第34話
「兄が失礼なことを……すみません」
「ううん。そんな気にしてないよ」
いや、だいぶイライラしている。
でもきっと勇凛くんもそう。
「わざとああやって嫌味を言ってきたりする人なんで、あの人のいうことは無視してください」
「うん……」
そのあと、勇凛くんと駅に向かって歩いた。
その時、ふと目に入った。
ジュエリーショップ。
そういえば、私たちは結婚しているのに指輪をつけていない。
結婚式もしていない。
一緒に住んでもいない。
親に挨拶もできてない。
私が悶々としながら、その店を眺めてると勇凛くんがそれに気づいた。
「七海さん、見てみますか?」
「え?」
「気になるならいいですよ」
「ううん!大丈夫!」
私と勇凛くんはまた歩き出した。
「七海さん、指輪買いませんか?」
あ、私がさっき見ていたから……。
「いつでもいいよ!ごめんね、気にさせちゃって」
「いえ、俺も欲しいと思ったんです」
弱ってる心にぐっと何かが込み上げてきた。
「……そんな高いものじゃなくていいから、買おうか」
「はい」
私と勇凛くんは、さっきのジュエリーショップに向かった。
ジュエリーショップに入ると、白い空間に包まれた清潔感あふれる内装だった。
今の私の貯金で買えるものがあればいいが……。
二人で指輪を見ていると、店員が来た。
「どんなデザインのものがお好みですか?」
デザインじゃなくて値段なんだよ、と心の中で呟いた。
「デザインは特に気にしてないです」
私が答えると、店員はお構いなしに色々紹介してくる。
あー!ゆっくり探したかった!
勇凛くんは店員の話はスルーしてずっと指輪を見ていた。
「……七海さんこれはどうですか?」
勇凛くんが指を指したのは、シンプルで落ち着いたデザインの指輪だった。
なんの装飾もなく、勇凛くんのように真っ直ぐな心を表しているかのようだった。
値段を見ると──
ペアで十万円だった。
十万円ならなんとか……。
「うん、これにしよう!」
私がカードを出そうとしたら、勇凛くんが先にカードを出した。
「一括で買います」
──え?
「え、勇凛くん、十万だよ……?」
「はい。貯金があるので大丈夫です」
いくらあるんだろう。
大学生のバイトで……。
「勇凛くん、私の分は自分で払うよ!」
「いえ、俺が七海さんに結婚指輪をあげたいんです」
胸が熱くなった。
「うん……ありがとう」
泣きそうだった。
ちょうどサイズが合う指輪がそれぞれ在庫にあって、私たちは店から出てきた。
「勇凛くん、ありがとう」
「いえ、当然のことをしただけです」
そのあと、勇凛くんと私の家に向かった。
家に着くまで私たちは何も言葉を交わさなかった。
明日のことで私は頭がいっぱいだった。
***
私たちはマンションの前に着いた。
勇凛くんが私の方を向いた。
「七海さん。あの……」
「どうしたの?」
勇凛くんが指輪が入っている紙袋から、指輪のケースを取り出した。
「指輪、つけませんか?」
「え、今?」
「はい。ダメですか?」
ダメなんかじゃない。
ただ頭が明日の事でいっぱいになってしまっていた。
本当に見なきゃいけないのは、勇凛くんなのに。
「ううん。つけたい」
指輪のケースの中には二つ並んだ指輪。
「七海さん、手を出してください」
私が手を差し出すと、勇凛くんが薬指に指輪をはめてくれた。
結婚しているんだという実感が湧いた。
「こんな場所ですみません」
勇凛くんが申し訳なさそうにしている。
「ううん。私は全然気にしないよ」
私は勇凛くんの手を取った。
もう一つの指輪を勇凛くんの指にはめた。
この人が自分の夫だという実感も湧いた。
「なんか、指輪をつけただけなのに、急に夫婦の実感が湧いてきた」
「そうですね。不思議です」
見ていると勇気が湧く。
買ってきてよかった。
「ちゃんと改めて式もしましょう。七海さんのウェディングドレス姿見たいです」
ウェディングドレス。
一生着ることはないんじゃないかと思っていた。
「うん。私も着てみたい」
私と勇凛くんは、星空の下、誓いのキスを交わした。
教会でもない。
特別な場所でもない。
でも、私にとって、勇凛くんがいればそれだけで特別なんだ。
「じゃあ七海さん、また明日」
「うん。気をつけて帰ってね」
その後、勇凛くんの背中が見えなくなるまで見送った。
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