第10話 最後の標的
「次はあんたよ。……いいえ、あんたの『鍵』ね」
イゾルデの言葉が、氷の刃のようにガレアの心臓を貫いた。彼女の視線はガレアを通り越し、リングの外――金網の向こうで青ざめているルシアンに釘付けになっていた。
「ま、待て……! 貴様の相手は俺だ!」
ガレアは斧を構え、イゾルデの視線を遮るように立ちはだかった。だが、彼女の足は震えていた。
無理もない。大陸最強のドラクルが一撃で殺されたのだ。
あのイゾルデにとって、肉体の強度など無意味。彼女は、明確な弱点だけを正確に突いてくる。
「ドラクルは愚かだったわ。急所を晒して戦うなんて」
イゾルデは淡々と語りながら、ダガーについたドラクルの血を振るった。
「でも、あんたは違う。その鉄屑のオムツで、弱点を完全に物理防御している。……だから、壊すなら中身じゃなくて、外付けのリモコンよね」
「やめろォォォッ!!」
ガレアの絶叫と同時に、イゾルデが姿を消した。彼女の気配が、風のように脇をすり抜けていく。
「ルシアンッ!!」
ガレアは斧を投げ捨て、全力で振り返って走った。リングから飛び降り、金網の向こうへ。だが、重厚な鉄枷と筋肉の鎧をまとった彼女の足は、風よりも軽い死神には追いつけない。
「逃げてくれ! お願いだ、ルシアン!!」
ガレアの悲痛な叫びに、ルシアンは一瞬だけ逃げようと背を向けた。だが、彼はすぐに足を止めた。
彼が逃げれば、ガレアが「鍵」を失い、永遠に鉄枷の中に閉じ込められることになるからか。それとも、愛する者を背にして逃げることを、彼の誇りが許さなかったのか。
「……来るなッ!」
ルシアンは震える手でスタンガンを抜き、迫りくる灰色の影に対峙した。その瞳には、恐怖ではなく、決死の覚悟が宿っていた。
距離にして数メートル。だが、その距離が永遠のように感じられた。
「遅い」
イゾルデの声が、ルシアンの耳元で囁かれる。彼女は金網を軽々と飛び越え、ルシアンの背後に着地していた。
「ガ……」
ルシアンがガレアの名前を呼ぼうとした──その口が開きかけた──瞬間、銀色の閃光が走った。肉が切れる音すらしない、鮮やかな一閃。
それは、あまりに呆気なかった。
「――あ」
ルシアンの視線が、ガレアを見つめたまま固定される。次の瞬間、彼の首元に赤い線が走り、鮮血の噴水が舞い上がった。
世界が、音を失った。
ルシアンの首が、重力に従ってゆっくりと滑り落ちる。彼の胴体はまだ立ったまま、手からスタンガンを取り落とし、そして胸元から下げていた「銀色の鍵」を放り出した。
乾いた音が石畳に響く。それは、一つの人生が終わる音だった。
「チェックメイト」
イゾルデは血糊を拭うこともなく、興味なさそうにルシアンの亡骸を見下ろした。
鍵が地面に落ちた衝撃で、あるいは所有者の生体反応が途絶えたことを感知した緊急システムによって、ガレアの腰のギミックが作動した。
プシューッ……ガコンッ。
重たい蒸気が抜ける音。ガレアの腰に食い込み、彼女を人として、そして彼の犬として繋ぎ止めていた鋼鉄のベルトが、自重で外れ落ちた。
分厚い鉄の下穿きが太腿から滑り落ち、血と愛液に濡れた地面に転がる。
冷たい外気が、ガレアの濡れそぼった秘部に触れる。拘束が外れた。ルシアンとの約束も、未来への希望も、すべてが消え失せる。
「あ……ぁ……」
ガレアは膝から崩れ落ちた。目の前には、首のないルシアン。彼女の全てだった男。
「ルシアン……痛いよ……寒いよ……」
ガレアは震える手で、彼の転がった首を抱き寄せようとした。だが、指先が触れる直前、彼女の内側から何かが溢れ出した。
心臓が破裂しそうなほどの鼓動。
悲しみ? 違う。
絶望? 違う。
それは、ダムが決壊したような、圧倒的な虚無感と、それを埋め合わせようとする飢餓感だった。
制御者を失ったアルファの暴走本能。
ブレーキのない車がアクセルをベタ踏みしたような、破滅的なエネルギーが全身の血管を駆け巡る。
「ガ……ギ、ィ……」
視界が赤く染まる。ルシアンの死体が、ただの肉に見え始める。イゾルデが、ただの餌に見え始める。
「……あら?」
イゾルデが初めて顔色を変えて後ずさった。彼女の無臭の空間が、ガレアの身体から噴き出したドス黒い瘴気によって侵食されていく。
「何よ、それ……。フェロモン? いや、殺意の塊……?」
ガレアの背中の筋肉が異常に隆起し、皮膚が裂ける。血管が黒く浮き上がり、眼球は白目まで真っ赤に充血した。
愛を失い、枷を失い、ただ欲望のままに喰らい、犯し、破壊するだけの魔獣。
「ニオイが……ないなら……」
ガレアの口から、獣の唸り声と共に粘つく涎が垂れる。
「食って……確かめる……」
ガレアは地面を蹴った。アキレス腱が切れていようが関係ない。筋肉を無理やり収縮させ、砲弾のように飛び出した。
イゾルデの反応速度すら凌駕する、捨て身の特攻。
「――ッ!?」
イゾルデがダガーを構えるが、ガレアはそれを素手で掴み、刃ごと握り潰した。
「ガァアアアアアッ!!」
「ぐッ、離せッ!?」
ガレアはイゾルデの身体を鷲掴みにし、そのまま闘技場の壁へと叩きつけた。
狩りの時間だ。こじ開けられた穴を埋めるための、生贄の儀式が始まる。
次の更新予定
鉄錆のガレア 〜錆びた教会と腐肉の巡礼〜 火之元 ノヒト @tata369
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。鉄錆のガレア 〜錆びた教会と腐肉の巡礼〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます