モノクロのアポカリプス

秋待諷月

モノクロのアポカリプス

 ふと気付いたら、目の前にペンギンがいた。

 ずんぐりとした小さく黒い体に、丸っこく太い嘴。ふっくらと白い腹には星のように斑点が散っている。黒い顔面の周りは白のラインでぐるりと縁取られ、胸元には黒いラインが一本。まごうことなきケープペンギンだ。

 閉園時刻も過ぎた冬の薄暮の、今にも雪が降り出しそうな曇天の下。錆だらけの安全柵の向こう側、コンクリートの床の上にぽつんと一羽で佇む白黒の姿が、灰色の世界の中で妙に際立って見えた。

 ペンギンは怯える様子も無く、くりくりとした丸い目でしばらく俺をじっと見つめていたかと思うと、両のフリッパーを振り上げて嬉しそうに鳴くことには。

「ナカマ!」

 違います。俺はパンダです。

 思わず丁重に突っ込んではみたものの、俺の言葉は相手には全く届いていない。

「シロクロ、オナジ!」

 それはそうかもしれないが、共通点はカラーリングだけで、どこからどう見ても別ものだろうが。

 俺の反応はにべもないが、ペンギンは己の体と俺との間で視線をゆっくり二往復させてから、真面目そのものの面持ちで呟く。

「オナカポヨポヨ、オナジ」

 うるせぇよ。

「アンヨミジカイ、オナジ」

 だからうるせぇよ。

 ふくよかな腹に短い前脚で肉球パンチを繰り出したくなる衝動を堪え――繰り出そうにも不可能なのだが――俺はお気楽で物知らずなペンギンを、ただ睨むに留めた。

 とは言えどれだけ凄んだところで、この緊張感の無いふざけた顔では威嚇にもならない。

 現にペンギンは全く堪えていないようで、きょとんとした様子で首を傾げると、ぽつりと一言。

「ヒトリボッチ、オナジ」

 ……うるせぇよ。

 久しく動くこともなく、ただでさえ鈍った体がいっそう重さを増したように感じられて、気分までズンと重くなる。

 色以外でも何かと似ていることが分かったところで、こいつと俺が仲間でないことは明白だ。そもそも根本的に、カテゴリーからして違うのだから。

 この園の中で見ることなどないはずのペンギンがなぜここにいるのかと言えば、予想するに、隣接する小さな水族館から脱走してきたのだろう。

 ここは前時代の古びたレジャーランドだ。バブル全盛期にはそれなりの客入りがあったものの、辺鄙な田舎に立地しているため徐々に客足は遠のき、元号を三つ跨ぐうちにすっかり寂れた。老朽化した施設を改装する費用も工面できず、年内――この月末には閉園が決まっている。

 経営母体を同じくする水族館も同様で、飼育生物たちも大部分がすでに他所の施設に引き取られたか、あるいは、処分を待つ身だと風の噂に聞いていた。最盛期には三十羽を超えるペンギンで賑わっていたペンギンエリアも、いつしか数を減らし、今やたった一羽を残すのみだという。

 今、俺の前で尻を揺すっている惚けたペンギンこそが、どうやらその最後の一羽であるらしい。

 来月には取り壊されるオンボロ施設のこと、この小さな生物が抜け出す隙間の一つや二つ存在していても不思議ではない。

 客も従業員も減ってしまった寂しい園内で、ペンギンが誰に気付かれることもなくペタペタと歩いて行く光景を思い浮かべると、可笑しさと同時に空しさがこみ上げた。


 ――ああ。そうか。


 確かに、俺たちは仲間かもしれない。

 ぴくりとも動かない俺が何かしらの反応を寄越すことを、ひょこひょこと首を振りながらいじらしく待ちわびているらしいペンギンを眺めながら、俺は胸が押し潰されそうになった。

 昔は、ちやほやされたよな。

 俺もお前らも、人気者だったよな。

 俺の毛皮の白い部分は陽光を浴びると眩しいほどで、逆に黒い部分はつやつやと光っていて、こんな埃っぽい灰色に汚れてなんていなかった。「パンダだ!」なんて、目を輝かせて駆け寄ってくるガキどもの騒がしい笑い声に包まれて、堂々と胸を張って、のしのしと広場中を歩き回っていたっけな。

 今はもう、このカビ臭く窮屈な空間に大きな体を押し込められて、処分の時をじっと待つだけ。

 ガシャン、という物音で我に返ると、俺の眼前の柵の上にペンギンが跳び乗ったところだった。

 飛べないくせに意外と跳躍力があるものだと感心していると、ペンギンはそのまま俺の背中へ軽々飛び移ってくる。

 驚くと同時、随分と久しぶりに背中に感じたのは、ささやかだが確かな重さと、じんわりと快い暖かさ。白黒の俺に白黒のペンギンがくっついて、傍目には一匹の動物に見えないこともないかもしれない。

 四つ足で棒立ちになる俺の背をぺちぺちと叩き、ペンギンは前方を嘴で示して無邪気にはしゃいだ。

「イコ!」

 どこへ行くつもりなのか。

 どこへ行けると思っているのか。

 何も考えていないのかもしれないが、もしも、このままこいつを背に乗せて、どこか遠くへ行けたのならと、俺は叶いもしない夢に想いを馳せた。


 だけど、ごめんな。


 いくらお前がハンドルを回したところで、背中の穴に硬貨を入れてくれなけりゃ、俺は一歩も動けない。

 もとより、中に鉄が詰まった重い体じゃ、この屋上からどこへ逃げられるはずもないのだ。

 だから、行くなら一羽ひとりで行ってくれ。

 ガレージの柵越し、静まりかえった遊園地の冷え切った景色を眺望しながら、心の中で俺は願った。

 お前なら、きっとどこかに、人気者になれる別の世界が待っている。

 俺の世界は灰一色で、その終わりには白も黒もない。




 Fin.

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