今日が終わるまで、恋人で

天照うた @詩だった人

一日限りの恋。

 パーカーを深くかぶってもまだ寒いような、冬の日のことだった。


「……藍花あいか?」

「え、文ちゃん?」


 突然に告げられた名前。すぐに、後ろを振り向かなければよかったと後悔する。

 そこには、前より少しクマが濃くなって、頭の位置が低くなった元カレ…文也ふみやがいた。

 こっちをじっと見つめる彼の視線が怖くて、目をそらした。息を吸って、いつもより低い声を出す。


「あの、私、あなたのこと知らないです。ごめんなさい」


 彼の隣をそっと抜けようとする。そんな私を、彼の手がつかんだ。


「なぁ……藍花なんだろ? 復縁しろだなんていわないから、少しだけ話に付き合ってくれないか」


 文ちゃんは、あの頃の優しい手つきのまま私のパーカーをふわっと外した。

 頬に冷たい風が当たる。寒いはずなのに、顔が火照りだす。彼はそのまま、大きな手を私の頬に触れかけた。


「……っ、やめて!」

「あぁ……ごめん。でも、」


 口を開きかけて、文ちゃんはなにかを言いよどんだ。私の方をじっと見て、そして逸らす。


「……いいよ。話聞いたげる。あそこのカフェでいいかな? 私、今日は空いてるの」

「ほんとか!? ありがとう、藍花」


 文ちゃんの笑顔がふわっと咲いた。昔と変わらない人懐っこい笑顔に思わずどきっとする。

 ……話を聞くだけ。復縁なんて、ない。

 そんなのわかっていた。自分が悪いことも、わかっていた。

 それなのになんで、文ちゃんはそんなにも変わらないんだろう?

 彼はいつものように、私の半歩前を歩いた。途中で、「あ」と声を漏らして、私のところへ手を伸ばしかけて、止めた。

 冬の風が、私たちの間の空気を切り裂くかのように吹き付ける。

 彼と交わることのない、自分の小さな手を見つめる。


◇◆◇◆◇◆


「あのさ……藍花、一日だけ俺の彼女に戻ってくれないか?」

「……え、」


 『戻る』……? 復縁ではなく? 一日だけ?

 私の中でたくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。だって、意味が分からない。


「俺、どうしても藍花のこと忘れらんなくて。お前が消えた日からずっと、お前のことだけ考えてた。お前がいなくなったのは俺がなにかしたからだって、わかってるのに」

「……違うよ、悪いのは私。急に逃げちゃってごめんね」


 ……そういえば、三年前私が君から逃げたのも、この時期だったな。

 親から告げられた、突然のことに耐えられなくて。でも、何もできなくて、連絡をせずに私は消えた。

 ということは、その間文ちゃんは私のことを探してくれてた……? なんて、あるわけないのに。どうせ私を誘うためだけの甘い口説き文句で、本当のことじゃないのに。

 小さい沈黙を破るように、文ちゃんが口を開く。


「それでさ、わかってるはずなんだけど、もう一回だけ藍花の隣で、1日だけでいいから過ごしたくて。……ごめんな、馬鹿だよな、そんなの。俺、気持ち悪いよな。フラれたのに、こんなに執着して」

「……いいよ」


 いつの間にか、私の口からはそんな言葉が飛び出た。思ってもいないことなはずなのに、なんで?

 頭では拒否しているはずなのに、身体が言うことを聞かない。私のくちはつらつらと都合のいいことを言う。


「じゃあその1日、今からね。今から、私と文ちゃんはカレカノ。今日が、終わるまで」

「……ほんとに、いいのか?」


 文ちゃんは理解できないように首を傾げてもう一度私のことを見た。


「いいよ。さぁ、いこ? 時間は有限なんだよ」


 もう一度言ったその瞬間、彼は瞳を輝かせて頷いた。

 ……こういうところ。ほんとに、ずるい。

 スマホを取り出して、残り時間を確認する。今は19:49。もう、今日が終わるまで4時間ちょっとしかない。


ヴヴッ


 スマホが震えた。

 下にスクロールすると、未読のメッセージが百二十二件。


『帰ってこい』

『LINE読めよ』

『俺はお前のこと、大嫌いだからな』


 ……気持ち悪い。


「藍花、どうかした?」

「……んーん、なんでもない。ここ、出よう。私、お会計払っちゃうね」


 右手で静かにスマホの電源を切って、鞄の中にしまった。

 有無を言わせず会計票を取り上げて、電子決済ですぐに支払いを済ませる。

 きっと''デート''っていう名目だと、全部文ちゃん、払おうとしちゃうもんね。


「藍花、ごめんな。もう俺、金欠だった高校の時とは違うんだぞ?」

「それは私も一緒よ。甘く見ないで」

「ごめんって。ほら、手」


 彼は自分の左手を静かに私の前に差し出す。その手に、ゆっくり自分の手を重ねた。かすかなぬくもりが伝わってきて、何とも言えない温かい気持ちになる。


「文ちゃん、今も手あったかいんだね」

「お前が冷え性なだけだろ。別に、普通だ」


 そんな文ちゃんの横顔を見上げる。キャラメル色のマフラーからはみ出た耳が、真っ赤に染まっていた。


「……かわいーな」

「あ? 今なんて言った?」

「ふふ、なんでもない」


 これだけの日常が、どれほど幸せなんだろう。

 だからこそ、私は怖い。

 戻れなくなる。また、文ちゃんから抜け出せなくなる。


「藍花、どこか行きたい場所あるか?」

「ない。てか、文ちゃんが考えてなかっただけでしょ」

「ばれたか。まぁそうだよ。今も夢だと思ってる」

「ばか文ちゃん。私はここにいるよ?」


 私たちは手をつないだまま、街をぶらついていろんな話をした。


「今、何してる?」

「大学とバイトの往復の毎日。普通につらい。こんな日本クソだろ」

「じゃあ、海外逃亡しちゃう?」

「あーいいかもな。二人で海外に駆け落ち、なんかの小説みたい」

「え、私も行くの? じゃあ、私お金ないから文ちゃん全額負担頼んだよっ」

「ちょっと待ってそれ辛い破産する。いや、一人でも行けるわけないわ」


 あはは、と私たちの笑い声が重なる。


「藍花、かわいくなったよな。大学デビュー?」

「まぁね。文ちゃんは幸せでしょ、こんな私が元カノで」

「元カノじゃない。今日中は、今カノだ」

「……そうだね。ごめんごめん」


 少しだけ、君がさみしそうな顔をする。


「文ちゃんが飼ってるわんちゃん、今も元気?」

「雪な。あぁ、元気だよ。今日も尻尾ふってた」

「ふふ、よかった。私と文ちゃんが付き合ったきっかけ、雪ちゃんだもんね」

「そうだよなぁ……雪がいなかったら、今俺はこんなに幸せじゃなかった」

「言いすぎだよ」

「言いすぎじゃない。言わなさすぎなくらいだ」


 ……なにこれ、なんで。

 一日のはずなのに、道を歩いてるだけなのに、しゃべってるだけのはずなのに、この三年間のどの一日よりも本当に幸せで。

 どうして。あと数時間しか一緒にいられないのに、君は私の心を掴んでくるんだろう?


「なぁ、藍花。あそこのコンビニ寄らないか? 高校帰りの時によく行ったよな」

「おーいいね。いこいこ。私、ちょっとだけお腹すいてきちゃった」

「俺も同じ」


 ウィーンという機械音に合わせて、コンビニの自動ドアが開く。私はいつも通りあんまん。文ちゃんもいつも通りにサイダー味の棒アイスだった。

 それぞれが会計を済ませた後、自然に足は近くの公園へと向かっていった。ほのかなオレンジ色の街灯に照らされたベンチに座る。その距離は、前より少しばかり離れていた。


「冬でもいっつもそれ食べてるよね。おなかすいてるって言ってたのに、いいの?」

「……今やばいかもって思った。藍花、あんまんくれ」

「いーよ。はい、ちょっとだけね」


 一瞬そのまま差し出しかけたあんまんを引っ込めて、小さくちぎって渡した。文ちゃんはそんなの気にも留めていないようで、幸せそうな笑顔でそれをほおばっている。

 ……鈍感、ばか。


「なぁ、藍花は将来の夢、決まった?」

「……あはは、まだかな」

「そうか。俺はな、決まったぞ」


 嬉しそうに文ちゃんは笑った。


「職業はなんでもいいんだけどさ、好きな人を幸せにできるような男になるんだ。稼げて、安定してて」

「なにそれ。文ちゃんらしくないね。つまんない」

「は、俺のことなんだと思ってんだよ」

「んーん? 夢はおっきい方が、文ちゃんらしいなぁって」

「じゃあ……馬鹿なこと言うけど、いいか?」


 ふいに、文ちゃんの手が私の手に絡まってきた。


「俺はさ、世界で一番愛してる人がいるんだ」

「うん」

「ずっと前から好きで、それで付き合えたんだけど、ひょんなきっかけで別れちゃったんだ」

「うん」

「その人のことを、俺は今でも好きなんだ。きっと、もうその人は興味なんてないだろうけど」

「……うん」

「その人ともう一回付き合って、結婚するのが俺の夢だ」


 本当に、幸せそうな笑顔だった。

 でも、その未来図に、私は……。

 彼の手首のスマートウォッチをちらっと見た。23:05……いつのまにか、一時間を切っていた。


「あのね、私にも夢があったの」

「……」

「もう叶わないんだけどね、自由に生きたかったの。誰にも強要されないで、自分の好きな道を、好きなペースで……好きな人の隣で、歩みたかった」


 情けないことに、涙がこぼれた。静かに涙を流す私の背中を、文ちゃんが控えめに撫でる。

 でも、その視線は星に満ちた夜空に向けられていた。


「……私、お見合い、あるんだって。強制なんだって。なんでだろうなぁ、私、なにか悪いことしたかなぁ。ごめんね。あの日、急に逃げ出しちゃって」

「――――っ」

「しかも、その人、私のこと全く好きじゃなくて。LINE送って帰らせようとしてくるくせに、大嫌いとか言ってきて。意味わかんなくって。逃げたいけど、いろいろ脅されてる。家族も迷惑かもしれない。……そう考えたら、本当に怖いんだ」


 文ちゃんは、いつの間にか俯いて小さく拳を握っていた。それは小刻みに震えて、どこの行き場もないように彼の足の上に在る。


「……藍花」

「ごめんね、文ちゃん。ほんとに、ごめんね……」


 私の涙は冬の風に攫われていく。

 私は、空を見上げた。とてもきれいな、オリオン座が浮かんでいた。

 どうして私はあの星みたいに、一人で輝きを放てなかったのかな。どうして、私は、自分で決められなかったのかな。逃げ出すことしかできなかったのかな。

 私と文ちゃんの手はずっと、一つに繋がれていた。

 二人でただ、夜空を見上げた。


「もうすこし、だな」


 スマートウォッチに目を落とした、文ちゃんが言った。

 いつの間にかその表示は23:59へと変わっていた。


「ねぇ、私、文ちゃんの彼女でよかった」

「あぁ、俺も藍花の彼氏でいれて幸せだった」


 文ちゃんは、目を赤く腫らしながらもきちんと笑っていた。

 ……この人は、大丈夫だ。きっといつか私よりずっと素敵な女の人を見つけて、幸せになれる。大丈夫、大丈夫。

 静かに、スマートウォッチの表示が0:00に切り替わった。

 私は、手にこめた力を緩めた。少し遅れて、手を押さえつける力がなくなる。

 私たちの視線が合うことはなかった。


「帰り、寒いから。気をつけてな」

「うん……ありがとう、もね」


 ――手のぬくもりが消えた瞬間、私たちの一日は、ちゃんと終わった。

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