第2話

 一番初めに感じるのは、決まって重力だ。


 ふわふわとあてどなく漂う頼りなさでも、頬を撫でる風の心地よさでもない。転生した先で僕が存在していることの実感を与えてくれるのは、いつも重力さんだ。重力サイコー。ビバ物理法則。ジュテームニュートン。


 目を開けると、そこは室内だった。感じる重力に対して、視界が傾いている。どうやら僕が憑依した現地人は眠っていたようだ。柔らかく清潔なベッドの上で、僕は仰向けになっている。


 自分の身体を確かめた。長い手足、伸びた前髪が視界を遮って鬱陶しい。天使様との約束どおり、今回は転生ではなく転移のようだ。


「あっつ……」


 気温が高い。汗をかいていた。身体を起こし、シャツの襟をつかんで扇ぐ。シーツに汗染みができていた。僕はすぐさま、辺りをきょろきょろと見回して、とあるものを探した。


「あったあった」


 飛びつくようにしてそれ――リモコンを手に取り、僕はスイッチを押す。ウィーン、と音を鳴らして起動し始めたエアコンから、少しして冷風が吹き込んでくる。ふう、生き返る。やっぱりエアコン様様だな。重力さんもいいとこあるけど、エアコン様には敵わないね。


「…………ん?」


 頭が冷えたとはこのことだ。


 僕は首を傾げる。


 エアコン? 今回の異世界は随分と進んだ文明で生きていくことになるんだな。や、良いことなんだけどね。文明というのは、進歩しすぎてもしていなさすぎても困る代物だ。エアコンで涼めるくらいの文明が一番ちょうどいい。


「違う違う、そうじゃない」


 どうして僕は、エアコンが室内にあると知っていて、しかもリモコンの大体の場所にすぐに目星をつけることができたんだ? まるでそこにあることが最初から分かっていたかのように、勝手知ったる態度で操作しているのは、どう考えたっておかしい。


 僕は部屋の片隅で埃をかぶっていた姿見を引っ張り出し、自分の姿をよく確認した。


「おお、なんと!」


 そこにいたのは、まぎれもなく僕だった!


 わかりづらいね。


 つまり、この魂の最初の肉体の『僕』だ。


 日本生まれ日本育ちの普通の高校一年生。体育の時間がひたすら憂鬱なクラスでも目立たない存在の『僕』が、そこにいた。


 その『僕』はある日、悲しいかなトラックに轢かれて死んだはずで、天使様から教えてもらったところによれば、それはもう見るも無残な死に様だったらしい。全身バラバラ。臓器ぼろん。おえ。


 だけど鏡に映る僕――丸茂圭太まるもけいたは五体満足だ。飛んだり跳ねたりできる両脚は継ぎ目なくくっついていて、ダブルバイセップスをすれば、貧弱な僕の二の腕に申し訳程度の力こぶが浮かぶ。首の上にはみすぼらしい頭部もちゃんとある。


「これはたしかに、憑依の心配はなにもいらないね」


 だって僕だし。


 しかし、そうなると僕はあの凄惨な事故から無傷で生還したという歴史改変が起こったということなのか?


 と、悩むこと自体が徒労だった。ベッドに転がっていたスマホが、その答えを教えてくれたのだ。


「時が、戻ってる」


 僕が事故に遭ったのは、二学期も中盤に差し掛かった頃だった。具体的に言えば、十月下旬ころ、だったかな。だけど、スマホに表示されていたカレンダーには、今日が八月二日、つまり夏休み序盤だということを示している。


 それはつまり、やがて来る僕の死の運命を回避できるということにほかならない。だって、今の僕にはチートがあるしね。よっぽどの出来事以外は対応できるはずだ。もちろん、これまで十五回の死を教訓にすれば、の話だけど。


「とすれば、危急の対応が必要なのはこっちか」


 鏡に映った自分の姿を改めて眺め、ため息をつく。


 整える気のない髪。度重なる夜更かしによる肌荒れ。曲がった性根を表す猫背。運動不足の枯れ木みたいな手足。度のキツいメガネ。


 行くとこに行けば呪物として展示されてもおかしくない禍々しさを放っている男子が、こちらを見つめている。


「これでラブコメはさすがに無理があるよなあ……」


 この世界の僕はラブコメなんて諦めていた。大した努力もせず、自分の生まれた星の下が悪かったと簡単に諦めて、女の子と好い仲になれることを来世に期待していた。


 しかぁし!


 僕は来世どころか来来来世ですら女の子とラブコメはできなかった!


 恋愛できる年齢になる前に死ぬからだ!


 だが今の僕は高校一年生の青春真っただ中。こうなったらめっちゃカッコよくなってやる。一目見ただけで女子がメロつくようなイケメンスパダリ王子様になってかわいい彼女をゲットした暁にはインスタのカップルアカウントにイタい投稿とストーリーズを撒き散らしてやる!


 待ってろよ、僕の青春ラブコメ!


 夏休みをフルに使って、僕は生まれ変わってやるぜ!


「発動! 【僕の理想ビカム・ア・パーフェクト】!」



 ・ ・ ・ ♪ ・ ・ ・



 と、いうことで今日は九月一日、始業式の日だ。


 本当に夏休みをまるまる費やしてしまった……貴重な十五歳の夏休みが……。


 いやいや悔やむな丸茂圭太。それだけの成果はあったじゃないか。


 自室の鏡の前でカンペキに容姿を整えた僕は、感慨にふける。


「これだ、これが僕の思い描いていた姿……。これならラブコメ街道爆進待ったナシだ……」


 鏡の中にいるのは、もう一か月前までの僕じゃない。フワモテオーラを纏った王子様だ。我ながらほれぼれするイケメンっぷりで、もうなんか骨格から変わってるんじゃないかとすら思う。いや、実際変わってるのだ。なにせ身長は一〇センチ以上も伸びて今や一八〇センチをゆうに越しているし、顔も小さくなって余裕の八頭身。


 説明しよう。僕が発動したチート【僕の理想ビカム・ア・パーフェクト】は、理想の自分になるために必要な行程を具体化してくれるもので、提示された条件を完遂すれば必ず自分の望んだ姿になれるというものだ。ただし、他のいかなるチートも使ってはならない制限はある。純粋に自分の力のみで、条件を達成しなければならない。


 その制限もあって、この一か月、辛かった……。ガチで泣きそうだった。というか泣いた。


 提示された条件は次のとおりだった。


・腕立て腹筋スクワットを各一〇〇回(毎日)

・ランニングを一〇キロ(毎日)

・毎日、初対面の誰かに「今日の俺、イケてますか?」と聞く。YESがもらえなければ帰宅禁止、野宿。

・午前六時起床、午後十時就寝の生活リズムの確立

・今日の服装を画像に撮ってSNSにアップロード(毎日)。

・四〇〇〇キロカロリーの摂取(毎日)


 ランニングや筋トレの身体的な辛さはもちろんのこと、精神的に追い詰められることが実に多かった。


「イケてる」って返答を貰えたのはこの一か月で半分もなかったから、ほぼ寝泊りは河川敷で寝袋だった。特に夏休み前半はほぼ確で野宿だったので、ホームレスのおじさんと仲良くなったくらいだ。


 毎日の服装投稿は、偶然目に留まったファッション系インフルエンサーに悪い例としてSNSで盛大に笑われた。フォロワーはすごく増えたけど、その分嘲笑の声もめっちゃ届くので僕は泣いた。


「だけど、僕は涙の数だけ強くなったッ! カッコよくなれたんだッ!」


 僕を笑った全員を見返してやるぜ!


 そうと決まればさっそく登校だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る