処女の皇后は、内腿の呪印に口づけられて覚醒する〜「不能の皇帝」に捨てられた私は、最強の反乱軍に身も心も溺愛され、国を傾けるほどの悪女となる〜

茜 亮

第一話 魔窟の宴と、氷の薔薇

帝国の夜は、腐った果実のような甘い腐臭に満ちていた。

「――此度の盗賊討伐、実に見事であったぞ、大将軍」

「ははっ! 全ては偉大なる龍帝リュウテイ陛下の御威光のおかげでございます!」

 無数の吊り燭台つりしょくだいから揺らめく炎が、広大な玉座の間を赤く照らし出している。

 豪奢な龍の刺繍が入った衣を纏い、玉座に沈み込んでいるのは帝国皇帝、ゲン龍帝リュウテイ

 豪華な冠で禿げ上がった頭を隠しているが、その体躯は枯れ木のように痩せ細っている。だというのに、窪んだ眼窩の奥にある瞳だけが、異様な若さを保ってギラギラと輝いていた。

 その御前で膝をつくのは、熊のような巨躯を持つ大将軍、ゴウ烈山レツザンだ。

 自慢の長い髭を腹のあたりまで垂らし、背には身の丈ほどもある巨大な青竜刀せいりゅうとうを背負っている。はち切れんばかりの筋肉を誇示しているが、その瞳には忠義の色よりも、卑俗な欲望の色が濃い。

「褒美を遣わす。……よいな、皇后」

「……はい、陛下」

 皇帝の横に、まるで美しい置物のように立っていた少女が、静かに進み出た。

 腰まで届く漆黒の長髪は、濡羽色ぬればいろの艶を放っている。

 透き通るような雪白の肌に、紅を差したような唇。

 帝国の皇后、ハク玲華レイカ

 『氷の薔薇アイス・ローズ』と渾名される彼女は、あどけなさと妖艶さが同居する美貌を持ちながら、感情の一切を殺した瞳で大将軍の前に立った。

「失礼いたしますぞ、皇后陛下」

 烈山は卑しい笑みを浮かべ、恭しく頭を下げるふりをしながら、玲華が纏う艶やかな錦衣きんいの裾に無骨な手を伸ばした。

 深く入った切れ込みから、躊躇なく太腿があらわにされる。

 白くなめらかな内腿には、禍々しい赤色の『呪印』が脈打っていた。

「おお……これだ。戦で乾いた体が、陛下の魔力を求めて疼いておりますわ」

 烈山は衆人環視の中、その内腿に顔を埋めた。

 ジュルリ、と下品な音が響く。

 内腿に吸い付く唇と髭のジョリジョリとした感触に、玲華は吐き気を堪える。

 その時だ。広間に列席していた家臣たちから、さざ波のような私語が漏れ聞こえてきたのは。

「……見ろよ。皇后陛下があられもない姿を」

「ふん、あれが国母とはな。まるで春を売る女ではないか」

「まったくだ。だが、あの白い脚だけは上物だな……」

 誰も目を逸らさない。

 扇子で口元を隠した文官も、ニヤニヤと笑う武官も、全員が粘着質な視線で玲華のあらわになった脚を舐め回している。

 彼らの目に、皇后への敬意など欠片もない。あるのは「高貴な女が汚される様」を楽しむ、歪んだ加虐心だけだ。

(……汚い。どいつもこいつも)

 体内の魔力が、呪印を通じて強制的に引きずり出されていく。

 この男は「儀式」と言っているが、ただの食事だ。玲華という器に入った、魔力というあつものを啜っているに過ぎない。

「ぷはっ……! 素晴らしい! 力が漲ってきますぞ!」

 満足げに唇を離した烈山の顔色は、赤々と輝いていた。

 玲華はよろめきそうになる足を踏ん張り、乱れた裳裾もすそを直すことすら許されぬまま、再び皇帝の横へと戻された。

 誰も、彼女を人間としては見ていなかった。

 †

 だが、真の地獄は宴の後に待っていた。

 皇帝の寝室。

 天蓋てんがい付きの豪奢な寝台しんだいが、ギシギシと悲鳴を上げている。

「ああんっ! 将軍、そこっ、強すぎるぅ!」

「グハハハ! 戦場より激しいですな、美蓮ビレン様は!」

 絡み合っているのは、大将軍・烈山と、皇帝の寵愛を受ける側室・アイ美蓮ビレンだ。

 胸元や背中が大きく開いた薄衣うすごろも一枚という、常にはしたない格好をしている彼女だが、今はその布すら剥ぎ取られ、豊かな肢体を波打たせている。

 獣のような喘ぎ声と、肉と肉がぶつかる水音が部屋に充満していた。

「……玲華。誰が目を逸らしてよいと言った?」

 特等席の椅子からその光景を眺めていた皇帝が、不快げに声を上げた。

 視線を床に落としていた玲華は、ビクリと肩を震わせる。

「余はもうお前を抱けぬ。だが、余の代わりに我が忠臣が励んでいるのだ。その光景を目に焼き付けぬとは、不敬であろう」

「申し訳……ございません」

「椅子など不要だ。……もっと近くへ寄れ」

 皇帝の冷酷な命令が下る。

 玲華は椅子から立ち上がり、嫌でも視界に入る距離――寝台のすぐ縁まで歩み寄らされた。

 むせ返るような汗と香油の匂い。

 目の前で蠢く、二つの肉塊。

「ほら見なさい、皇后様。これが『女の悦び』というものですわよ? あなたのような石女うまずめには一生理解できないでしょうけど!」

 行為の最中だというのに、美蓮は勝ち誇った顔で玲華を見上げ、挑発的な嬌声を上げる。

 その下で、烈山もまた、玲華の顔をじっとりとした目で見つめ返していた。

「皇后陛下……。私の剣技、とくとご覧あれ」

 見せつけているのだ。

 皇帝の女を抱いているという優越感を。そして、高貴な皇后を「ただの観客」に貶めているという背徳感を。

(早く、終わって……)

 玲華は膝の上で拳を握りしめ、爪が食い込む痛みで、辛うじて正気を保ち続けていた。

 もし目を閉じれば、皇帝の折檻が飛んでくる。彼女はただの録画機器のように、この地獄をレンズ越しに見つめることしか許されなかった。

 †

 翌朝。

 けだるい空気が漂う庭園で、美蓮は皇帝の肩に甘えるように寄り添っていた。

「陛下ぁ……私、怖いのです」

「どうした、我が愛しき花よ」

「実は……皇后様が、オウ大臣と密通しているという噂を聞きまして」

 王大臣。先代から仕える老臣であり、美蓮の浪費癖や不貞を厳しく諌めていた数少ない良識派だ。美蓮が何度色仕掛けで籠絡しようとしても、全くなびかなかった堅物でもある。

「何だと? あの堅物と、氷の女が?」

「ええ。お二人で陛下の悪口を言い合い、魔力を独占しようと企んでいるとか……。私、陛下のお命が心配で」

 美蓮の嘘泣きに、皇帝の顔色が変わる。

 だが、即断はしなかった。

「王大臣はともかく、皇后を処刑するのは惜しい。あれがいなくなれば、余の結界も、将軍の剛力も維持できぬ」

「ご安心くださいませ。調べによりますと、皇后の魔力の源は、あの女の生まれ故郷にあるとか」

「ほう?」

 美蓮は妖艶な笑みを深めた。

 もちろん、出まかせだ。玲華の魔力は、彼女自身が『天界』と直接繋がっている特異体質によるもの。故郷の村に漂う魔力など、彼女が幼少期に暮らしていた頃の残り香に過ぎない。

 だが、そんな魔術のことわりなど分からぬ皇帝は、美蓮の甘い毒に簡単に侵される。

「ならば、あの村を直轄領として、そこから魔力を吸い上げればよいのです。生意気な皇后など不要になりますわ」

「なるほど……! 名案だ。あの冷たい女の顔には飽き飽きしていたところだ」

 皇帝の目から、玲華への未練が消えた。残ったのは、残虐な好奇心だけだ。

「では、どう始末してくれようか。ただ殺すのでは面白くない」

「でしたら陛下。皇后と王大臣に、『不義密通の恥辱刑』を与えましょう」

 美蓮は扇子で口元を隠し、クスクスと笑いながら提案した。

「皇后の位を剥奪し、身に纏う美しい衣を全て剥ぎ取るのです。そして、淫乱な売女に相応しいボロ布一枚を着せ、王都の大通りを歩かせましょう」

「民衆の前でか。よい見世物だ」

「ええ。石を投げられ、泥にまみれさせた後……そのまま『龍の顎あぎと』へ追放するのです」

 『龍の顎』。

 帝国の北方に広がる、凶悪な魔獣が跋扈ばっこする死の荒野だ。魔力を持たぬ状態で放り出されれば、一時間と生きてはいられない。

「素晴らしい! 帝国の恥を晒した後は、魔獣の餌か。実にあの女にお似合いの末路だ!」

 皇帝の高笑いが響く。

 自分の命綱を、自ら断ち切ろうとしていることにも気づかずに。

 運命の歯車が、最悪の形で回り始めようとしていた。

(続く)

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