第5話 魔香堂の客人
接待部屋から魔法薬店に繋がるドアを開く。顔を覗かせればカウンターに座る鳥羽の背中が見えた。
真帆はゆっくりと店内へ足を踏み入れる。ドアが閉められた音で、鳥羽は顔を向けてきた。
「ようやく起きたか。お目覚めのようだな、眠り姫」
鳥羽は驚くでもなく、心配している素振りもなく、そんな冗談を口にする。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
真帆が謝罪すると鳥羽は嘆息をつく。
「迷惑だとは思っていない。君が丸一日も眠りについた理由はわからないが。春鈴から話を聞くに、君はオズヴァルトの夢を見るそうだな。眠っている間にも、その夢は見たのか?」
真帆は無言のまま首を横に振った。
「そうか……」
「銀糸の魔法使いか……」と鳥羽は小さく呟く。彼は何か考え込み始めた。
真帆はカウンターを出ると、棚やテーブルに飾られた商品を眺める。
木の皮や植物の粉末が入った瓶には、それぞれに植物の名前が書かれたラベルが貼られている。その中には真帆が聞いたことのない植物の名前も多々あった。
そして液体が入った小瓶には『妖精避けアロマ』『睡眠薬』などとラベルに記載されている。この一つひとつが“魔法薬”になるのだろう。
「そんなに物珍しいか」
真帆が魔法薬を眺めているとカウンターから鳥羽が声をかけてくる。彼は手元に広げた英字新聞を読んでいるところだ。
「魔法使いのお店は
「そうだろうな」
会話はここで途切れた。店内はBGMも無く、静かな時が流れ続けているだけ。
無言の時間が苦痛に感じ始めてきた真帆だが、鳥羽に話しかける話題も見つからず、黙って店内を物色している。
鳥羽の方は無言の空間を気にすることもなさそうで、時折、彼が新聞のページを捲る音だけがそこから聞こえてくるのだ。
それからどれほど経っただろうか。実際には十数分ほどだろうが、真帆はその時間がもっと長い時間に感じていた。
沈黙に耐えかねた真帆が口を開く。
「あの……お客さん来ませんね」
真帆が店に顔を出してから誰もここへ訪れていないのだ。そして鳥羽は暇を持て余して新聞を読んでいる始末。
真帆の言葉に鳥羽は眉間に皺を寄せ、不服そうな表情で新聞から顔を上げた。
「まるで繁盛していない店だとでも言いたいようだな」
真帆は慌てて両手を振る。
「そういうわけでは!」
すると鳥羽は深くため息をつく。
「現代では魔導師が営む店は、本や映画のような華やかしいものではない。一般の客がここまで辿り着けることは殆どないのだからな。常連客は魔法使いが多い。とはいっても魔法使い自体が少ない現代では、それも両手で足りるほど。たまに流れ着いて来る一般客もいるのだが、常連になるとは限らない」
鳥羽は早口に語った。
「そうなんですか。大変ですね」
つまりは『繁盛していない』ということだ。真帆は皆までは言わなかった。
とはいえ、鳥羽との生活は困窮したものではないし、普通に生活できるだけの収入は得ているように思える。
春鈴と二人暮らしに加え、真帆を迎え入れたのだから、それなりに生活は潤っているのではないか。
しかし、鳥羽の様子からすると店の現状には頭を抱えるものがあるらしい。金銭事情は謎に包まれているが、真帆が聞くのは野暮というのものだろう。
カランカランと入店ベルの音がする。真帆と鳥羽は一斉に店のドアへ視線をむけた。
魔香堂にやって来たのは大学生くらいの青年だ。彼は鳥羽の顔を見るなり、大股でカウンターに向かって歩いてくる。真帆を押し退けカウンターまで来れば、両手を叩きつけた。
鳥羽の方は腕を組み、青年を警戒しているようだ。そして青年は大声を張り上げる。
「薬が足りない!」
真帆はびくりと体を怖ばせた。
「大声を出すな。そこの子供が仔犬みたいに怯えてるじゃないか」
鳥羽に言われ、大学生はチラリと背後にいる真帆に視線を向けた。が、すぐに鳥羽へ向き直る。
「お前が不良品を俺に売りつけたからだろ!」
「不良品?うちはそんなもの大切な客に売りつけたりはしていない」
「嘘をつけ、お前が渡してくる惚れ薬は何の役にも立たないじゃないか!」
青年は拳をカウンターに打ちつけた。それでも鳥羽の表情は変わらず冷静を保っている。
「なにが惚れ薬だ。あんなものが惚れ薬なのか!?彼女は俺を好きになってくれないじゃないか!」
鳥羽は諦めたように嘆息をつけば、カウンターから出て青年と向き合った。
「言ったはずだ。惚れ薬の効果はあくまでも、君の手助けをしてくれるもの。彼女が君を好いてくれるかどうかは、キミ自身にかかっているのだと」
「でも、それだけじゃダメなんだ!魔法使いなんだろ!魔法の薬なら、彼女が本気で俺に惚れてくれる薬を作れるんだろ!それが欲しいんだよ!」
鳥羽は頭を抱えた。さらに深いため息を漏らす。
「魔法は万能であって万能ではない。人間の脳や感情は繊細なんだ。だから惚れ薬のような、感情を弄る魔法は危険も伴う。君は特定の女性に惚れ薬を飲ませすぎだ。これ以上は彼女の心を壊してしまうかもしれない。君のためではなく、彼女のために私は薬を渡すわけにはいかない」
青年はぐうの音も出ない様子だ。唇を強く噛み締めている。
「もう彼女のことは諦めたらどうだ。君に気持ちが傾くことがないとわかっただろう」
「あんな惚れ薬じゃなきゃ、彼女はきっと俺に惚れてた!お前はインチキ魔法使いだ!」
青年は鳥羽を指差すが、鳥羽は心底興味がなさそうだ。
「勝手に言ってろ。惚れ薬以外なら売ってやる。買うものがないなら、お引き取り願おうか」
「くっ……惚れ薬、まだあるんだろ!」
青年は鳥羽を押し退けると、魔法薬が陳列された棚へ寄る。そして乱暴に惚れ薬を探し始めたのだ。
「どれだ……どれだ……」
青年の手によって魔法薬の小瓶が次々と床に落とされては、音を立てて割れてゆく。
真帆は思わず体が動き、青年の腕を掴む。
「や、やめてください!」
「うるせぇ!俺には、俺には惚れ薬が必要なんだ!」
掴んだ手は乱暴に腕を払われた。その衝撃で真帆はよろけ、テーブルに腰を打ちつける。
「痛っ……」
打ちつけた腰の痛みに、手でさすった。
「あった、あったぞ!!」
惚れ薬を見つけ出した青年は、薬を手に取ると小瓶に頬を擦り寄せる。青年の恍惚とした表情が、真帆には狂気にも感じた。
「そこまでだ」
鳥羽の杖が青年の背中を突く。その瞬間、青年の意識は薄れ、体の力を失って床に倒れこむ。
真帆は慌てた。
「なにをしたんですか!」
「案ずるな。気絶させただけだ」
鳥羽は床で眠っている青年の手から惚れ薬を取り上げた。そして青年の背中に手で触れると、なにやら唱え始める。青年の体は淡い光に包まれ、光の消滅と共に姿を消したのだ。
「男の人はどこに!?」
思いがけない光景に真帆はたじろぐ。
「今頃は適当なベンチで寝ているだろう」と鳥羽は鼻で笑う。どうやら鳥羽の魔法で、店から外のどこかのベンチに移されたようだ。
(魔法使いはなんでもアリだな……)
真帆は床にしゃがみ込むと、割れた小瓶の破片を指に取る。床に広がる液体からは、色んな薬品が混ざり合ったような匂いが鼻をついた。
魔法薬に固執していた青年を真帆は哀れむ。この小瓶ひとつで翻弄されるとは……どこかのベンチで目覚めた青年が改心し、二度と魔香堂で顔を合わせないことを願う。
「迷惑な客だったな」
この事態を物ともせず、鳥羽は冷静沈着な態度だった。
「こういうことは、良くあるんですか?」
「あってたまるか。あの青年は一度惚れ薬を使い、それから味をしめたようでな。惚れ薬を要求してくるようになった。青年にも言ったが、魔法は万能であり万能ではない。君も魔法薬が欲しくなったら、あの青年のようにならぬよう気をつけるんだな、仔犬くん」
「はい……うん?」
真帆は床から目線をあげ、鳥羽を見上げた。
「どうした?」
「仔犬って……もしかして僕のこと言ってます?」
すると鳥羽はニヤリと笑みを浮かべる。
「仔犬のように怯えて突っ立っていた君は滑稽だったな」
「仔犬……」
真帆は呆れた顔をした。名前をろくに呼ばないこの男が、自分につけたあだ名が『仔犬』だなんて。
「いいじゃないか、仔犬くん。決まりだな」
「決まりだな。じゃないですよ!」
こうして真帆のあだ名が“仔犬くん”になってしまったのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます