第2話 白川鍼灸治療院

 折原詩織(おりはらしおり)は、小さな民家を改装しただけの鍼灸治療院の前で、中に入ろうかどうか迷っていた。


 古いガラス引き戸には、「白川鍼灸治療院」と書かれた小さなプレートが貼られているが、全体的にどこか見窄(みすぼ)らしい印象は拭えない。


 そして詩織の脳裏には、会社の同僚である雨森真理子(あめもりまりこ)との会話がよみがえってくる。


「その鍼灸治療院は、ちょっと普通とは違うんだって。

鍼治療じゃなくて、鍼供養をお願いしますって言うと、身体に溜まっていた悪い気を抜いて、その気を供養してくれるらしいの。

すると、身体が軽くなって、いろんな不調がなくなるんだって。

それで、そのあと先生に話を聞いてもらうと、気持ちも軽くなるって言ってたよ」


 真理子の言葉に、詩織は苦笑いを浮かべながら首を振った。


「ごめん。言ってる意味が全然分かんないよ。

針供養って、針を豆腐に刺してねぎらう行事のこと?」


 すると、真理子も首を振りながら唇を尖らせる。


「違う違う。

裁縫の針じゃあなくて、鍼灸の鍼って書いて鍼供養なの」


「ああ…」と納得した詩織は、次に浮かんだ疑問を真理子にぶつけてみた。


「それに、悪い気を供養するってどういうことよ?

お経でも唱えるの?

しかも、先生に話を聞いてもらうと気持ちが軽くなるって、明らかに新興宗教か何かのたぐいでしょう?

凄く怪しいんですけど…」


 詩織が眉をひそめながら抗議すると、真理子は無い胸を張って自信満々で答えてくれる。


「私も、詳しいことは知らないけど大丈夫だと思う。

だって、うちの親戚で神社の宮司やってる叔父さんが、珍しく手放しで褒めてたんだよ。

それに、いくら新興宗教が信徒を増やすのに必死だからって、神社の宮司を勧誘するバカはいないでしょう?

あの気難しい叔父さんが、あれは本物だって太鼓判を押してたのよ。

アンタ、ここんとこ顔色も悪いし、この一ヶ月でげっそりと痩せちゃって、みんな心配してるんだから、明日、有給とって行ってきなよ」


 女の子は霊的な話が大好きだ。

それなのに、そんな話を真に受けてノコノコとやって来たのには理由がある。


 私自身、心に大きな問題を抱えていると自覚しているからだ。

 そして、この問題は決して会社の人間に知られてはならない。


 そう決心してやって来たのに、外見が余りにもみすぼらしいから、中に入るのを躊躇っているのだ。


 その時、目の前の引戸がガラガラと開いて、若い男が顔を覗かせた。


「何かご用ですか?

ここの扉、古いガラス引戸だから外に人が立ってると丸見えなんだよね」


 濃紺の作務衣を身にまとい、頭に豆絞りの手拭いを巻いた男が、爽やかな笑顔を向けてきた。


 男は、ガテン系の装いなのに端正な顔立ちをしている。


 詩織は勇気を振り絞って、「白川先生はいらっしゃいますか?」と聞いてみた。


 すると、男が自分を指差して、「僕だけど」と答えたので驚いた。


 いくら何でも若過ぎる。


どう見ても、二十六歳の自分と同年代にしか見えない。

鍼灸治療の先生なら若いイケメンより、ヨボヨボのお爺ちゃんが良いに決まってる。


 詩織が躊躇っていると、それを見透かしたように、「若いけど、腕は確かだから安心して」と、言いながら中に招き入れてくれる。


 玄関でスリッパに履き替えると、中はフラットな板間に改装されていて、カーテンで仕切られた次の間に、一台だけ治療用のベッドが置かれていた。


「どうぞ」と言った男が、詩織をベッドに座らせようとしたので、言い忘れていた事を慌てて口にする。


「あの、今日は鍼治療ではなく鍼供養をお願いしたいんです…」


 詩織の要望に、初めて笑顔を消した男が眉をひそめた?


 そして、探る様な目で「鍼供養のことはどこで聞いたの?」と聞かれたので、軽々しく口にしたことを後悔しながらも正直に答える。


「同僚の叔父さんが神社の宮司をされていて、その方が、先生のことを凄く褒めていたそうなんです。

だから、私も鍼供養を受けてみようと思って…

予約しようと思ったんですが、電話番号が分からなくて、ネットで調べても見つからないから、住所を教えてもらって来たんです。

突然押し掛けてすいません」


 しかし、詩織の言葉をあらかた無視した男が、「宮司って言うと雨森の爺さんか、意外とお喋りだな…」と呟いている。


「じゃあ、鍼供養の詳しい内容は聞いてないの?」と聞かれたので素直に頷くと、詩織をベッドに座らせてから、自分も丸椅子を置いて腰かけた。


「僕の名前は白川時雨(しらかわしぐれ)。

一ヶ月前に、ここで鍼灸治療院を開業したばかりなんだ」と自己紹介すると、「長くなるけど…」と前置きしてから喋り始める。


「この世界は、全てが陰と陽で出来ている。

影と光、夜と朝、悪と善、雨と晴れのように…

これは、人間の体内を流れる気も同じなんだよ。

体内には、陽にあたる聖気と陰にあたる邪気があって、どちらも人間には必要なんだ。

だけど、毒気である邪気が増え過ぎると、薬気である聖気を駆逐して魂が病んでしまう。

すると、身体にも悪い影響が出てしまうんだ」


 そこで詩織が口を挟んだ。


「どうして邪気が増えるんですか?」


 すると、良い質問だとばかりに白川先生の表情がほころぶ。


「怒りや苦しみ、不安や悲しみなどの陰の感情から邪気は生まれてくるんだ。

逆に、笑いや楽しさ、安心や喜びなど陽の感情からは聖気が生まれるんだよ」


 詩織が頷くのを確認してから、白川先生が話を続ける。


「僕の治療は、患者の増えすぎた邪気を体外に放出して、体内のバランスを整えることなんだ」


 詩織は感心したように頷いてから、一番怪しいと思っていたことを聞いてみる。


「放出した邪気を供養するって聞いたんですけど…」と訊ねると、今度は白川先生がゆっくりと頷いた。


「体外に放出した邪気は自然には消えない。

放置すると、その場に留まって穢れになってしまう。

僕達は、邪気のことを雨(あめ)と呼んでいるんだけど、抜いた雨は自然には消えないから、普通は焼き祓ってしまうんだ。

でも、僕は体内に取り込んでから浄化させるという方法をとっている。

僕が、それを供養すると表現しているから、患者さんが勝手に鍼供養と呼び始めたんだよ。

でも、雨を焼き祓う治療には、雨祓い(あめばらい)という正式な名前が付けられているんだ」


 それを聞いた詩織は、他人の邪気を取り込む白川先生の身体が心配になった。


「他人の邪気を体内に取り込んでも平気なんですか?」


 すると、白川先生は寂しげに笑った。


「独自の治療方法だから、長期的にみて安全かどうかは分からない。

でも、患者さんにとっては理想的な治療方法だと思っている。

だから、ある程度のリスクは覚悟しているんだよ」


 白川先生は、大きなため息と共に話を続けた。


「そこで鍼供養の前に、君には三点ばかり確認しておきたいことが有るんだ」


 君と呼ばれたことで、自己紹介を忘れていたことに気づいた詩織は、「私、折原詩織といいます」と頭を下げながら早口で告げる。


 それを聞いた白川先生は笑顔を浮かべながら、「よろしく」と言って話を続けた。


「まず、鍼供養は通常の鍼灸治療よりも高額なんだ。

二万円だけど大丈夫かい?」


 こう言われて、あまりに高額な治療費に驚いたが、今更、やめるとも言えない。


「はい。大丈夫です」と頷いた。


「次に、さっきも説明した通り、僕が折原さんの邪気を体内に取り込むと、負の感情が紡いだ邪気によって、様々な情報が僕にもたらされてしまう。

絶対に他言しないと誓うけど、僕自身は折原さんの秘密を知ってしまうことになる。それでも大丈夫かい?」


「えっ」と、一瞬は躊躇ったものの、詩織にとって秘密を知られる羞恥心よりも、既に、この治療に対する好奇心の方が優っている。


 それに、白川先生と今後も付き合いが続くとは思えないので、恐れることはないと思い直して、「はい!」と大きく頷いた。


「じゃあ、最後にもう一つ。鍼供養は、雨が健康を阻害するほど大量でないと施せない。

だから、折原さんの雨量を測らせて欲しいんだ」


 この言葉に詩織が頷くと、白川先生が立ち上がって、詩織の背中に手を当ててから、「思ったよりも危険な状態だな…」と呟いたのだ。

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2026年1月2日 20:00
2026年1月3日 20:00
2026年1月4日 20:00

霊枢治療師白川時雨「雨祓い」 井野匠(いのたくみ) @inotakumi

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