泥濘で足掻く ~ある王子をめぐる少年たちの競演~

日崎アユム(丹羽夏子)

第1話 事件

 第一王子のファイヤルが倒れた時、彼の幼馴染であるエイラスとジリークの二人は、彼のすぐそばにいた。


 エイラスとジリークは、ファイヤルの侍童じどう出身で、三人とも同い年の十七歳、一緒に高等学舎に通う学友である。しかも、二人とも名門貴族の跡取り息子であり、将来は王になるであろうファイヤルのそば近くに仕えることを約束されている。ファイヤルはこの二人に格別な信頼を寄せていた。


 今日も三人で一緒に昼食を取る許可をファイヤルの父である王にいただき、王城の食堂に集まって、たわいもない話をして盛り上がっていた。


 そんな中、ファイヤルが急に手を止めた。フォークに肉を刺したまま、なぜか固まってしまったのだ。


「殿下?」


 みるみるうちにファイヤルの顔色が悪くなっていく。肉が刺さっているフォークを投げ捨て、手で自分の口元を押さえる。肩が震える。


 何が起こったのかわからず呆然としているエイヤルとは対照的に、ジリークの行動は早かった。彼もまたナイフとフォークを投げ捨てると、ファイヤルの震える肩をつかんだ。そしてその口元を隠していたファイヤルの手をつかんだ。薄く開いていた唇を開き、口腔内に人差し指と中指を揃えて突き入れる。ファイヤルがえずく。喉が動く。テーブルの上に吐瀉物をぶちまける。


「毒だ!」


 ジリークのその怒鳴り声を聞いて、エイラスはようやく我に返った。すぐさま立ち上がり、給仕をした女性を追い掛けた。案の定彼女は走ってエイラスから逃げようとしたが、学舎で武術の訓練もしている十七歳の男子のエイラスが女性に追いつかないわけがない。エイラスは彼女を背後から床へと押し倒し、腕をひねり上げた。舌を噛み切らないよう、首元のリボンタイをはずして彼女の口に押し込み、首の後ろで縛る。


「誰か!」


 給仕の女性に馬乗りになったまま、エイラスは声を上げた。


「殿下に毒を盛られた! すぐに侍医を呼べ!」


 扉の近くにいた衛兵たちがいまさら駆け寄ってきて、エイラスが押さえつけていた女性を抱え起こした。


 どうやら他に毒の出どころに心当たりがある人間はいないようだ。あるいは、あってもしらばっくれているのか。周囲で様子を窺っていた給仕係たちがファイヤルに駆け寄って声を掛け始める。

 ファイヤルは意識が朦朧としている。目の焦点が合わない。

 ジリークはそんなファイヤルを左腕で抱きかかえ、上半身を起こす体勢を取らせた。右手に水差しを持ち、ファイヤルにむりやり水を飲ませる。


「窒息しないか」


 エイラスが二人のそばに戻ってそう声を掛けると、ジリークは先ほどと同じようにためらいなくファイヤルの口に指を入れて喉を突いた。食べたばかりで消化されていない食べ物の匂いはそこまできつくはないのが幸いか。


「胃の中身をすべて吐き出させたほうがいいだろう」


 エイラスはファイヤルが締めていたタイを解いてシャツのボタンを開けた。少しでも苦しくないようにという配慮ゆえだ。

 ファイヤルの喉があらわになる。白く滑らかな喉、小さな突起、わずかに感じる筋の存在が艶めかしく、長時間眺めていてはいけないような気がした。

 自分の浅ましい感情を投げ捨て、ファイヤルの首元に触れる。脈はある。定期的に動いている。この調子ならすぐに死にはしないだろう。ほっと胸を撫で下ろす。ジリークの処置が早かったことが功を奏したに違いない。


 侍医が駆けつける。白髪の老医師は年齢を感じさせない機敏さでてきぱきと処置をした。エイラスがしたように脈を取る。瞳孔を見ようとして目に触れる。ファイヤルにはまだかすかながらも意識があるらしく、まぶしがってむりやり目を閉じた。それを確認した侍医はファイヤルに「口をお開けください」と言った。ファイヤルが口を開ける。侍医が口内を診る様子を見て、エイラスは肩から力を抜いた。


 ファイヤルが自分の額を押さえた。


「目眩がする。休みたい」


 意識がはっきりしてきたようだ。周りを固めていた一同が安堵の息を吐く。


「寝室にお連れしましょう」


 ジリークがそう言ってファイヤルを横抱きにして立ち上がった。ファイヤルも決して小柄ではないのだが、それ以上に将軍家の生まれ育ちで人一倍鍛えており、体格が良く腕力もあるジリークが勝る。ファイヤルは抵抗しなかった。ジリークが危なげなく食堂を出ようとする。

 エイラスもファイヤルが心配だった。彼の様子を見ていたかった。二人を追い掛けようかと思った。けれどこんな時、健康な状態のファイヤルだったらどう動けと言うだろうか。普段はひょうきんで天真爛漫だが本当は思慮深いファイヤルは、状況をよく見てほしい、と言うだろう。


 いつだったか、ファイヤルが、言っていたことがある。


 エイラスは二人もいらない。ジリークも二人もいらない。

 私には二人が一人ずついてこの国の双璧として私を支えてくれれば、それで十分だ。


 エイラスはジリークの後を追い掛けるのをやめた。代わりに侍医や駆けつけた侍従官たちに状況説明をするのに徹した。エイラスの筋道の通った説明を、一同は聞き入った。書き取り、頷き、「国王陛下にご報告致します」と言った。


「エイラス様の理知的なお振る舞いに、国王陛下もエイラス様の御父君もさぞやお喜びになるでしょう」


 はたしてそうだろうか、とエイラスは思う。

 ファイヤルが顔色を変えた瞬間、先に動いたのは、ジリークのほうだった。


 ジリークはどんな時も冷静だった。判断力と行動力があり、ファイヤルだけでなくエイラスも、そんな彼に助けられることがしばしばあった。

 彼は良い政治家になるだろう。エイラスはそう確信していた。今日もファイヤルの命を救ったのはジリークだ。尊敬に値する。けれどそれがうらやましくもあり、エイラスの心はどす黒く変色して、エイラス自身を困らせる。






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