カチカチ山と、沈められた感情──怒りを呑み込み朽ちる物語

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カチカチ山と、沈められた感情──怒りを呑み込み朽ちる物語

『カチカチ山』の物語における兎は男、そして、あの哀れな敗北を喫する狸は、その兎に、うっかり情を寄せてしまった女の子──タヌ子である。これはもう疑う余地のない、ほとんど科学的帰結として私には思われる。


この話は、現代の東京、あるIT企業の人間関係において、極めて静かに、しかし確実に発生した事件であるという。令和の職場事情は、ある意味では戦国より残酷だ。人を斬り殺すかわりに、笑顔のまま関係性を破壊することができるからである。


だいいち、物語の発端からして、ひどい。


いわゆる「婆汁」──あの、かけがえのない保護者的先輩を、男に気に入られたくて切り捨てるという、まことに情けなく、しかし生々しく理解可能な、つまらない裏切り。


本人にとっては些細な「間違い」でも、誰かにとっては命綱である。にもかかわらず、当の本人は「そんなつもりじゃなかった」と言って済ませる。これはもう現代の職場における、最もよくある形の“人殺し”である。


とはいえ、私の娘(五歳)は、その話を聞いて、ぽつりとこう言った。


「タヌ子、かわいそうね。」


思わず私は笑ってしまったが、なるほど、そこに一縷の真理があるのかもしれぬ。


もちろんこの娘の「かわいそう」は、最近覚えたお気に入りの語彙であり、何を見ても「かわいそう」と言えば大人に褒められると知っているだけの、戦略的発語である。思想などあろうはずもない。


それでも私は、その娘の無責任な同情の中に、ある警鐘のようなものを感じたのだった。


──この物語における“ウサ男”の優しさは、果たして正義だったのか。


その優しさが“燃える柴”となって、相手の背中を焦がしていたとしたら?

そしてその男の一言一言が、実はタヌ子の沈黙や遠慮を、逆手に取る“詭計”だったとしたら?


私たちは「彼女は可哀想だった」と言いながら、それでもやっぱり、「そんなに溜め込む方が悪いよね」とも言ってしまう。


なぜなら、今の時代、感情をそのまま出す人間は“重い”とされてしまうからである。


それならば、タヌ子はいつ、どうやって怒ればよかったのだろう?


いや、きっと怒れなかったのである。


“怒ると嫌われるかもしれない”という思いが、すでに怒りそのものより深く、彼女のなかで積み重なっていたのだから──。


--本文--


タヌ子は、おとなしい娘であった。


よく気がつき、手も早く、礼儀正しい──けれど、それは本当に「優しさ」と呼べるものだったのかどうか。


人と争うことを厭い、言いたいことも飲み込み、ただ静かに微笑んでやり過ごす術ばかりが上手くなっていった。


しかも、性格に似合わず器量は悪くなく、黒目がちで、頬にかすかに赤みを残している。それが男たちには未完成な色気と映るらしく、どこかややこしい視線を向けられることも多かった。


けれどタヌ子は、それに気づいても気づかないふりをし、あるいは「私のせいかも」と思って、謝ることしかできなかった。


--婆汁--


そんなタヌ子にも、一人だけ、自分をそのままでいさせてくれる女の先輩がいた。職場の五つ年上で、あだ名は「ババア先輩」と呼ばれていた。陰口ではない。本人がそう名乗っていたのだ。


「どうせそのうちババアって言われるんだから、先に名乗っとくわ」


そう笑った声が妙に澄んでいたのを、タヌ子はなぜかよく覚えている。


ババア先輩は、タヌ子にとって、風よけであり、避雷針であり、ブレーキでもあった。


この人が見ていてくれる、それだけで自分は流されずに済んでいた──そう思っていた。


ウサ男が現れるまでは。


ウサ男は、まことにスマートな男だった。女の子の反応をよく見る。言葉はやわらかく、声も通る。


「急に誘うの苦手でしょ?」「今日は無理しないでいいから」


などと殊勝に言ってみせながら、しかし実のところ、相手の“譲歩のタイミング”を巧みに見計らう男であった。


ひと言でいえば、気づいていながら気づかないふりが上手い。女に「私がわがままなのかな」と思わせてから抱く、そういう男であった。


タヌ子は、彼に惹かれた。いや、「この人なら、私のことを分かってくれるかもしれない」と思ってしまった。


ある夜、職場の飲み会の帰り道、ウサ男とふたりきりになったタヌ子は、ぽつりと言いました。


「先輩、あなたのこと……ちょっと苦手みたいで」


なぜそんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。ただ、そのときウサ男の目が、初めて自分を“女”として見たように感じられて、どこかぞくりとした。


翌週、ババア先輩はふと職場に来なくなった。誰かが言った。「揉めたらしいよ、例の男と」


その噂はすぐに立ち消えた。けれど、タヌ子の中では、それが終わらなかった。先輩の机に置かれたままのマグカップと、誰も触らないマスクの箱。


それらが、まるで自分が毒を盛って殺したように思えた。


--柴を背負う--


そのあとも、ウサ男との関係は続いた。けれど、何かがずっと変だった。

やさしい。やさしい。やさしい。


けれど「気持ちいい?」と訊かれて「うん」と答えるたび、自分がひどく“薄まって”いくような感覚に襲われる。


笑顔を見せるたびに、自分の本音が一つずつ腐っていくような夜が、ただ静かに続いた。


「好きって言ってるのに、不安そうだね」


ウサ男はそう言った。


タヌ子は笑った。


「だいじょうぶ。私がちゃんと頑張れば、もっと好きになってもらえるよね」


黙って、笑顔で、人に気づかれないように。


--カチカチ山--


カチカチ、という音が聞こえたのは、それから数週間後のことだった。


ウサ男が、タヌ子のいないところでこう言っているのを、偶然耳にした。


「泣かれるの、めんどくさいんだよね。ああいう子って。ほっとくと勝手に戻ってくるし」


タヌ子は、声も出せずに立ち尽くした。


背中が焼けるようだった。


--泥船--


その夜、タヌ子は自分からウサ男を誘った。優しくしたかった。せめて、また抱いてもらえたら、許される気がした。


それが──泥舟だったのだ。


「今日も可愛いね」


ウサ男は言った。


「ありがとう」


タヌ子は笑った。


「でも、最近ちょっと重くなった?」


舟がぐらりと傾いた。水が、音もなく、感情の隙間から染み込んでくる。


「……私、なにか悪いこと、した?」


その瞬間、ウサ男の目に“本心のめんどくささ”が浮かんだ。


「責められてるみたいに感じるんだよね。俺、そういうの苦手なんだ」


そう言って、彼はすっと立ち上がり、スマホの通知を確認し、


「ちょっと……一回、時間置こうか」


そう言って出ていった。ドアの音は、実にあっさりとしたものだった。


──舟は沈むのである。


自分の「だいじょうぶ」ばかりで編んだ舟。


それが今、音もなく、湖底へ沈んでいく。


ババア先輩にすがっておけばよかった。


泣けばよかった。怒ればよかった。


そう思っても、もう誰も助けてはくれない。


ウサ男は、岸まで泳げる男であった。


けれど、舟の底に沈みながら、タヌ子はただ一つ、心の中でつぶやいた。


──惚れたが、悪いか。


それきり、言葉は泡になって消えていった。


--本文終わり--


ところで、これは何の寓話であろうか。


だいじょうぶを言いすぎた女の子が、自分の感情に殺される物語であろうか。


あるいはまた、「察してくれたら嬉しいな」と願ったまま何も言えなかった者が、最後にひとりで舟ごと沈んでゆく、その哀れさを描いた悲恋譚であろうか。


もしくは──現代においては、感情の正しさよりも「軽やかさ」こそが正義とされ、怒ることも泣くことも避けねばならぬという、あまりに窮屈な価値観のもとで、誰もが「いい子」を演じ続け、やがてはその “いい子像” の重みで、自分の心ごと沈めてしまうという、一種の社会風刺であろうか。


いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも狸の死ぬる今際の際の一言にだけ留意していたら、良いのではあるまいか。


曰く、惚れたが悪いか。


古来、世界中の文芸において、哀話の主題は、いつでもここに集約される。


男には、あの、気づかぬふりをして、実は誰より感情の扱いに長けたウサ男が一匹住んでいるし、


女には、あの、だいじょうぶを言いすぎて、自分の舟を泥で塗り固めてしまうタヌ子が、いつも溺れかかってあがいている。


私の──いや、あなたの中にも。


後略。


(了)

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