第3話 迎えに来ない人

その子が教会に来たのは、雨の午後だった。


「……ここ、いい?」


傘を持たないまま立っていた少年は、十歳くらい。

濡れたスニーカーの先から、水がぽたぽた落ちている。


須之内桃は、すぐに名前を聞かなかった。

代わりに、タオルを差し出す。


「中、あったかいよ」


少年は一瞬だけためらい、それから黙って教会に入った。



翌朝。

小児科の待合室で、桃はその少年を見つける。


ベンチに座り、足をぶらぶらさせている。

隣にいるのは、昨夜、教会に電話をかけてきた児童相談所の職員だった。


「……すもも先生」


少年と目が合う。


「ここ、病院?」


「うん。昨日より、ちゃんとした場所」


そう言うと、少年は少しだけ笑った。


名前は直哉(なおや)。

腹痛と微熱が続いているという。


だが、診察を進めるうちに、桃は違和感を覚えた。


検査結果は、ほぼ問題なし。

それなのに、直哉はお腹を押さえたまま離さない。


「ねえ、直哉くん」


桃は椅子を引き寄せ、視線を合わせる。


「迎えに来る人、いる?」


直哉は、首を横に振った。


「……来ない」


その答えは、あまりにも即答だった。



昼休み。

桃は、職員と簡単な打ち合わせを済ませたあと、診察室に戻る。


ベッドに横になった直哉は、天井を見つめていた。


「先生」


「なに?」


「ここにいると、迎えに来なきゃいけない?」


その問いに、桃は一瞬、言葉を探す。


「……迎えに来る人がいないなら、

迎えに行く人がいればいい」


直哉は、ゆっくりと桃を見る。


「先生?」


「私は、迎えに行く側」


直哉は、何も言わなかった。

けれど、お腹を押さえていた手が、少しだけ緩む。



夕方。

直哉の腹痛は、不思議なほど治まっていた。


「……仮病?」


佐藤が小声で言うと、桃は首を横に振る。


「本物です。ただ、原因が……」


「心?」


「うん。迎えに来ない痛み」



その夜、桃は教会で直哉と並んで夕食をとる。


「先生、ここ、前からいたの?」


「うん。あなたくらいの頃から」


直哉は、箸を止める。


「……迎え、来なかった?」


桃は、少しだけ考えてから答えた。


「来なかった。でもね」


「でも?」


「来なかったから、今の私がいる」


直哉は、しばらく黙っていた。


「……じゃあ、悪いことばっかじゃない?」


桃は、小さく笑った。


「そう思えるようになるまで、時間はかかるけどね」



夜。

教会の鐘が鳴る。


桃は、直哉の寝顔を見ながら思う。


医師としての自分。

孤児だった自分。


そのどちらもが、

この場所に立つ理由なのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すももチャイルドクリニック @nobuasahi7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画