第1話

 「うーん!やっぱり日本の空気はうまいな!」

 羽田空港で入国手続きを終えて、重たいボストンバックを空港の床に置いた矢武明人は、大きく息を吸った。周りの旅行客たちは彼に気を止めることなくキャリーケースを転がしていた。明人は重たいボストンバックを持ち上げ、地下鉄へ向かった。路線を乗り換え、最寄駅で降りた明人はもう一度大きく息を吸った。

「慣れしたんだ空気。やっぱりいいな!道場のみんなは元気にしているかな?」

ボストンバックを担ぎながら、明人の頭の中に親しい人物の顔が浮かぶ。

「きゃー!」

突然、明人の想像を打ち破るような悲鳴が駅に轟いた。同時に明人の耳にパトカーのサイレンが聞こえてきた。周りを歩いていた人々の視線が悲鳴とサイレンの鳴り響く方に向く。明人はボストンバックを担ぎ直し、悲鳴の方に走って行った。

 悲鳴の聞こえた場所は駅の中に常設の喫茶店であった。喫茶店の入り口の前には、パトカーが交差しながら止まっていた。一台の覆面パトカーがその隣に止まった。覆面パトカーからは、グレイのスーツに紺のロングコートを着た女性とシアンのスーツにサングラスをかけた男性。二人が現場に近づくと、パトカーの隅に隠れていた白髪混じりの年配の刑事と若い刑事が立ち上がり、二人に敬礼した。

「北条刑事、ご苦労様です。」

「溝口さん、お疲れ様です。状況は?」

溝口は横にいる若い刑事・島村望に視線を送る。島村は二人に状況を説明した。

「マル秘は喫茶店内でウェイトレスを人質に立て籠もり。他にも従業員が人質にされており、幸い準備中で一般客はいない模様です。」

北条と一緒に出てきた男性刑事は、サングラスを外して店内を目視で確認した。店内では、大柄な男性が自分の周りに巨大な槍を浮かべて、警官隊の方に向けていた。その内の一本は、大柄な男の隣で怯えているウェイトレスの首元に迫っていた。ウェイトレスは恐怖のあまりその場に倒れ込んで、涙を流していた。

「マル秘の要求は?」

北条の質問に溝口が答える。

「なんでもここへ逃げ込む前に銀行強盗に失敗したらしく、逃走車と5000万を要求している。まぁ計画が失敗して、焦っているんだろう。」

「状況はわかった。俺が対処する。」

サングラスを胸ポケットにしまった男性刑事が一歩前に出た。

「桐生刑事、人質がいるの。あまり危険な行動は‥」

「大丈夫だ。俺がマル秘を引きつける。その隙に、北条たちは人質のウェイトレスを救出しろ。」

北条は静かに頷く。北条たちは桐生のそばから離れた。すると桐生は大股になり、腕を交差させた。

「超心!」

桐生がそう呟くと、桐生の足元に青い魔法陣が浮かび上がった。桐生は魔法陣からの青い光に包まれた。すると桐生は丈が長く、襟の太いロングコートのような服に包まれた。背中には鍔が上に向いて鞘に収まっている剣が現れた。桐生は剣を鞘から抜き、右手に握った。桐生は真っ直ぐ喫茶店の入り口に真っ直ぐ向かっていた。

 明人は警官が埋め尽くす喫茶店前の群衆の隙間からその様子を見ていた。人々は現場の様子にスマホのカメラを向けていた。テレビキャスターが喫茶店を背景にテレビカメラの前に立ってリポートしていた。明人は腰を低くして、群衆の隙間を潜り抜け、警察の規制線を超えた。どの警官もマスコミの対処に追われて、現場に入り込んだ明人に気づいていない。

 喫茶店の店内にいる立て籠もり犯が桐生に気づいた。立て籠もり犯はそばで倒れていたウェイトレスの腕を掴んで、自分の前に立たせた。喫茶店の扉を開け、桐生に話しかける。

「おい!車と金は用意できたのか?」

「警察がそんなバカな要求を飲むと思うのか?諦めて、人質を解放しろ。そうすればまだ軽い罪で済むぞ。」

桐生は剣を下に向けたまま、ゆっくりと喫茶店に近づいていく。立て籠もり犯は額に青筋を立てた。立て籠もり犯は自分の周りの槍を桐生に向けて一斉に投げつける。桐生は飛んでくる槍を剣で切り刻んでいく。剣の先についた槍の破片を左手で拭う。

「クソ!」

立て籠もり犯はウェイトレスを桐生の方に押し倒した。倒れ込んだウェイトレスを桐生は胸で受け止める。桐生が受け止めている隙に立て籠もり犯は群衆の方に向かって走っていく。現場を取り囲んでいた群衆が一気に離れていく。

「待て!」

桐生はウェイトレスを北条に託し、立て籠もり犯の跡を追う。するとパトカーの陰から何者かが現れ、立て籠もり犯の腹に蹴りを入れた。立て籠もり犯は思わずその場に倒れ込んだ。陰から現れた何者かは、パトカーのボンネットに仁王立ちし、ヒーローのように胸を張って見せる。

「なんだテメェ!」

「俺は矢武明人。お前みたいな魔法を悪用するやつを倒す正義の男。そして世界一のカンフーマジシャンになる男だ。」

明人は親指で自分を指差す。立て籠もり犯は明人を確認すると、若干の笑みを浮かべて立ち上がった。

「馬鹿が。ガキは消え失せな!」

立て籠もり犯は槍を明人に飛ばす。明人は全身をしなやかに動かして、槍を回避する。間合いを詰めると、明人は立て籠もり犯の飛び出た腹に拳を入れた。明人の拳の軌道に沿った赤い火花が飛び散った。桐生にはそれがはっきりと見えた。

「あいつ。魔心拳のカンフーマジシャンか。」

桐生はその場に立ったまま、その様子を見ている。明人の拳が腹に入った立て籠もり犯は、大きく飛ばされ桐生の足元に倒れ込んだ。立て籠もり犯は体力を失い、すぐに立ち上がることができなかった。桐生は立て籠もり犯の腕も取り、手錠をかけた。

「連行しろ。」

桐生が島村と溝口に指示する。二人は半分気を失った立て籠もり犯の腕を掴んでパトカーまで連行した。その様子を見た明人は再び群衆の方に向かって歩き出した。

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カンフーマジシャン 平井宇宙 @hiraisora

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