雨の庭で、君を待つ
槙 秀人
第1話:雨の庭にて
六月の終わり、梅雨の雨は静かに校庭を濡らしていた。
空は一面に薄い灰色の雲が広がり、どこからともなく湿った風が吹き込んでくる。
窓ガラスを伝う雨粒は、まるでゆっくりとした時間の流れを刻むように、
細い筋を描いては消えていった。
放課後の図書室は、そんな雨の気配を吸い込んだようにしっとりと静まり返っていた。
湿った空気の中でも紙の匂いが心地いい。
私はその奥の席でノートを広げ、鉛筆を握りしめながら、雨音を背景にデザインの線を引いていた。
集中しているつもりでも、どこか心は落ち着かない。
雨の日は昔から好きだったけれど、今日は胸の奥が妙にざわついていた。
理由はわかっている。
ひよりのことだ。
「またここにいたんだ、真白」
ふいに聞こえた声に、私は肩をびくりと震わせた。
顔を上げると、そこには幼なじみの 綾瀬ひより が立っていた。
肩までの黒髪をひとつに結び、濡れた傘を軽く振って水滴を落とす仕草が、
どこか無邪気で昔から変わらない。
ひよりは迷うことなく私の隣に腰を下ろし、当然のようにノートを覗き込んだ。
距離が近い。
雨の匂いと、ひよりのシャンプーの香りが混ざり合って、胸が少しだけ苦しくなる。
「美術部のデザイン? 相変わらず細かいね。真白って、こういうの得意だよね」
「ひよりこそ、陸上部の練習は?」
「雨で中止。だから迎えに来たの」
迎えに来た――その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
ひよりは昔から、私を見つけるのが上手かった。
迷子になったときも、泣きそうなときも。
そして今みたいに、静かに一人でいたいときでさえ。
ひよりはいつも、私がいる場所を迷わず見つけてくれる。
「帰ろうよ。雨、強くなる前に」
ひよりが差し出した手は、昔と同じ形をしていた。
小さくて、でも温かくて、握れば安心できる手。
けれど、その手を見つめる私の胸に生まれる感情は、昔とはまるで違っていた。
――この気持ちは、なんだろう。
友達以上の何か。
でも、恋と呼ぶにはまだ輪郭が曖昧で、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細な感情。
胸の奥でふわふわと揺れて、形にならないまま私を不安にさせる。
ひよりの手を取ってしまったら、何かが変わってしまう気がして怖かった。
私はその手を取らず、ノートをそっと閉じた。
「……もう少しだけ、ここにいたい」
「真白?」
「ひよりは先に帰っていいよ」
ひよりは少しだけ眉を寄せた。
その表情は、私の嘘に気づいているときの顔だった。
昔から、私はひよりにだけは嘘がつけない。
ついても、すぐに見抜かれてしまう。
「真白が帰るまで、私はここにいるよ」
その言葉が、胸に痛いほど優しく刺さる。
ひよりのこういうところが、私を困らせる。
優しすぎて、逃げ場がなくなる。
ひよりの優しさは、私の弱いところをまっすぐ照らしてしまう。
「どうして……そんなに優しいの?」
思わず漏れた本音に、ひよりは目を瞬かせた。
驚いたような、でもどこか嬉しそうな表情。
「どうしてって……真白だからでしょ」
当たり前のように言うその声が、私の心を大きく揺らす。
ひよりは私のことを大切にしてくれている。
でも、それは――
“友達として”なのか、それとも――。
答えを知るのが怖くて、私は視線をそらした。
窓の外では、雨がさらに強くなっていた。
図書室の静けさの中で、雨音だけが私たちの間を満たしていた。
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