硝煙は夢に漂わぬ
@andro_dame
夢現
足音だけが確かにあった。革靴がアスファルトを叩く、硬質で冷たいリズムだけが夜を切り裂いている。
街灯も月もない。進行方向だけが青白く、粒子の粗い闇で縁取られている。隣を歩く影――男が「バディ」と呼ぶ女の顔は見えない。見ようとすると像が歪む。それが夢の不完全さなのか、俺の記憶の欠落なのかは判然としない。
「その......」
「一つ質問をさせてくれないか」
言うや否やバディはこちらの返事を待たず、耳に近づき、囁くように言う。
「君の思う『男の夢』ってのは、いったい何だ?」
あまりにも気の抜けた質問に呆れ、男は不満げに返事をする。
「お前の減らず口が、治ることだな」
「残念だが、これは生まれつきでな」
バディはそう言い、笑う。
それを聞き、観念した男は耳を塞ぐように、コートの襟を立て、冷気を首に貼りつける。妙なことに、冬の匂いがしない。枯れ葉も排気も湿気もない。ただ温度のない冷たさだけが皮膚に張り付いている。
明らかな拒絶のサインにもめげず、バディは話を続ける。
「地位か、名誉か。それとも――」
「女だな」
とりとめのない雑談に我慢できず、男は話を遮った。
「地位や名誉だか知んねェけどよ」
「男なんざみんな結局はモテてぇんだわ」
「自分じゃねえ誰かによ」
男が吐き捨てると、バディは鼻で笑った。
「君らしい答えだ。だが夢の中くらい、もう少し高尚に夢見たらどうだね?」
暗夜行路を進むと、いつのまにやら前方に青白い箱が浮かんでいた。コンクリートの四角い建物。鉄製のドア。近づくにつれ、世界が唐突に「匂い」を取り戻す。湿ったコンクリート、錆、そして微かな血の鉄臭さ。
ドアノブを回すと、蝶番がギィと悲鳴を上げた。
部屋の中央、一脚のパイプ椅子に少女が座っている。濡れたような黒髪。陶器の肌。彼女は男の網膜を覗き込むように見つめていた。
横にいるバディが楽しそうにこう呟く。
「どうやら......」
「君をお待ちのようだね。」
バディの声に促され、俺は彼女の対面に椅子を引く。換気扇の低い唸り。少女の唇が動いた。
「ねえ、私と結婚してよ。」
世界が一拍止まる。男が何かを言い返すよりも早く、破裂音が鼓膜を叩いた。
少女の頭が跳ね、黒髪が舞い、赤が壁を汚す。硝煙の匂いが鼻腔を焼き尽くす。
――まただ。
視界が暗転する。椅子が倒れる音と共に世界が裂け、次に気がつくと、男はまたドアの前に立っていた。手にはまだノブの冷たさが残っている。
「なんだ、こりゃ」
吐き出すように言うと、バディは愉快そうに嗤う。
「リテイクだな」
「君は、まだOKを出していないらしい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます