第2話 熱の理由

夕方の小児科は、いつも少しだけ慌ただしい。


「すもも先生、次の患者さん入れますね」


看護師の佐藤の声に、須之内桃は小さくうなずいた。

診察室に入ってきたのは、五歳くらいの女の子と、その父親だった。


女の子はぐったりとして、父親の腕の中で目を閉じている。


「昨日から高熱で……夜も、ほとんど眠れていないみたいで」


父親はそう言いながら、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。

桃は聴診器を手に取り、静かに言う。


「大丈夫ですよ。まず、診せてくださいね」


体温計の数字は、39.2度。

喉の赤みも強い。けれど、それだけでは説明がつかない違和感があった。


「……お父さん。最近、お母さんは?」


その問いに、父親の肩がわずかに揺れた。


「……三か月前に、家を出ました」


短い沈黙。

桃はそれ以上、踏み込まなかった。


診察を終え、解熱剤と抗生剤を処方する。

だが、桃はカルテを閉じる前に、もう一度だけ女の子の顔を見た。


「ねえ。名前、教えてくれる?」


女の子は薄く目を開けた。


「……あや」


「そっか。あやちゃん。今日はね、体だけじゃなくて、心も熱が出ちゃってるみたい」


父親が困ったように視線を落とす。


「……私のせい、ですよね」


桃は首を横に振った。


「原因は一つじゃありません。でも――

ひとりで抱えなくていい、ということだけは、覚えていてください」



夜。

病院を出た桃は、立川の街を歩きながら、ふと立ち止まる。


ガラスに映る自分の顔は、医師のそれだ。

けれど、その奥に、教会の長椅子に座る幼い自分の影が重なる。


高熱を出した夜。

迎えに来るはずの親は、来なかった。


「……だから、か」


誰にも聞こえない声で、桃は呟いた。


あやの熱が、

単なる感染症だけではないと感じた理由。



翌日。

再診に訪れた父親は、少しだけ表情が違っていた。


「昨夜、話しました。ちゃんと……あやと」


診察台の上で、あやは小さく笑う。


体温は、37度台まで下がっていた。


「よかったですね」


桃がそう言うと、父親は深く頭を下げた。


「医者なのに、そこまで……」


「医者だから、ですよ」


桃はそう答え、少しだけ微笑んだ。



その日の帰り、桃は教会に立ち寄る。


神父の安西が、ろうそくに火を灯していた。


「今日も、命を診てきたかい」


「……はい。相変わらず、難しいです」


安西は穏やかに笑う。


「治せない熱もある。

だが、下げることはできる」


桃は静かにうなずいた。


すもも先生は、

今日もまた、命のそばに立っている。

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