『ヒロイン断罪から始まる異世界転生!?悪役令嬢だけど真相究明のために活躍します』

@konohi

第一話:断罪の鐘は、私の名とともに

 高い天井の向こうで、ステンドグラスが燃えるように光っていた。赤、青、金。極彩色の光が礼拝堂の石床に落ち、まるで血の染みみたいに揺れる。


 本来ここは、祈りと沈黙の場所だ。

 けれど今、満ちているのは沈黙ではない。息を潜めた興奮。誰かを裁くために集まった人間が放つ、甘ったるい熱だ。


「リリア・エヴァンス! 貴様の罪はもはや明白。言い逃れはさせん!」


 鋭い声が、石の壁に跳ね返って礼拝堂を震わせた。


 中央の白石の床に、少女が膝をついている。栗色の髪は乱れ、頬は涙で濡れていた。肩が震えているのに、泣き声は出せないみたいに喉を詰まらせている。


(……本物だ)


 そんな場違いな感想が、頭の隅をよぎった。


(待って。なんで私、ここにいるの)


 こめかみがズキズキする。数時間前まで私は、就活サイトとにらめっこしながら、息抜きに乙女ゲームを周回していたはずなのに。


 目を開けたら、重いドレス。刺繍。宝石の重み。背筋を伸ばす作法まで、体が勝手に知っている。


 私は群衆の隙間から、壇上の青年を見上げた。


 眩い金髪。整った顔。冷たい眼差し。まるで正義を着こなしているみたいな男。

 第一王子、アルベルト。


「至高の聖女、マリア・エヴァンス聖女殿を殺害した罪……その命をもって償うがいい!」


 どよめきが爆発する。


「そうだ!」

「聖女様を!」

「魔女め、死で償え!」


 怒りは一つの生き物みたいに膨れ上がり、礼拝堂の空気を押し潰す。


(マリアが死んだ? そんな、はず……)


 混濁する頭の中で、必死に記憶を掘る。


 乙女ゲーム『ステラ・ルミナス』。

 マリア・エヴァンスは、ヒロインの姉で、誰もがひれ伏す「至高の聖女」だった。病を癒やし、争いを止め、民に希望を配る。ゲーム内でも特別な存在で、物語の要だった。


 そしてヒロイン、リリアは。

 その姉を心から慕う、優しくて、気が弱いくらいの子だった。


「違う……私は、お姉様を、殺してなんて……っ」


 掠れた声は、罵声にすぐ飲まれる。


 アルベルト王子は、容赦なく言い切った。


「黙れ。現場は密室。そこにいたのは貴様と姉君だけ。そして遺体には、貴様の氷魔法の痕跡が残っていた。否定の余地などない」


 密室。氷魔法。痕跡。

 それらしい単語が並ぶほど、場の熱が増す。


 彼らは真実を欲しがっていない。

 王子が指を差した“悪”を殴って、正しい側に立った気になりたいだけだ。


 胸の奥が、むかむかする。

 吐き気の正体は、怒りだ。嫌悪だ。よく知っている種類の空気だ。


(おかしい。リリアは、人を殺せる子じゃない)


 しかも。

 こんなイベント、ゲームにはなかった。


 断罪イベントは確かにある。悪役令嬢がヒロインをいじめ、最後に裁かれる。お決まりの舞台装置だ。

 けれど“ヒロインが姉を殺した罪で断罪される”なんて、聞いたことがない。


 私の指先が、絹の裾を強く握りしめる。


(それより……私は誰?)


 その瞬間、壇上から鋭い視線が突き刺さった。


 アルベルト王子が、群衆の中の私を見つけていた。彼は親指で指輪をひとなでしてから、淡々と告げる。


「ロザリア。君も、この女が聖女を害したことに異論はないな?」


 ロザリア。


 名前が落ちた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


 記憶が濁流のように流れ込む。

 鏡に映る、艶のある赤髪。冷たい紫の瞳。周囲が勝手に道を空ける感覚。礼儀と恐れが混ざった視線。


 ロザリア・ド・ベルツィーゲ。

 公爵家の令嬢。闇魔法の使い手。誇り高く、傲慢で、ヒロインを執拗にいじめる悪役。

 どのルートでも最後は破滅する、便利な“罰せられる役”。


(……私が? 私がロザリア?)


 心臓が早鐘を打つ。


 体のどこかが、正しい答えを知っている。

 頷け、と囁く。ここで王子に同調すればいい。ヒロインを落とせばいい。そうすれば、未来の死亡フラグが消えるかもしれない。


 なのに。


 喉の奥から、別の声が湧き上がる。


(そんなの、気持ち悪い)


 誰かが決めた筋書きに従って、自分の魂まで差し出すのか。

 見て見ぬふりで、誰かの人生を終わらせるのか。


「……ロザリア?」


 返事がない私に、王子が眉をひそめる。

 礼拝堂の空気が、じわりと固くなる。視線が集まる。期待と嘲笑が混ざった視線だ。


 私は、一歩前に出た。


 ドレスの裾が石床を擦る音が、やけに大きく響いた気がした。


 胸は怖いほど脈打っている。背中には冷たい汗。けれど、逃げない。

 ここで逃げたら、私は一生、誰かの台本の中でしか生きられない。


 私は顔を上げ、笑みの形だけ作った。


「王子殿下。その断罪、少々早計ではございませんこと?」


 一瞬で、礼拝堂が静まり返った。


 床に伏せていたリリアが、驚いたように目を上げる。

 アルベルト王子の瞳が、冷たく細まった。


「ロザリア、君は何を言っている。君こそ、この女を最も嫌っていたはずだろう」


「ええ。好みではございませんわ」


 私は、なるべく軽く言う。

 悪役令嬢らしい棘は残す。でも、下品には落とさない。公爵家の令嬢は、言葉で人を切る。


「泣き顔で場を支配しようとするのも、同情を買うのも。正直、見ていて苛立ちます」


 リリアがびくりと肩を震わせた。

 周囲の貴族たちは、納得したように頷く。そう、これでいい。私が“ロザリア”であることを示せる。


 その上で。


「ですが。至高の聖女とまで称えられた方が殺されたというのに、“痕跡”だけで幕を引くなど、あまりに芸がありませんわ」


 ざわり、と空気が揺れる。


「氷魔法の痕跡? 結構です。痕跡など、残したい者が残せばよろしいでしょう。魔法が万能な世界だからこそ、魔法は嘘もつきます」


 アルベルト王子の口元が、わずかに歪んだ。笑みとも、苛立ちとも取れる微細な動き。

 彼はもう一度、指輪を撫でる。癖なのか、何かを確かめる仕草なのか。


「……君は、この女を庇うのか。公爵家の名にかけて」


「庇う? まさか」


 私は小さく首を傾けた。


「私はただ、退屈が嫌いなだけですの。真実が見えない結末なんて、味のしない菓子と同じ。そんなもので終わるくらいなら、いっそ私が壊して差し上げます」


 自分の声が、思った以上に通る。

 怖い。でも、怖さの奥に、妙な熱がある。


「猶予をくださいませ。この事件、私が真相を究明いたします」


 礼拝堂のあちこちで息を呑む音がした。

 リリアは唇を震わせ、何か言おうとして言葉を飲み込む。


 アルベルト王子は少し黙り、それから、楽しげでもなく、怒りでもなく、ただ乾いた声で言った。


「面白い」


 その言葉は、賞賛ではなかった。

 試すような響きだった。


「ならば証明してみせろ。期限を与える。その間に真実を示せなければ、リリアは処刑。加えて君も、共犯、あるいは偽証の罪で裁かれる」


 周囲がざわめく。

 脅しだ。首に縄をかけて走れと言っている。


 けれど私は、引かなかった。


「望むところですわ」


 口角を上げる。

 鏡の中で見たことのない笑み。高貴で、冷たくて、最悪に性格が悪そうな笑み。


 怖いのに、胸の奥が少しだけ晴れる。

 これが私の最初の選択だ。誰かのルートでも、誰かの結末でもない。


(自分の生き方は、自分で決める)


 礼拝堂の外、鐘楼の鐘が鳴った。

 断罪の合図みたいに、厳しく、重く。


 けれどその音は、同時に宣言でもあった。


 悪役令嬢ロザリアの、孤独な戦いの始まりを告げる鐘だ。

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