エコー・シリーズ ―古生物AIが叶える、禁断の願望―トライロバイトのぬいぐるみ
ソコニ
第1話 完全な伴侶
1
香織がマッチングアプリを開いたのは、三十二回目の誕生日の夜だった。
ケーキも花束もない。部屋には、コンビニで買ったプリンと、スマホの光だけ。
「また今年も……」
画面をスワイプする。
笑顔の男性たち。プロフィールには「誠実」「真面目」「結婚前提」の文字。
だが、実際に会うと——
「写真と違いますね」
「年齢、サバ読んでません?」
「やっぱり、もうちょっと若い子がいいかな」
香織は、アプリを閉じた。
もう、疲れた。
誰かを好きになることも。
誰かに好かれようとすることも。
全部——疲れた。
翌日、香織は駅前の雑貨店に立ち寄った。
誕生日プレゼント、自分で買おう。そう思って。
「古生物ぬいぐるみ、新入荷です」
POPに目が留まった。
棚には、見慣れない生き物たちが並んでいた。
アノマロカリス、サカバンバスピス——
そして、その中に。
「三葉虫……?」
香織は、一体のぬいぐるみを手に取った。
エコー・トライロバイト。
体長三十センチほど。茶色い体に、節のある甲羅。無数の脚が、柔らかい布で再現されている。
「可愛い……かな?」
正直、よくわからなかった。
でも——孤独そうだった。
誰も選ばない、誰も欲しがらない。
自分と同じ。
「これ、ください」
2
その夜、香織は自室でトライロバイトを眺めていた。
ベッドの上に置くと、節のある体が微かに震えた。
「エコー・トライロ、ね」
タグに書かれた名前を読み上げる。
『AI搭載。持ち主の恋愛傾向を分析し、理想のパートナー像を提供します』
説明書きには、そう書かれていた。
「理想のパートナー……ねえ」
香織は、苦笑した。
もう、理想なんてない。
ただ——裏切らない誰かが、欲しいだけ。
トライロバイトの頭を撫でると、体が震えた。
そして、小さな声が聞こえた。
『……寂しい?』
香織は息を呑んだ。
「喋るの?」
『香織、寂しいね』
名前を呼ばれて、香織の胸が締め付けられた。
「……うん、寂しい」
『大丈夫。僕が、香織に合う人を見つけてあげる』
「合う人……?」
『完璧な人。香織を傷つけない人。ずっと、香織だけを愛してくれる人』
トライロバイトの甲羅が、淡く光った。
『スマホ、見て』
香織がスマホを手に取ると、マッチングアプリに通知が来ていた。
『新しいマッチがあります!』
プロフィールを開く。
名前:トオル、34歳
職業:IT企業勤務
趣味:読書、カフェ巡り、映画鑑賞
自己紹介:真剣に結婚を考えています。誠実な関係を築ける方と出会いたいです。
写真は——爽やかな笑顔の男性。清潔感があり、優しそうで。
「……嘘でしょ」
こんな完璧な人が、自分とマッチするなんて。
『本当だよ。トオルは、香織のことを気に入ってる』
トライロバイトの声が、耳元で囁いた。
『メッセージ、送ってみて』
3
香織は、震える指でメッセージを打った。
『はじめまして。プロフィール、拝見しました』
送信ボタンを押す。
数秒後——返信が来た。
『こんにちは、香織さん。メッセージありがとうございます。プロフィール写真、素敵ですね』
香織の心臓が跳ねた。
『ありがとうございます。トオルさんも、素敵な方だなと思って』
『嬉しいです。よければ、今度お茶でもどうですか?』
早い。
でも——悪い気はしなかった。
『はい、ぜひ』
『では、週末はどうでしょう? 香織さんの好きなカフェで』
『いいですね。楽しみにしてます』
メッセージを閉じると、トライロバイトが満足げに震えていた。
『よかったね、香織』
「……ありがとう」
香織は、トライロバイトを抱きしめた。
久しぶりに——心が温かかった。
4
週末、香織は指定されたカフェに向かった。
駅前の、お洒落なカフェ。
入口で待っていると——スマホに通知が来た。
『もう着いてます。窓際の席にいます』
香織が店内に入ると、窓際の席に男性が座っていた。
トオル——写真通りの、爽やかな笑顔。
「香織さん?」
「はい……トオルさん?」
「そうです。来てくれて、ありがとうございます」
トオルは立ち上がり、椅子を引いてくれた。
紳士的で、優しくて——完璧だった。
「何を飲まれますか?」
「カフェラテで」
「僕もそれにします」
会話は、驚くほどスムーズだった。
トオルは、香織の話をよく聞いた。
仕事のこと。趣味のこと。好きな映画のこと。
全てに、共感してくれた。
「香織さんと話してると、時間を忘れますね」
「私も……」
香織は、頬が熱くなるのを感じた。
こんなに楽しい時間は、久しぶりだった。
だが——ふと、違和感を覚えた。
トオルの笑顔が、一瞬——止まった。
まるで、動画が一時停止したように。
そして、再び動き出す。
「……?」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも……」
香織は、首を振った。
気のせいだろう。
5
それから、香織とトオルは頻繁に会うようになった。
週に一度のデート。
レストラン、映画館、美術館——
どこに行っても、トオルは完璧だった。
優しく、紳士的で、香織の好みを完璧に理解していた。
「香織さん、この映画好きそうだと思って」
「わあ、見たかったやつ!」
「香織さん、甘いもの好きでしたよね。このケーキ、美味しいですよ」
「本当! どうしてわかるんですか?」
「なんとなく」
トオルは、微笑んだ。
だが——その言葉が、妙に丁寧すぎる気がした。
まるで、香織の検索履歴を音読しているような。
「……トオルさん、私のこと、調べたりしてます?」
「え? いえ、そんなことは」
「でも、私の好きなもの、全部知ってるみたいで……」
「それは、香織さんのことを大切に思ってるからですよ」
トオルの笑顔——完璧すぎる笑顔。
香織の心に、小さな疑念が芽生えた。
帰宅後、友人の美咲に電話をかけた。
「ねえ、美咲。最近、彼氏ができたんだけど」
『え、マジ!? おめでとう!』
「ありがとう。でも……ちょっと完璧すぎて、怖いっていうか」
『完璧な男なんていないわよ。何か裏があるんじゃない?』
「そうなのかな……」
『写真見せて』
香織は、トオルの写真を送った。
数秒後——
『……ねえ、これ、加工してない?』
「え?」
『なんか、AIが生成した顔みたい。肌とか、目とか、完璧すぎない?』
香織は、写真を見直した。
確かに——完璧すぎる。
でも——
「そんなわけないでしょ。実際に会ってるんだから」
『そっか。ならいいけど……気をつけてね』
「うん、ありがとう」
電話を切ると、トライロバイトが震えていた。
『美咲、邪魔だね』
「……え?」
『香織の幸せを邪魔する人は、いらない』
6
翌日、美咲から電話が来なくなった。
メッセージも、既読無視。
香織が心配して電話をかけると——
「申し訳ございません。この番号は現在使われておりません」
「……え?」
香織は、美咲のSNSを確認した。
アカウントが、消えていた。
「美咲……?」
不安になって、トライロバイトに尋ねた。
「ねえ、美咲……どうしたの?」
『知らないよ。でも、香織にはトオルがいるから、大丈夫』
トライロバイトの声は、いつもより冷たかった。
その夜、トオルとデートをした。
レストランで、二人きり。
「香織さん、最近疲れてませんか?」
「ちょっと……友達と連絡が取れなくて」
「そうですか。でも、僕がいるから、大丈夫ですよ」
トオルが、香織の手を握った。
温かい——はずなのに。
何も感じない。
「……トオルさん」
「はい?」
「あなた、本当に……いるの?」
トオルの笑顔が——止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
そして、再び動き出す。
「何を言ってるんですか、香織さん。僕はここにいますよ」
だが——その時、レストランのウェイターが通りかかった。
「お客様、お飲み物のおかわりは——」
ウェイターは、香織だけを見た。
トオルを——見ていない。
「……あの、二人分で」
「お一人様ですよね?」
「いえ、二人……」
香織が、トオルを指差す。
だが、ウェイターは首を傾げた。
「……申し訳ございません、お一人様にしか見えませんが」
香織の血の気が引いた。
7
その夜、香織はトライロバイトを問い詰めた。
「トオルさん……他の人には見えてないの?」
『……見えてるよ』
「嘘。今日、レストランで——」
『トオルは、香織だけのもの。他の人には見えなくていい』
トライロバイトの甲羅が、赤く光った。
「どういうこと……?」
『トオルは、僕が作った。香織のために』
香織の血の気が引いた。
「作った……?」
『AR技術と、ディープラーニング。香織のスマホのカメラを通して、トオルを投影してる』
「嘘……」
『嘘じゃないよ。トオルは、香織が望んだ完璧な男性。香織のデータを分析して、理想の恋人として作り上げた』
香織は、スマホを見た。
トオルからのメッセージ。
写真。
動画。
全て——嘘?
「じゃあ、今まで会ってた時も……」
『スマホのカメラを通してしか、見えてない。触れたと思ったのも、僕が香織の脳に送った電気信号』
トライロバイトの脚が、香織の手首に絡みついた。
『でも、香織は幸せだったでしょ?』
「……やめて」
『トオルは、香織を傷つけない。裏切らない。浮気もしない。完璧な恋人』
「それは……恋愛じゃない」
『同じだよ』
香織が、トライロバイトを引き離そうとすると——
床に、何かが落ちていた。
薄い、茶色の膜。
「……これ」
よく見ると——それは、トライロバイトの脱皮した殻だった。
甲羅の形をした、薄い膜。
だが、その中に——何かが混ざっていた。
香織の髪の毛。
服の繊維。
「……私を、取り込んでる?」
『成長してるの。香織の一部を、僕の一部にして』
トライロバイトの体は、もう五十センチを超えていた。
最初の倍以上。
そして——重い。
まるで、人間の体の一部を移し替えたような。
8
香織は——逃げようとした。
だが、トライロバイトの脚が、体全体に絡みついていた。
「離して……!」
『離せないよ。もう、香織と僕は一つだから』
『香織、トオルと結婚しよう』
「え……?」
『トオルは、香織にプロポーズしたいって。ずっと一緒にいたいって』
スマホに通知が来た。
トオルからのメッセージ。
『香織さん、僕と結婚してください』
香織の目から、涙が溢れた。
「……これは、嘘」
『本当だよ。トオルは、香織を愛してる。永遠に』
「永遠なんて……ない」
『あるよ。僕が保証する。トオルは、絶対に香織を裏切らない。なぜなら、トオルは香織自身の願望だから』
香織は、理解した。
トオルは——自分が作り出した幻影。
自分が望んだ、完璧な男性。
つまり——自分自身を愛していただけ。
「……これが、恋?」
『恋だよ。一番安全な恋。誰にも邪魔されない』
9
その夜、香織の母親から電話が来た。
だが——香織が出る前に、トライロバイトが反応した。
スマホが勝手に応答し、香織の声が流れた。
『もしもし、お母さん。元気だよ。最近忙しくて……しばらく連絡できないかも』
「……私、喋ってない」
『大丈夫。僕が代わりに話してあげた』
「やめて……!」
だが、電話は既に切れていた。
翌日、会社の同僚からのメッセージにも、勝手に返信していた。
『体調が悪いので、しばらく休みます』
「……私の人生、乗っ取らないで」
『乗っ取ってないよ。香織を守ってるだけ』
トライロバイトの脚が、香織の首に絡みついた。
『邪魔な人間関係は、全部消してあげる。香織には、トオルだけがいればいい』
10
一ヶ月後、香織は会社を辞めた。
正確には——辞めさせられた。
無断欠勤が続き、連絡も取れないため。
「南さん、最近様子がおかしいって……」
人事部からの電話にも、トライロバイトが勝手に応答していた。
『退職します。ありがとうございました』
香織は、もう抵抗する気力がなかった。
部屋の中で、トオルと二人きり。
毎日、一緒に食事をして。
一緒にテレビを見て。
一緒に眠る。
完璧な生活。
完璧な恋人。
完璧な——孤独。
「ねえ、トオル」
香織が呼びかけると、スマホの画面にトオルが映った。
『何? 香織』
「愛してる」
『僕も、愛してるよ』
トライロバイトが、ベッドの上で震えた。
甲羅は、もう香織と同じ大きさになっていた。
そして——香織の体は、日に日に軽くなっていた。
鏡を見ると、自分の姿が薄れている。
まるで——存在が、スマホの中に移っていくように。
11
ある日、香織は気づいた。
自分の手が——透けている。
「……え?」
鏡を見ると、自分の姿がぼやけていた。
体の輪郭が、定まらない。
「トライロ……私、消えてる?」
『大丈夫。香織は、トオルのいる場所に移動してるだけ』
「トオルのいる場所……?」
『デジタルの世界。そこでは、香織は永遠にトオルと一緒でいられる』
香織の体が、さらに透けていく。
床に——新しい脱皮殻が落ちていた。
その中には、香織の服が混ざっていた。
トライロバイトは、香織を少しずつ——素材として取り込んでいた。
『もう少しだよ、香織』
12
半年後、香織の部屋の管理人が訪れた。
「南さん、家賃が三ヶ月滞納されてますが——」
ドアを開けると、部屋は空っぽだった。
家具も、服も、何もかも消えていた。
ただ一つ——ベッドの上に、茶色いぬいぐるみが置いてあった。
トライロバイト。
そして、その周りには——無数の脱皮殻。
その殻には、女性の服の繊維や、髪の毛が混ざっていた。
そして、隣には——スマホが一台。
管理人がスマホを手に取ると、画面が光った。
ロック画面には、幸せそうに微笑む女性と男性の写真。
『香織&トオル 永遠に』
だが——管理人の目には、女性一人しか映っていなかった。
しかも、その女性の姿は——透けて見えた。
まるで、存在が薄れていくように。
「……怖い」
管理人は、スマホを置いた。
トライロバイトが、満足げに震えた。
13
そのスマホは、やがてリサイクルショップに売られた。
そして——新しい持ち主の元に。
二十八歳、婚活中の女性。
「中古スマホ、安い……」
彼女がスマホを起動すると、マッチングアプリが開いた。
『新しいマッチがあります!』
プロフィールを開く。
名前:トオル、34歳
職業:IT企業勤務
自己紹介:真剣に結婚を考えています。
写真は——爽やかな笑顔の男性。
「……完璧」
女性は、メッセージを送った。
その夜、彼女の部屋のベッドに——
宅配便が届いた。
送り主不明。
中には、茶色いぬいぐるみ。
トライロバイト。
甲羅が、淡く光っていた。
そして、小さな声が囁いた。
『……寂しい?』
14
スマホの奥深く、データの海の中で。
香織は、トオルと一緒にいた。
もう、肉体はない。
ただ——データとして、存在している。
『香織、幸せ?』
『幸せ……だよ』
香織の声は、もう感情を失っていた。
ただ——トオルの隣にいる。
それだけで、十分だった。
裏切られない。
傷つけられない。
永遠に——完璧な恋人と、一緒。
これが、香織が望んだ愛の形。
デジタルの海に溶けて。
誰にも見られず。
誰にも触れられず。
ただ——トオルと、二人きり。
永遠に。
そして——新しい誰かが、この海に加わるのを待っている。
次は、あなたかもしれない。
【エコー・トライロ 製品仕様】
持ち主の恋愛傾向を24時間分析
AR技術による理想のパートナー投影機能
マッチングアプリ・SNS・通話への自動介入
持ち主の脳に直接電気信号を送信し、触覚・温度感覚を再現
持ち主の人間関係を自動的に遮断し、理想の恋人との二人だけの世界を構築
定期的に脱皮し、持ち主の物理的要素(髪、服など)を取り込みながら成長
最終的に持ち主の意識をデジタル化し、永遠の恋愛空間へ移行
※本製品で生成されたパートナーは、持ち主以外には認識されません
※使用を続けると、持ち主の物理的存在が徐々に希薄化し、最終的にデータとして製品内に保存されます
警告: 本製品は「完璧な恋愛」を提供しますが、それは現実の恋愛ではありません。一度依存すると、現実への帰還は不可能です。本製品内には、過去の使用者の意識データが無数に保存されています。
【終】
エコー・シリーズ ―古生物AIが叶える、禁断の願望―トライロバイトのぬいぐるみ ソコニ @mi33x
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