拾った猫がイケメンすぎたので襲ってしまいました!?〜肉食女子は躊躇わない〜

@punipuni_0123

第1話

今日が終わってしまう、という感覚は、音もなくやってくる。

その感覚は…時計を見なくても分かる。

胸の奥の理由のないところが、わずかに急かされるから。


「今日が終わってしまう、焦る……」


私はソファの背にもたれて、天井を見た。

照明の輪郭が、昼よりも曖昧だ。

言葉は、考えて選んだというより、零れ落ちた。独り言みたいに。


「仕事でさ。たくさん役割が決まっていると、たまに自分が何者か分からなくなるよね?

分かるかいっっ?」


窓辺にいる彼は、振り返らない。

外の暗さと、部屋の明るさの境目に立ったまま、低く笑った。


「おぅ、分かるぜ、お姉さん……持ち場に対応するために被ってるんだろ? 猫を、な……」


「む、被るって皮……??」


からかうような、わざとらしい間。

私は彼の下半身に向いた視線を逸らした…

つもりだったけれど、視線の重心がずれただけで、逃げ切れていなかったらしい。


「……ふっ。下半身を見るのをやめないか…?欲しがりさんめ……」


「みゅっっ!? 別に見てないしっっ??

ただ、気になっただけだよッっ!?」


言い訳の速度が、自分でも早すぎると思う。

彼は肩を揺らして笑った。その笑い方が、どこか間延びしていて、少しだけ人間離れしている。


「会社にいるとさ」


私は、わざと話題を戻した。

今の空気を、これ以上ふくらませたくなかった。


「○○担当、とか、△△係、とか…

名前より先に役割で呼ばれるじゃない?」


「呼ばれるな」


彼は即答した。そこには迷いも、含みもない。


「でしょ?ちゃんとやらなきゃ、って思えば思うほど……

終わったあと、何も残ってない気がして」


彼が、私の隣に腰を下ろした。ソファがわずかに沈み、クッションの空気が鳴る。

距離は近い。でも、触れない。

触れないからこそ、体温の境界が、はっきりする。


「役割を脱いだら、空っぽになると思ってる顔だな」


「……そんな顔してる?」


「してる。被り物を外すのが怖いって顔だ」


「……猫の皮、被ってる人に言われたくないんだけど」


彼は薄く笑った。


「これはな」


彼は自分の耳…猫のそれを、指で軽く弾いた。

毛の間を滑る指が、妙に慎重だ。

自分の一部を、扱い慣れている手つき。


「必要なときだけ被る。守るためのやつだ」


「……守る?」


私はふわふわとした毛並みを撫でる。

彼は目を細めた。


「世界は乱暴だからな。素のままだと、削られる」


その言葉は、慰めじゃなかった。

正しいとか間違いとかじゃなく、事実として胸に落ちる。


「じゃあさ……ここにいるときの私は、何を被ってるの?」


「何も」


「え」


「欲しがりで、考えすぎで、ちょっと寂しがりな…ただの、お姉さんだ」


「……みゅ、ちょっとは可愛く言ってよ」


「今のは褒めてる」


彼は、私の頭に手を置く。

撫でるほどじゃない。

でも、逃げ場を塞ぐには、十分な距離。


「今日が終わってもな」


「うん」


「お前は消えない。役割が外れても、ここには残る」


言い切りの調子が、妙に優しくて。

私は返事の代わりに、小さく息を吐いた。

息を吐いたぶんだけ、胸の奥が静かになる。


「……ずるいな、猫」


「今さらだろ」


沈黙が、柔らかく続く。

音が減って、時間の流れが遅くなる。

私は、その静けさに身を預けた。


「んっ……疲れた……だっこ……」


甘える声が、自分でも意外だった。

言ったあとで、少しだけ恥ずかしくなる。

彼は、やれやれという顔で、こちらを見る。


「こっち来て、キスして」


「やれやれ、困ったお姉さんだ……」


近づく気配がする。

額に触れた瞬間、短い温度が宿った。

唇が触れたかどうかは、はっきりしない。

でも、触れたと思ってしまうくらいには、近かった。


「あっ……んっ…舌ザラザラして気持ちいい…」


思わず零れた声に、彼が苦笑する。


「猫だからな……」


「……? 人間に見えるよ?しかも、とびきりかっこいい……」


「お姉さんが変わってるんだよ……」


声が、少し低くなる。

私は、よく分からないまま、その胸元に額を預けた。

鼓動が、一定の速さで伝わってくる。


「……よく分からない……」


「分からなくていい日だ」


そう言って、彼はそれ以上、何もしない。

抱き寄せもしないし、離れもしない。


ただ、そこにいる。


…今日が終わっても。

役割が剥がれても。

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