閉店五分前

増田朋美

閉店五分前

冬真っ盛り、かぜが吹いて寒い日であった。こんなときでも、お客様のもとに商品を届けるのが配達業である。そして、配達された品物を受け取る、消費者の中には、いろんな人がいて、中には不思議な階級の人もきっといる。

その日、いつも通りに、牛乳配達のおじさんが製鉄所へ利用者の人数分の瓶牛乳を持ってやってきてくれたのだが、どうも顔つきがおかしいのである。

「こんにちは、あさぎり牛乳です。本日は、6本でよろしかったですねえ。」

そういつもと変わらない挨拶をしてくれるおじさんであったが、なにか悩んでいるような感じの表情であった。

「うん、6本で大丈夫だが、そんなに暗い顔して一体どうしたんだ?なにかあったんかな?」

杉ちゃんのそう言われて、配達員のおじさんは、大きなため息をついた。

「杉ちゃんに言われたらかなわないな。実はねえ、うちの店に、毎晩毎晩、店の閉店時刻ギリギリに、幽霊が出るようになったんだよ。髪をボサボサにして、白いワンピースを着た女でさあ。毎回、牛乳一瓶くださいって言って、一応牛乳一本の値段である、480円を払っていってくれるんだけど、どうも顔や髪型から幽霊にように見えてしまう、、、。」

「はあ、いわゆる子育て幽霊か。確かに、浜松あたりで有名な僧侶が、そういう育てられ方をしていたときいたのだが。確か、それをパロディ化した、商品も売っていると聞いたことある。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、湖西市にあります、本興寺というお寺の住職が、そういう伝説があったと聞いています。しかし、そういうことが現実にあるのでしょうか?」

ジョチさんは疑い深そうに言った。

「いやあ、確かにあるんですよ。だって毎晩店に来るんだもん。一応ね、うちの牛乳は480円となっているのですけど、お釣りも貰わないで帰っていくんだよ。」

そういう牛乳屋さんに、杉ちゃんたちは顔を見合わせた。

「それじゃあ、7日目には、なにか大事なものを持ってくるかな?伝説ではそうなっている。それで、幽霊の所在地が判明する。」

「はい。そうですね。伝説では、なくなった女性の手に持たせた、三途の川渡し代として持っていたお金がなくなった事になっています。もし、そういうことであれば、7日目にその女性の後を追ってみるなりしてみたらどうでしょう?」

杉ちゃんとジョチさんは、そういったのであるが、

「そんなあ、おっかなくてそんなことできるかな。本当に幽霊かもしれないし。」

怖がりな牛乳屋さんは、そういうのだった。

「そうですか。それなら、僕らが行ってみることにするか。困ってるんだったら、誰かがなんとかしなければ行けないだろうからねえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「怖くないのかい、杉ちゃん。」

と、牛乳屋さんは言った。

「だって、もしかしたら不審者だったということもあるだろう?それならまた変わってくることもあるよ。とりあえず、行ってみるよ。」

ジョチさんも、杉ちゃんの言う通りにしたほうが良いと思ったのか、一緒に行くと行った。二人は、牛乳屋さんのある静岡の富士宮市へタクシーで向かったのだった。

そうして、牛乳屋さんが閉店時刻5分前、もう山間部なので訪れる客もないと思われたその時である。一人の女性がどこからともなく現れて、牛乳屋さんの入口をくぐったのである。

「あの、すみません。牛乳一瓶くださいませんか。代金はこちらにございます。」

確かに、ざんばら髪で白いワンピースを着た女性であることは間違いない。

「いや、大丈夫だ。幽霊なら着物のはずだし足がない。でも、ちゃんと歩いてきているし、着物でもないじゃないかよ。お前さんは、幽霊ではないな。」

怖いもの知らずの杉ちゃんは、すぐでかい声でそういったのであるが、牛乳屋さんはおっかなびっくり、女性に、牛乳を差し出した。女性は、一つ500円玉を、牛乳屋さんに差し出す。すぐにその女性は牛乳瓶を受け取って、帰ろうとするのであるが、

「お前さんちょっと待て、今お釣りをやるから、そこで待ってろ。」

杉ちゃんが、そう言うが、女性はすぐに店を出ようとした。しかし、店の入口で構えていたジョチさんが、

「一体あなたはどういう経緯で、この店に来たんですかね。その経緯を話してもらえないでしょうか。僕らは、決して警察でもなんでもございません。ただ、あなたがなぜ、毎日この店で、牛乳を一瓶買いに来るのか、店の方はどうしても知りたいそうです。」

と言ったため、彼女はこう話し始めたのである。

「私は、幽霊ではございません。哀れな人間です。」

「はあ、じゃあ、お前さんの名前はなんていうんだ?」

杉ちゃんがすぐそうきくと、

「鈴木と申します。鈴木時雨、ときに雨と書いて時雨。富士宮市内に住んでいます。」

と、彼女は答えた。

「はあ、随分きれいな名前やな。それで、なんでこの店に毎日牛乳をそんなザンバラ髪で買いに来るんだよ?」

杉ちゃんに言われて、彼女は恥ずかしそうに答えた。

「ええ。あたしはそうかも知れないけれど、うちの子はそうじゃありません。どこの業者でも連れてくるなとか、そういうことを言われます。だから私が、一人でなんとかするしかありません。だから、こうして人にも会えずに、牛乳を買ってくるしか方法がないのです。」

「はあ、ということは、チェンジリングみたいなそういうものか?まあ、確かに、そういう子もいるけどさ、僕みたいに、かっこ悪くても、のんびり生きてるやつもいるよ?」

杉ちゃんは、すぐ彼女の話を否定したが、

「それだったら良いのかもしれないけれど、うちの子は、容姿が普通の赤ちゃんと違うので、みんな怖がって逃げてしまうのですよ。それでは、誰も、なんとかしようとはしてくれませんから、あたしがなんとかするしかないんですよ。」

と、彼女は強く言った。

「はあはあはあ、なるほどね。つまり、容姿が違うってことは、ダウン症みたいなそういうのかな。まあなあ、お前さんが、余裕がなくてもだな、そういう子供さんは、一人ぼっちでは無理だと思うから、どっかの子育てサークルでも行ってさ、仲間を探すことが重要だと思うんだ。たとえ、容姿が醜くても、受け入れてくれるところは必ずあると思うよ。」

杉ちゃんがでかい声でそういったのであるが、

「でも、一生の顔見たら、みんな逃げてしまいますよ。だからもう誰も信じられないです。」

と時雨さんは言うのであった。

「うーんそうだねえ。だけど、なんとかっていう、書道家の人も、ダウン症って言うからねえ。そういうわけだから、ダウン症だからと言って、悪いものかと決めつけるのはどうかと思うぞ。」

杉ちゃんが腕組みをしてそう言うと、

「そういうことなら、僕らがお手伝いしてもいいですよ。そういう奇形を持っていて、気持ちが悪いというのは、やはり言われる側が悪いわけではなく、言う方がおかしいのですから。そういうことなら、幽霊のような生活はしないで、堂々としていればいいと思いますよ。」

ジョチさんもそういった。

「一生くんだっけ?それなら、本人に合わせてもらえないかな?僕らは何も悪いことは言わないから。それなら、良いだろう?」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですよ。そういう事情を抱えているんだったら、早く専門の病院に行ったほうが良いのかもしれないし、誰か理解してくれる人を見つけることも必要ですよ。たった一人で子供さんを育てようだなんて、そんなの無茶しすぎです。それよりも、ちゃんと、医療的なケアをしてやることが大事なんじゃないですかね?」

牛乳屋さんのおじさんが、幽霊ではないと聞いて安心したのかそういうことを言った。杉ちゃんたちも、そうしたほうが良いと彼女に言った。

「それに、そういう奇妙キテレツな容姿をしているんだったら、ダウン症だけではなく、他のトリソミーを発症している可能性もありますからねえ。」

ジョチさんがそう言うと、時雨さんは、そうですねとがっくりと肩を落とした。

「そういうことだから、今からその一生くんに会わせてくれ。こういうことは、早くなんとかしたほうが良い。とにかく行ってみよう。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんはタクシー会社に電話した。田舎なので、タクシーはすぐ来てくれることになった。とりあえず、彼女が示してくれる道順でタクシーを走らせて、道路を走っていくと、そこは一見すると、特に変わったことのないアパートであった。時雨さんに鍵を開けてもらって、杉ちゃんたちは、中へ入らせてもらった。特に、生活に困っているような女性の部屋とは見えず、家具もちゃんと片付いている。しかし、寝室の中に一台のベビーベッドがあって、そこに小さな赤ちゃんが、仰向けに寝かされていたのであるが、、、。

「ああわかりました。この顔でわかります。おそらくですけど、21番トリソミーですね。そういうことでしたら、お医者さんを紹介しておきますから、そこでちゃんと診断を受けて、障害者認定とか、そういうものを受けたほうが良い。」

と、ジョチさんは、そう言った。

「そうしなければなりませんか?」

時雨さんは言うのである。

「そうしなければならないって、あなた、息子さんは医療的なケアが必要ですよ。それを放置したら、息子さんのほうが、つらい思いをするのではないでしょうか?」

ジョチさんは、もう一度言ったのであるが、

「でも、あたしはそういうことしたくないんです。」

時雨さんはそういうのであった。

「なんで?」

杉ちゃんがでかい声でそう言うが、

「だって、、、。」

時雨さんはそういうのである。

「だってじゃないだろ。いくら容姿が悪かろうが、心臓とかに奇形がある場合もあるし、知的障害何かがある場合もあるだろうが。そういうことなら、早くなんとかしたほうが良いよ。」

杉ちゃんは、変な顔して、そう彼女に言ったのであるが、

「それに、こういうトリソミーと呼ばれる疾患はですね。明らかに容姿に出ている患者さんのほうが重症度が高いんです。だから、こういうふうに明らかに顔に出ている子供さんの場合、速やかな医療ケアが必要になると思います。あなたも、トリソミーの知識的なことを学ぶためにサークルとか、勉強会に参加してみたらどうでしょう?」

ジョチさんも、すぐに言った。

「そうですね、でも、そう言うところに来る人達は、身分の高い人ばかりで、あたしのような人間には何も教えてくれませんでした。医療関係者の人も同じです。この子の容姿が、こんなに気持ち悪いとわかると、みんな嫌がって逃げていきます。他の病院へ行けとか、もっといい医者がいるとか、そういうことで逃げていくんです。だからあたしは、そういう人たちとは、お付き合いできないなと思ったんです。」

時雨さんは、そう小さな声で言った。

「それに、そういうサークルとかに来る人達は、みんなご主人の理解もあって、親御さんもいてくれて、ちゃんと安定した収入があるから、それで子供さんに真剣に向き合えるんですよ。あたしのような、身分の低い人は、取り合ってくれません。だから、一生を連れて行きたくないんです。」

「はあ、そうか。そういうことならねえ。僕みたいに、足が悪くて、決してきれいな顔つきでなくても生きていけますから大丈夫。一人で子供さんを育てるなんて、無理なことです。だから、誰か援助者を見つけてくれよな!」

杉ちゃんが選挙演説する人みたいに、そういって、ジョチさんに目配せすると、

「もし、必要であれば、医療従事者を紹介しましょうか?容姿に自信がないのであれば、容姿に自身がない先生を連れてくるのも、一つの手だと思いますけど、、、。」

とジョチさんは言った。

「それでは誰か私のことを解決してくれる人がいるんですか?」

時雨さんがそう言うと、

「解決ではないかもしれませんが、少なくとも悩んでいることを聞いてくれることはすると思います。」

ジョチさんはそういった。そして、持っていたカバンの中からスマートフォンを出してこう話し始める。

「あ、柳沢先生ですか?どうしても医療的ケアが必要な赤ちゃんがおりますが、その母親がトラウマがあるみたいで行こうとしないのです。僕達みたいな素人では説得できないので、なんとか手伝ってくれませんかね?え?ああ、そうですか。住所は、富士宮市です。僕の位置情報をスクリーンショットして送りますから、そこへ来ていただけないでしょうか?」

時雨さんは、また期待のできないひとに話すのかという感じの顔であったが、

「大丈夫だ。今度の先生はお前さんでも笑っちゃうような顔してるから、きっと言う事聞いてくれるよ。」

と、杉ちゃんがにこやかに言ったのであった。

「しばらく待っててくれれば来るそうです。もう少しお待ち下さい。」

ジョチさんは電話を切ってそういった。

「いくら医者でも、カウンセリングの先生でも、みんな一生の顔を見ると、気持ち悪いとか嫌だとか、そういうこといいますからね。だからもう偉い人なんで信用しません。」

時雨さんはそう言っているのであるが、その時、インターフォンがなった。

「こんばんは、柳沢です。鈴木時雨さんと、鈴木一生くんという子供さんはこちらでしょうか?私、漢方医の柳沢裕美と申しますが。」

「あ、来たな。おう、入れ入れ。」

杉ちゃんがそう言うと、柳沢先生は、がちゃんと玄関ドアを開けて、部屋に入ってきた。それを見た、時雨さんも思わず笑いだしてしまうのである。正絹の着物を着て、医療従事者らしく白い被布コートを着ているのであるが、まるでどっかのTVアニメに出てくる、貧乏神のような顔をしているからだった。

「ほら、こういう面白い人間がいるじゃないか。顔だけで判断しては本当はいけないんだよ。」

杉ちゃんがそう時雨さんに言うが、柳沢先生は、患者である小さな赤ちゃんをしげしげと見た。もし、もっと物心ついていて知能が高い子であれば、貧乏神が出たとか、そういうことを言ってしまうかもしれなかった。でも、一生くんは、そんな老人にもにこやかに笑っているのであった。

「大変ですね。おそらく、21番トリソミーでしょうね。多分きっと、心臓や知能などに影響が出ると思いますから、早めに精密検査を受けるなりしたほうがいいでしょう。こういうものは防ぎようがないので、受け入れることが大事です。もし、必要がありましたら、なにか相談機関を紹介してもいいですよ。」

今日は柳沢先生、なかなか雄弁である。

「それはよく言われているんですけど、みんなこの子の顔を見ると気持ち悪いとか言って逃げてしまうじゃないですか!だから医療とか、そういうひとなんかは嫌なんです。なんで私ばかり、そうやって爪弾きにされてしまうのでしょうかね!」

そういう柳沢先生に、時雨さんは頭からぶつかった。でもそのとおりにしなければならないとジョチさんが言うと、

「止めるな止めるな、こんなとき、時雨さんに言わせろ言わせろ!」

と、杉ちゃんが言ったため、時雨さんは更に続ける。

「この子のこの顔のせいで、何人ものお医者さんや、福祉関係の方々に、追い出されてしまったでしょうか!みんな、こんな気もち悪い顔をしていることには手を出したくないんですよ!そのせいであたしは、障害のある子供さんのサークルにも行けないし、支援してくれる施設にも行けないし。だけど、この子は私の子ですから、生かしてあげなきゃいけない。だからもう誰も信用できないんです。偉い人も、福祉関係のひとも、みんなみんな!」

「そうですね、そういうことなら、偏見のない医者を探すんですな。諦めてはいけませんよ。頑張って、一生くんの治療に当たってくれる医者や、相談者を見つけてください。そうするしかないと思います。一生くんが、医療ケアを必要としているのもまた事実ですから。少なくとも、牛乳屋さんが閉店する五分前に、牛乳を買いに来るという、子育て幽霊のような真似はしないほうがいいですよ。」

時雨さんがそういったためジョチさんはそう彼女に言った。彼女は結局のところそれしかないのかという顔をして、ワッと泣き出してしまった。もう、何も頼るところなどないと言うような顔で。

「こういうときはなあ、結論から言っちまえば、お前さんが強くなるしかないんだ。お前さんが、お医者さんに追い出されても、次があるって考え直するしかないんだ。それがすべてだよ。だから頭を空っぽにしちまえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「確かにそうですが、それができない民族もいます。日本では少ないかもしれないですが、特定の民族であるから医療機関に出会えないという民族はたくさんおります。そういう人たちもいますから、まだご自身は恵まれているなと考え直したらどうでしょう?」

柳沢先生は、そう時雨さんに言った。

「日本は、すべての人が医療を受けられるように一応なってますよね。でも、海外では、そうじゃない民族もたくさんいるんですよね。そして、医療を受けられないで、死んでいくしかない民族もたくさんいるんですよ。ほんの一握りのひとしか医療に出会えず、大多数は放置されっぱなしという国家だってあるんです。幸いの所、日本はそうはなっていません。だから、だめでも次があると考えましょう。そして、何としてでも、一生くんを医療に結びつけましょう。」

「ホントだホントだ。誰でも医療を受けられる国家はそうはない。だから貴重なものだと思わなくちゃ。」

杉ちゃんが腕組みをしてそう言うと、時雨さんはずっと泣いていた。杉ちゃんたちは、彼女が落ち着くまで待ってあげた。同時に、ふえんふえんと赤ん坊のなく声が聞こえてきた。

「お前さんミルクでも欲しいのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、時雨さんは、はっと気がついたようだ。そして、すぐに台所に行って、ミルクを作り始めた。なんだか、ロボットみたいにぎこちなかったけれど、でもそういうことをちゃんとやれるということは、まだ、お母さんとしての自覚はあるんだなと杉ちゃんもジョチさんも確信したのであった。そして、哺乳瓶にたっぷり注いだミルクを飲ませている彼女を、杉ちゃんたちはじっと眺めていた。




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閉店五分前 増田朋美 @masubuchi4996

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