第15話 聖堂の汚泥、あるいは少女の落涙
早朝めざめると、女将さんが用意してくれた食事を手早く済ます。
フレイはまだ寝てるようだ…置いていこう。いや寝かせておいてあげよう。
闇市へと向かう道中、見覚えのあるブロンドが朝日に輝いていた。
イリスだ。しかし見事なブロンドだなぁ……そして今日もかわいい。
ぼくは早足でイリスに近づく。
「おはよう。イリスも冒険者ギルドに行くの? ぼくも闇市に仕事探しに行くんだけど一緒にいいかな?」
「好きにすれば? でも……それ以上近づかないでね。キモいし」
碧眼の美少女は容赦なく、ぼくの淡い希望を切り捨てる
「う、うん」
「あ…そうだ! 聞いたんだけどさ、イリスってマスタークラスの魔道士なんだってね。スゴいね」
純粋な称賛のつもりだった。
けれど、イリスの表情が絶望に近い怒りに染まった。
「それ……嫌味のつもり? 言いたいことあるなら言いなさいよ!!!」
「えっ?」
彼女の大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていく。彼女はそのまま、震える背中を見せて走り去ってしまった。
(……ぼく、何か地雷を踏んだんだろうか)
自問自答しながら闇市に一人で向かう……。
闇市に到着すると、さっそく仕事を斡旋する男の机の前に行く――。
「うん? お前は確か……フレイさまへの依頼を片付けた奴だな?」
こないだ斡旋してくれた男とは別の人だったが、どうやら長年にわたって残っていた依頼を片付けたので少し顔が知れたらしい。
「すみません。なにか仕事ありませんか?」
「そうだな………」
そう言ってまた羊皮紙に書かれたリストを何枚か見せてくれた……。
見てみると、前回同様やはり10~20ファナン、高いものでも30ファナンの仕事しかない。
それはそうだ。宿屋1日分80ファナン。
それを稼ぐとして日本円で8000円くらいだとすると、現代の日本でも1日のバイト代だ。
闇市にある仕事で割の良い仕事といえば、手を染めるしかないだろう。
ぼくはそれでも一応聞いてみる。なんでも聞いてみるってのは、この世界に来てからとても大切なことだと学んだから。
「すみません…もっと割の良い仕事ありませんか? できれば1日で100ファナンくらい稼ぎたいんです」
「そんな金額ここじゃ無理だぜ。駆け出しのお前に頼めることは極めて少ないからな……」
男は少し考え込んだ。
「……いや…ちょっと待て。汲み取り屋の手伝いならあったはず」
そう言って店裏に消えた……。
5分ほど待っていると、男が羊皮紙リストを持って現れた。
「待たせたな」
「これが汲み取り屋の手伝いの仕事だ。1日で120ファナン。やるか?」
ぼくは静かに頷く…遺体を処理したぼくにはある意味耐性ができていると思ってた。なんでもできると……。
「じゃあサン・メリエ修道院に行くとアラベスという男が仕事を始めようとしてるだろうから合流しな」
「そこで、この依頼書を見せれば直ぐに汲み取りの手伝いに来たということがわかる様になっている」
「サン・メリエ修道院は一際大きいイナンナ聖教会の聖堂横にある赤い屋根の建物だ」
そう言って男は白くて大きな教会を指さした。
ぼくはさっそく向かうことにした。
歩いて30分ほどして辿り着くと、隣に赤い屋根の建物が見えた。
歩いていくと、細身の50代の男が見えた。シャベルと大きなスコップ、長縄のついた木桶のバケツ。
そして横2m縦1mくらいの大きな桶を荷台にした手押し車を押しながら修道院に入ろうとしてる
「すみません。アラベスさんですか?」
そう言いながら近づいた途端に凄まじい悪臭に気がついた。間違いない。この男からだ…。
シャベルにもスコップにもバケツにも手押し車の桶にも茶色の付着物が見える。悪臭はここからも来てるのが分かった。
…それと同時に【汲み取り屋】の意味が何となく理解できた。
ぼくは依頼書を男に見せると、男は一言だけ「ついてこい」と言った。
修道院に入ると、男は手際よく命綱を修道院の柱にくくりつける。
そしてシャベルとスコップも体にくくりつけると、トイレの竪穴の中に消えていった……。
男の声が聞こえる。
「縄の端っこを持ってバケツ降ろしてくれ」
ぼくは言われた通りする……。
「もっと早くしろ! 終わんねえぞ!」
怒鳴られて慌ててバケツを降ろす。
しばらくすると、また男の声がする。
「バケツを引き上げて中身を手押し車の桶に入れろ」
結構な重さだ…20kg近いかもしれない……。
ぼくは力の限り引き上げる……。
引き上げると案の定、バケツには糞尿が満タン入っていた…。
…凄い悪臭だ。嘔吐(えず)きながら手押し車の桶に移す。
移すとまたバケツを降ろす。
けれど、作業に没頭するうちに、奇妙な感覚がぼくを支配した。
かつてニートだったぼくは、誰かが片付けた後の綺麗な世界で生きていただけだった。
でも今、ぼくはこの街の「汚れ」を、この手で、筋肉の痛みと共に取り除いている。
(これが……働くってことなんだ)
深さがある程度理解できたら仕事は早い。ぼくはスピーディーに作業をする―――。
手押し車の桶がいっぱいになるまで作業を続けると、アラベスが命綱を登って帰ってきた。
見ると半身まで汚物がついている。
凄まじい悪臭を放ちながらアラベスは言う。
「よし、じゃあ運ぶか」
「初めてだろ? なかなか手際がいい。お陰で早く仕事が終わったぜ」
町はずれまで手押し車を押していくと、アラベスは言う。
「中身を捨てるぞ」
そう言ってシャベルを渡す。
2人でシャベルと大きなスコップを使って草むらの中に糞尿を捨てていく。
どうやらここはアラベスが糞尿を捨てる場所らしい。
辺りは糞尿だらけだ……。
しかし不思議と、そんなに臭いはしない…おそらく微生物が分解するからだろう。
中身がすべて片付いた時にアラベスは言った。
「こっちだ」
しばらくついていくと小川があった……。
アラベスは服のまま小川に入って服と体を洗う。ぼくも見様見真似で服と体を洗う。
この世界に来てから服を洗えてなかった…丁度いい。
アラベスに洗剤を借りて念入りに服も下着も洗った。揉み洗いだ。
体も服も洗い終わると、依頼書にサインしてくれた。
「助かったぜ。修道院と聖教会の聖堂の汲み取りは2日に1回だ。明後日も来てくれるか?」
「そうだな…200ファナン出そう。闇市に依頼しない分上乗せするぜ」
ぼくは2日に1回200ファナンあれば食いっぱぐれない。そう思って快諾した。
報酬をもらいに闇市に向かうことには夕方になっていた。
冒険者ギルドの前を通ろうとすると、中からイリスが出てくるところだった。
うつむきながら…そして頬には光るものが見えた……。
「イリス! どうしたの?」
ぼくが声をかけると、頬の光るものを手で拭い取ると、また朝のように走り去った。
「イリス……いったいなにが」
あんなに強く、美しく、完璧に見えた彼女。
けれど、今、この街で一番惨めな仕事をしてきたはずのぼくよりも、彼女の背中はずっと脆く、壊れそうに見えた。
ぼくは、自分が洗いたての服から漂う「小川の匂い」を感じながら、彼女が消えていった闇の先を、いつまでも見つめていた―――――。
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