第3話 尊厳が壊れた夜

 

夜の帳(とばり)が下りるにつれ、街はぼくの知らない顔を見せ始めた。


華やかな石畳の表通りを外れ、建物の影が濃い路地へと迷い込む。


(お腹がすいた……。喉もカラカラだ……)


 グー、と腹が鳴る。元の世界なら、冷蔵庫を開ければ何かあった。


コンビニに行けば、温かい弁当が並んでいた。けれど、ここには「無料(タダ)」の救済なんてどこにもない。


 その時だった。


 視界が火花を散らし、ぼくの体は石畳の上に転がっていた。


「……ッ!? いだっ……」


「金出しな、デブ」


 見上げると、下卑た笑みを浮かべた二人組の男が立っていた。ぼくがマゴマゴしていると、容赦ない蹴りが脇腹にめり込んだ。


「ぐぼっ……あ、がはっ……!」


「助けてほしけりゃ、さっさと出せってんだよ!」


 顔面を踏みにじられ、鼻血が地面を汚す。必死で「持っていない」と叫んでも、返ってくるのはさらなる暴力だった。


「……チッ、なんだ、ただの『人形(転生者)』かよ。シケてんな」


 彼らにとってぼくは、痛覚を持つ一人の人間ですらなかった。ただの、金を持っていないゴミ。散々蹴り飛ばされ、ぼくの意識は再び深い闇へと沈んでいった。


 どれほど時間が経っただろうか。


ズキズキと疼く全身の痛みで目を覚ました。街の灯火は疎らになり、不気味な静寂が漂っている。


ふらふらと歩き出すと、路地の隅でボロ布を繋ぎ合わせたようなテントを張り、焚き火でシチューを煮込んでいる男がいた。


「あ……あの。何も食べてなくて……お金もないんですが、少しだけ……」


 ぼくの惨めな姿を見て、男は「ああ、いいぜ。食べな」と、ぶっきらぼうに皿を差し出した。


(ああ……まだ、優しい人はいるんだ。異世界だって、捨てたもんじゃない……)


 涙が出るほど温かくて美味いシチュー。それを飲み干し、礼を言って立ち去ろうとした瞬間、男の大きな手がぼくの肩を掴んだ。


「――じゃあ、次はオレの番だな」


 耳元で囁かれた不気味な声。抗う暇もなく、ぼくは地面に押し倒された。


暴力的に下着を剥ぎ取られ、言葉にするのもおぞましい行為が始まった。


「やめて……! やめてくれ! 嫌だっ……!」


 激痛。尊厳が、魂が、内側から破壊されていく感覚。


 この世界に「無償の優しさ」など存在しなかった。シチュー一杯の代償は、ぼくの体。男は満足するまで、何度も何度も、ぼくの中に欲望を叩き込んだ。


 白々と夜が明ける頃。


満足して眠りこける男の横で、ぼくは震えながら服を着直した。

 

よろめく足で、薄暗い路地へと歩き出す。


背中を見送りながら、男はぼそりと呟いた。


「この世界じゃ……弱い奴は食われる。それだけだ」


その言葉が届いたのかどうか、自分でもわからない。


ただ、一歩踏み出すたびに下半身へ鈍い痛みが走り、


「なんだよ……なんだよこれ……っ!!」


 叫び声は、掠れた嗚咽にしかならなかった。


元の世界では、ネットで誰かを叩いて悦に浸っていた。チートを使って「最強」を気取っていた。不自由な生活に文句を言っていた。


けれど、あの場所には警察があった。法があった。誰もが最低限守られていた。


 ここは違う。誰も、ぼくを助けてくれない。


 無能なぼくは、ただ踏みにじられるだけの肉塊だ。


「帰りたい……っ。お願いだ、帰らせてくれよ……っ!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ぼくは朝の街を彷徨い歩く。


異世界生活、たったの一日目。


 ぼくの誇りは粉々に砕け散り、ただ生き延びることへの、泥臭い執着だけが芽生えようとしていた。

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