返り、少年を安心させるように優しい声色で言うのだ。


『彼も魔導師よ。不審者じゃないから平気よ』


 男は笑う。


「おいおい、不審者扱いだったのか俺は」


『ここに来るなんて珍しいのね。二人とも魔香堂にいるけど』

「近くに来たんでな、ついでに寄っただけ。そっか、二人ともあっちにいるのか」

「クレオ、誰なの?」


 真帆が小声でクレオに聞いた。

『彼に聞いて』とクレオは目線の先にいる男性へ視線を送る。


『自己紹介をしてあげたらどうかしら。じゃないと人の敷居に勝手に入ってきた不審者よ』

「はいはい、わかったよ」


 男はガゼボに入ってくると、真帆に手を差し出す。


「俺は蔵雪くらゆき眞人まことと同じく魔導師をやっている。あいつとは古い友人なんだ。よろしく」


 真帆は一瞬だけ動きが止まる。眞人という名前が鳥羽の名前だと結びつくのに時間がかかったからだ。


「進堂真帆です。今は鳥羽さんの家でお世話になっています。こちらこそ、よろしくお願いします。蔵さん」


 蔵の大きく厚い手を握った。鳥羽よりも身長が高く、肩幅が広い。彼は“友人”と言っていたが、鳥羽とは雰囲気も対照的な男性に思えた。

 蔵は顎に手を添え、怪訝な顔をする。そうして真帆をまじまじと頭からつま先まで眺めるのだ。


「弟子をとったなんて聞いてないぞ。あいつ、また俺に隠し事か?」


 次に腰を曲げると真帆の顔をじっと見つめてくる。少年は体を硬直させた。


「茶髪に……その目の色……不思議な色だ。蛍石みたいな色……まさか……」


 彼は眉間に皺を寄せる。そして真帆は蔵ではなく、その奥に見えた人物の方へ視線が向いていた。その人は険しい顔をしながら、こちらへ歩いてくる。


「雪っ!!」


 背後から名前を呼ばれ、蔵は振り返る。


「おうっ!眞人、一週間ぶりかな」


 陽気な蔵とは裏腹に、鳥羽は腕を組んで口をへの字に曲げている。


「不法侵入」


 彼の一言に蔵は両手を振った。


「おい、おい。今は挨拶したところなんだよ。お前の弟子にさぁ」


「は?」と片眉を上げる鳥羽。


「水臭いなぁ、新しく弟子ができたなら報告くらいしろよな。しかも若い!この世代は魔力が不十分で不作だっていうのに、どこから見つけて来たんだ?」

「なにやら勘違いをしているようだな。彼は弟子じゃないぞ」


 二人の視線が真帆へ注がれ、少年は気まずそうに立ち尽くした。


「弟子じゃない?それなら、この子は?まさか孤児を引き取って育てるよなたちじゃないだろ」


 鳥羽は咳払いをした。


晴政はるまささんの息子だ。今年の夏から海外赴任だそうで、息子が一人になるからと、私に面倒を押し付けて海外に飛んだ」


 蔵の表情が曇る。


「マジで?」

「マジだ」


 蔵に「本当か?」と無言で問いかけられ、真帆は頷く。


「こりゃ、驚いたね。晴政さんの息子とはいえ、お前が人の子どもを預かるなんてさ。槍でも降ってくるかね」

「言っただろう。押し付けられたってな」


 しかし蔵は首を横に振る。


「よく言うぜ。お前が仕事の文句を口にしなくなった訳がわかった。大人しく着いてきてくれるようになったのは、そういうことか」


 真帆の知らぬ間に話しが進んでいく。


「あの……なんの話ですか?」


 真帆が聞けば、蔵は鳥羽の顔を見る。彼は「好きにすればいい」と蔵に顔で返事をしているようだった。


「眞人には俺の仕事も手伝っもらっているんだ。ほら、魔法薬店だけで食っていくには世知辛いからさ。兼業して収入を得てるわけ」


 それは初耳だ。やはり魔香堂だけでの生活は難しいようだ。


「蔵さんの仕事って?」


 蔵は腰に手をあて、得意げな顔をする。


「表向きは玩具屋『トイーズ』の社長だ。裏は魔導師として、魔物や妖精たちの環境保全をやってる。まぁ……動物の保護活動みたいなもんだと思ってくれ。これでも国家に認められた立派な仕事だぞ」


 蔵は白い歯を見せながら、にこっと笑う。

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