異世界の底から歩き始める。

@TakamuraMikage

第1話 チートの終焉、あるいは等身大の転生


 

 気がつくと、ぼくは石畳の上に座り込んでいた。


 視界の端を、人の足が忙しなく行き交っている。誰も、ぼくのことなど見ていない。いや、正確には――見えていないのだと思う。


 立ち上がろうとして、膝に走った痛みに顔をしかめた。


 「あ……」


 声が、妙に現実味を帯びて響く。


 夢じゃない。


 そう理解した瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。


 周囲を見回すと、異様な光景が広がっていた。石造りの建物、剣を腰に下げた男、粗末な服の子ども。どこをどう見ても、現代日本じゃない。


 ――異世界転生。


 頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。


 正直に言えば、その瞬間、少しだけ期待した。


 ここでは、ぼくもやり直せるかもしれない。

 努力しなくても、評価される側に回れるかもしれない。


 そんな甘い考えが浮かんだ直後――


 道の向こうで、怒鳴り声が上がった。


 「おい! まだ終わってねぇだろ!」


 振り向くと、荷車を押す痩せた男が、屈強な兵士に蹴り飛ばされていた。男は転び、それでも必死に立ち上がろうとしている。


 周囲の人間は、誰も止めない。


 それが“普通”であるかのように。


 ぼくは、足を一歩踏み出しかけて――止まった。


 止まった理由は、簡単だ。


 怖かったからだ。


 助けられる気がしなかった。

 声を上げたところで、次に殴られるのは自分だと分かっていた。


 だから、何もしなかった。


 ただ、その光景から目を逸らすことも、できなかった。


 ――ああ。


 この世界は、優しくない。


――――――――――――。


苦い。辛い。そして、あまりに閉塞している。


ぼくの人生を一言で表すなら、そんな言葉がふさわしかった。


 山田真理生(やまだまりお)。


「真理に生きる」という願いを込めて両親がつけてくれたらしい。その高尚な願いとは裏腹に、ぼくの現実は汚泥の底にあった。


「クソ親が……っ! ふざけやがって! ふざけやがって!」


 自室の壁を蹴り、叫ぶ。その怒りは、何十年も前に終わったはずの過去に向けられていた。


力は弱く、頭も回らない。鏡に映るのは、不摂生で小太りになった、どこにでもいる「冴えない男」のなれの果て。


幼稚園の頃からスクールカーストの底辺だった。


 決定打は、小学校の給食だった。


クラスの中心、大西の放ったあの一言。「真理生(マリオ)はキノコが好きだろ? 名前なんだからよw」


クラス全員の椎茸を無理やり喉に詰め込まれたあの日、ぼくの心は死んだ。


それ以来、ぼくは学校という社会からドロップアウトし、十数年、この四畳半の王国に引きこもっている。


 居場所なんてどこにもない。……けれど、この画面の中だけは別だ。


「ヒャハハ! 死ね死ね死ね!」


 人気のオンラインゲーム、APEX。


ぼくの実力はゴールド程度だ。けれど、母親に泣きついて買ってもらった「高級チートツール」があれば、ぼくは神になれた。


有名なプロゲーマーも、数万人のファンを持つ配信者も、ぼくの前では等しく塵だ。


オートエイムの弾丸が、面白いように敵をなぎ倒していく。


「ぼくは最強なんだ……! ぼくに勝てる奴なんて、この世にいないんだ!」


 画面の中で他人の努力を踏みにじることでしか、自分の価値を証明できなかった。


 そして、その勝利が、何も残さないことを、 ぼくはどこかで分かっていた。


 でも、止められなかった。この時の、ぼくにはこれしかなかったから。


 ―――興奮で心臓が激しく波打つ。頭に血が上り、視界がチカチカと点滅する。


【ブチッ】


 突然、世界から音が消えた。 「……あれ?」  画面が白く塗りつぶされ、ぼくの意識は深い闇へと沈んでいった。


「……気がつきましたか?」


 透き通るような女性の声に、ぼくは目を覚ました。


そこは、真っ白な虚無の空間だった。


「ここ……は?」


「あなたは死にました。ゲーム中の興奮による脳卒中です」


 目の前に立つ美しい女性――女神イナンナは、同情の欠片もない冷徹なトーンで告げた。


「え、マジ!? ……じゃあ、これって転生!? よっしゃあ! 次はモテモテの超絶イケメンで頼むわ!」


「それは不可能です。ポイントが足りません」


 イナンナはきっぱりと断じた。


「はあ!? なんでだよ! ぼくは一生、いじめられてきたんだぞ!」


「ええ。そこまでは『同情ポイント』が加算されていました。そのまま平凡に寿命を全うしていれば、希望通りの転生も可能だったでしょう。……しかし、あなたは最後の最後で、チートを使いました」


 ぼくは絶句した。たかがゲームだろ?


「いいえ。努力せず、他人の楽しみを奪い、迷惑行為にふける。その魂の汚れが、あなたの徳をすべて食いつぶしたのです。自業自得ですよ、山田真理生」


 女神の冷ややかな視線が突き刺さる。


「現状のポイントで可能なのは、見た目も能力もそのままでの転生のみです」


「嫌だ! 絶対に嫌だ! あんな惨めなまま生きるなんてごめんだ! ……そうだ、異世界! 異世界ならいいだろ!? 魔法とか使える世界に送れよ!」


「……いいでしょう。元々の寿命より早く死んだ魂は、別の世界でその余生を埋める必要があります。ただし、チート能力もハーレムもありません。今のあなたのまま、続きを生きるだけです」


「いいよ! それでもいい! 異世界なら、ぼくもきっと無双できるし!」


 ぼくは歓喜した。この太った体も、ニートの根性も、異世界という舞台装置さえあれば「特別な力」に変わるのだと、根拠のない妄想に縋った。


「わかりました。……ご健闘をお祈りします。次は、あなたの寿命が尽きるその日まで」


 イナンナの指先がぼくの額に触れる。


 意識が遠のく中、ぼくは夢を見ていた。  最強の魔法、ひれ伏す美少女。……「マリオ」という名の英雄として君臨する、輝かしい未来を。


 ――それが、地獄への片道切符だとも知らずに。

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