あのお屋敷で待ってる
umi
第1話 扉をあけて
1・『扉をあけて』
私は何をやっても引っ込み思案で、人の背中が眩しくて遠ざけてばかり。
1番自分を信じられないのは自分だった。
だって、なんだか人と違うもの。
いつも人よりすぐ感情的になって、泣きたい気持ちになって自分でも持て余してしまう。
――そのお屋敷の扉を叩いたきっかけは深夜にやっていたテレビだった。
なんていう名前のお店か、もう覚えていない。
「この仕事を誇りを持って続けたい」
「ここに住みたいくらい大好き」
そう言ってキラキラ嬉しそうな笑顔をこぼす1人の少女。
その子の職業はメイド喫茶のメイドさんだった。
私は翌日、本屋さんに駆け込んでメイド喫茶ガイドブックなるものを買い込んだ。
まるでおとぎの国の絵本みたいに素敵で私は一気に魅入られた。
温かい空間で「おかえりなさいませ」と迎えてくれる優しいメイドさん。
ささやかでも愛情たっぷりの手料理や飲み物。
いつもご帰宅してくださる旦那様、お嬢様――お客さんのことはこう呼ぶらしい――との日々の何気ない会話。
それはまるでサードプレイス。
いつもの日常と切り離して、誰でもない自分になれる心づくしの空間。
――メイド喫茶。
色んなタイプのお店があるみたいだけど、私には癒し空間なクラシカルメイドがいい。
これだ!って私は雷に打たれたみたいに震えた。
そして何かに弾かれたように電話をかけた。
2・『最初の一杯を』
チリンチリン、とドアベルが聞こえて私は振り向く。
いつもご帰宅くださる常連さまのお顔がひょこっと覗く。
「おかえりなさいませ、旦那さま」
私はカーテシーと呼ばれる足を後ろに引くお辞儀をして出迎えた。
優しく優しく微笑みかけたくて、鏡に向かっていっぱい練習した笑顔で。
木の温もり溢れる小さな喫茶店。
女の子達の手作りの装飾が凝らされた可愛らしい店内。
私はミモレ丈の紺色のワンピースにフリルをあしらった真っ白なエプロンを締め、
頭にはホワイトブリムと呼ばれる、いわゆるメイドカチューシャをつけている。
どこから見ても正統派のメイドさん。
夢にまで見たメイド喫茶のメイドになれたんだ。
入店したら本名ではなくメイド名を名乗る。
私は名前をつけるのは苦手だけど何にしようか考えた。
色々考えたけどいちばん最初にピンと閃いた名前にした。
最初の直感っていつも当たる気がするの。
私が3月生まれということもあるけど、
可愛くてぽかぽかした日差しが差し込むようなそんな名前。
「お待たせいたしました。本日の紅茶をお持ちしました」
私は旦那さまのテーブルに白磁のティーカップをセットする。
「最初の一杯をお注ぎしてよろしいでしょうか」
私がそう告げると「お願いします」と優しい声が返ってきて
私はその笑顔に見守られながら紅茶を注ぐ。
紅茶をお注ぎするこの瞬間が、このお仕事で1番好きなんだ。
このほんの一瞬のあいだ。
なのに、
ここで何かお話したいのに言葉が出てこない。
なんて言えばいい?
この紅茶についての説明?
今日のお天気について?
お仕事帰りか聞く?
でもお休みの日かもしれないよね。
好きなアニメとかありますか?……ううん、オタクがみんなアニメ好きとは限らないのよ。
考えているうちに注ぎ終わってしまった。
「……どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
旦那さまの少し名残惜しそうな笑顔。
私はぴょこんとお辞儀をするとトレンチにポットを乗せて去っていく。
「こちら、お願いします」
キッチンにポットを返すと先輩メイドさんが受け取りながらこう言った。
「うん――そうね。だいぶ仕事には慣れてきたみたいだし、もう少し旦那さま方とお話できるといいわね」
「何を話していいか思いつかなくて……」
「それも自分で考えなくちゃ。もっと旦那さまに興味を持ってみて」
先輩は優しく励ましてくれるけど、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
メイドさんになりたいと思ったのは
ひとりひとりに心を込めた会話やおもてなしができると思ったからだ。
普通の飲食店ではできないような
雑談や趣味の話、少し込み入った話なんかも聞いてあげられるかもしれない。
元気のない時にこそ、メイドとのおしゃべりやお茶や手料理に癒されてほしい、
そういうお手伝いがしたいと思ったから。
なのに。
何を話そう、何がしてあげられるだろうと
考えれば考えるほど頭の中がぐるぐる回るばかりで言葉が出てこないの。
憧れのメイド――これも私には向いてないのかな。
私は誰にも見えないようにため息をついた。
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