第5話 残響の反乱

 雪の秩序に溶け込んだはずの世界に、微かな亀裂が走った。

 それは「人間の残滓」──つまり、雪に取り込まれきれなかった断片から始まった。


 彼らは完全に雪になりきれず、体の一部に温度を残していた。

 指先だけが赤く燃えている者、

 口の中に言葉の欠片を宿した者、

 涙腺だけが氷解せず、永遠に濡れている者。


 雪の秩序はすべてを「降り積もること」に統一するはずだった。

 だが彼らの断片は、降り積もるのを拒み、逆に溶け出そうとした。


 やがて矛盾は形を持つ。


 ひとりの残滓が、雪の口からこう叫んだ。

「私たちはまだ、死んでいない!」


 その声は雪の結晶を震わせ、

 降り積もるはずの雪を一瞬だけ宙に留めた。

 秩序がほんの僅かに遅延したのだ。


 すると、他の残滓も次々に声を取り戻した。

「名を返せ」

「時間を返せ」

「痛みを返せ」


 彼らは秩序に反旗を翻した。

 雪の存在たち──声を持たない「新しき者」たちは戸惑い、

 初めて「抵抗」という概念を目撃した。


 雪の秩序は反乱を鎮めようとした。

 叫ぶ口を雪で塞ぎ、

 燃える指先を氷に沈め、

 涙を凍らせた。

 だが完全には抑えきれなかった。


 残滓は雪に取り込まれるたび、その内部で逆流を起こす。

「降り積もる」動詞が「融け去る」動詞に変質し、

 秩序そのものが二重化し始めた。


 雪原の上に、もうひとつの「融ける大地」が現れた。

 そこでは雪は積もらず、流れ続け、消え続ける。

 世界は二つの動詞──降り積もると融け去るの狭間で震え、

 秩序の根本が揺らぎ出した。


 私はその裂け目の中に立ち、理解した。

 雪の秩序が完全ではなかったこと。

 そして残滓の反乱が、新しい未来を孕んでいることを。

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