【比較神話学】世界の終わり方

くるくるパスタ

最初の雑談

こんにちは。

比較神話学シリーズです。

世界の神話を比較する事で、日本を知る試みです。


先日、「神を生む」を上梓しました。

世界の神話を俯瞰して、「神が生まれるとき」を類型化しました。

今回は「神を生む」の対として、「世界の終わり方」を類型化し、そこを足場に、日本の立ち位置を見ていこうと思います。


世界の終わり方は創世神話とセットで、コインの裏表のような関係です。

「光あれ」で世界を誕生させる存在がいる場合は、その存在が一言で世界を滅ぼせることを意味します。

日本の神はそんな感じではないです。「光あれ」で世界を生んだりしません。

「庭があったから草が生えたよ」ぐらいの自然さで、「世界があったから神が成ったよ」といって始まります。アメノミナカヌシです。


そんな日本の終末論は、キリスト教やイスラム教とは全く違う思想の上にあります。


マーベルなどの欧米作品では、終末は戦いだったり破滅だったり、派手ですよね。

日本の終末は、てろてろです。

『ヨコハマ買い出し紀行』『人類は衰退しました』『少女終末旅行』『終末ツーリング』『世界の終わりに柴犬と』

世界の終わりを、夏休みの夕焼けを見るように、ゆったりと過ごします。


それはなぜか。

どうしてそんな文化が育ったのか。


日本人の終末観は、世界の終末観と比べても、異質です。

では、広く見たとき、世界にはどんな終末観があるのか。

その中で日本が提示した「てろてろの終末」の意味は?


そんな話をしていけたらと思っています。

けっこう長いので、お暇なときにでも、見ていただけたらうれしいです。

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